当たり前のように「普通」という言葉を使うこと
はじめましての人とお会いして、「旅するデザイナーです」と自己紹介すると、ざっくり好意的な人と懐疑的な人の2つのパターンに分かれる。
前者はわたしより若い世代に多い。
そして後者はわりと否定的な視点から入ってこられることも多いので、昔はちょっとムッとしたりしていた。
でもふと考えてみると、自分のことが初対面のときからまるっと受け入れられるなんて、「想定内」の枠から出られていない、ということでもあって結構恐ろしい。
そう思ってから、否定的な方に対する意識が少しだけ変わって、相手を観察するようにした。この人はなぜ否定的なんだろう。
他人の働き方を否定したいという気持ち
否定的な人の傾向として、少し年上の男性で、仕事に熱心に打ち込んでいる方が多い。
で、たぶん無意識に「普通は」という言葉を多用する。
「普通は、そんな働き方考えないですよね」
「僕らは家族があるから、普通に考えて無理なんですよね」
それを聞いてもわたしは「いや、そうでもないですよ」と返すんだけど、あまりに同じような展開になるので、もしかするとわたしにその言葉をかけてきた彼らは、自分自身に言い聞かせているのかと思うようになった。
これまでに自分が選んだ道が、実は別の選択肢もあったんじゃないかって気づいてしまうと、足元がちょっとゆらゆらしてしまうのかもしれない。
「普通」という言葉に傷つく人もいる
前にこんなnoteを書いた。
長く付き合っていた恋人に「普通連絡くらいできるでしょ」と言われたときに、うまく答えられなかったのが軽くトラウマになっているのかもしれない。
わたしの「普通」は「普通」じゃない
わたしの「普通」は「普通」じゃないし、パートナーの普通も普通じゃないけど、二人の間の『普通(妥協点)』はなんとなくすり合わせしている。10年以上かけて。そこが価値観なんじゃないかなあ、と思ったりもする。
その労力をかけないままに、思考停止した誰かの「普通」なんて押し付けがましい言葉はちょっとした暴力にもなりうるんじゃないかな、と思ってしまうので、少し避けている。
当たり前。普通。
強い反発は揉め事の元なので、そっと「そうでもないよ」と言い続けて行こうと思う。
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