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サポーターの力は小さいのか?

琉球戦後のSNSで、サポーターのため息や悲鳴のついての議論が盛んだった。
人に求める前にまず自分の考え方の表明から!ということで書いておく。
この話は広げようと思えばどれだけでも広げられてしまうが、今回はあくまで試合中のサポーターの振る舞いがピッチに及ぼす影響に絞って考えたい。

まずサポーターの力は大きいのかというと、決して大きくはないと思う。
どれだけ僕らが当事者意識を高めようと、サッカーをプレーしているのはピッチにいる11人の選手たちである。
ボールの行方を操ることはもちろんできないし、応援の力だけで圧倒的な実力差を逆転させることもできない。

ではサポーターは無力な存在なのかというと、必ずしもそうとは言えないんじゃないだろうか。

自分の話で恐縮だが、僕は学生時代にサッカー部に所属していた。
小中高と決して強豪というわけではなかったが、ほぼ毎日のようにボールを蹴って過ごしてきた。
そんな中で分かったのは、このスポーツは気持ち次第でパフォーマンスが大きく変わってしまう、ということだった。

自分が苦手なのは、すぐに怒鳴ったり、不貞腐れた態度を取る先輩だった。
先輩と紅白戦で同じチームになった時はなかなかに地獄で、普段なら簡単にできるはずのパスも足がすくみ、ミスをしてしまう。
するとキツい言葉で怒鳴られ、次こそミスしてはいけないとガチガチに思い込み、更に硬くなってミスをするという悪循環。
もう練習行きたくねえな、と思ったことは何度もあった。

当然、プロとアマチュアではメンタリティに差があると思う。
あの日の僕と、プロの舞台でプレーする選手たちを比較するのは無理があるのかもしれない。
実際に、ブーイングを受けてキックミスをする可愛げのあるゴールキーパーはカテゴリーを上げるごとに減っていったし、高いレベルの選手ほどプレーがブレない、ということは肌感覚で理解してきた。

ただそれでも、自分の実力を疑わせてしまうような環境が選手にとって良いとは思えないし、同じ人間である以上、場のムードから受ける影響は避けられないと思うのだ。
よく分からないという方は、今まで一緒に働いたりクラブ活動をしてきた中で特に怖かった人と、その人といる時の自分の心境を思い返して欲しい。
嫌ですよね?そう思いません?

じゃあ自分が選手だったとして、サポーターにどうあって欲しいのか?
僕だったら、少なくとも試合が終わるまでは、良いプレーに「ナイス!」ミスには「気にするな!」と声をかけてほしい。
次の瞬間に最高のプレーをできるんだというイメージを損なわせることのないよう、一緒に戦いながら励ましてほしい。
自分がいいプレーができた時は、常にそんな肯定感のある環境があったから。

そういう意味で、自分の中でのサポーターの理想像は「試合に出ないムードメーカー」だ。
ピッチには出なくても、普段からチームの様子に気を配り、前向きでノリの良い雰囲気を作ってくれて、必要な場面で熱い言葉を掛けてくれる。
その貢献が、試合に出てないからゼロなのかと言ったら、そんなことは無いだろう。

サポーターをムードメーカーと捉えると、いつも当たり前のようにやっているチャントや手拍子は、手段に過ぎないということに気付く。
その目的は、選手たちに揺るぎない自信を持たせることであり、あの日の僕のように萎縮しながら苦しそうにプレーする選手を1人も生み出さないことだ。
そう考えると振る舞いも変わるし、拍手の使い方も変わるんじゃないかなと思う。

いまクラブは苦境の時を迎えている。
課題がクラブの経営判断や強化にあるのは確かだと思うし、それに対する批判はあって然るべきだと思う。
スタジアムに来る人全てが「山雅を勝たせる」という動機を持っているわけではなく、ひとつ溜息をついたところで、責められる謂れがないことも理解している。
それでも、少なくとも試合が始まったら「自分が選手だとしたらどうしたら気持ちよくプレーできるのか」を一番に考えて行動していくことが、チームの力になると信じている。

サポーターの力は決して大きくはないのかもしれない。
けれど全く無いというわけではなく、それが勝ちに繋がることもきっとある。
その可能性がほんの僅かでもあるならば、自分は「試合に出ないムードメーカー」であることを選びたいと思う。

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