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かつての死にたい私へ

三浦春馬さんが亡くなった。自殺だった。

彼は同郷で歳も近く、
「へぇ、肥料の匂いが漂うこんな田舎でも、あんな都会風爽やかイケメンが、生まれるのかー」
と感動した記憶がある。

笑顔がとても素敵な役者さんだった。

同郷の親近感というものがあり、追っかけるほどのファンではなかったが、テレビのインタビューや出演作品で見かけると
「おっ、頑張ってるなぁ」
と気に留めるくらいは好きだった。

なので、訃報が受け止められなかった。

親族でも、友人でもない。
私が一方的に知っているだけの関係。

けれど、すごくすごく悲しかった。

なんで、死ぬ勇気を選択してしまったのか。

どうせ勇気を使わなければならないのならば、なぜ生きる勇気や、“助けて”と周りに伝える勇気を選んでくれなかったのか。

主人にそう、伝えると

「死ぬことが、唯一、楽になれると思ってしまうから」

と言われた。

なんで、忘れていたんだろう。

かつて、うつ病で、毎日毎日死にたかった私がいた。

死ぬことが、唯一、自分を救ってくれると思いこんでいた。

駅のホームで、線路に飛び込む自分を想像する。

マンションのベランダで、ここから空へ飛び立つ自分を想像する。

想像のたびに、悲しくなる。
「なんで、死ぬことを、考えてしまうんだろう」

そんな自分に嫌気がさして、更に死にたいと思う、そんな絶望ループの日々を送っていた。

負の感情の奥の奥の、そのまた奥の方へ。
一人で勝手にずぶずぶ潜ってしまって、自分ではもう、浮上できないところまで来てしまった。

きっかけは些細なことだった。
無理やり連れ出されたカラオケ。
歌う気分にはとてもなれなかったが、来てしまったからには何か歌わないといけない。

せっかくなら連れてきてくれた人が、知ってる歌を歌おう。

歌いすすめるが、とある歌詞が画面に浮かび、不覚にも喉を詰まらせた。

“死ぬことばかり考えてしまうのは、
きっと生きることに真面目すぎるから”

あぁ、なんだ、私は真面目すぎるのか。

なら、真面目をやめてみよう。 

そう思った瞬間、悪い憑き物がすっと消えた感じがした。

その後は、自分でも驚くほど、死から離れていった。

他人が聞いたら、そんなことで?と驚くだろう。
死ぬ選択も、生きる選択も、一歩踏み出すときはそんな些細なことだったりする。

私はあの時の感情を忘れてしまっていたほどに、今は“死にたかった日々”から遠いところで生きている。

カラオケに連れて行ってくれた主人にはとても感謝している。

あの日死にたかった私に、今も生きている私が伝えたい。

逃げろ。

嫌なことから、
死にたくなるようなことから、
とにかく、逃げてくれ。

真面目に向き合うことなんてしなくていい。
全力で、いろんなことから逃げてくれ。

先のことなんて考えなくていい。

できれば温かいご飯を食べて、温かいお風呂に入って、布団でゆっくり寝てほしい。
そうしないと逃げる体力なくなっちゃうから。

死ぬことや、生きることに周りがとやかく言ってくることがあるけど、うるせぇ、って無視しろ。
言ってくる他人はあなたの人生を生きてはくれない。

とにかく今は全力で逃げてくれ。


三浦春馬さんのご冥福を心からお祈りします。
春馬くん、本当にお疲れ様でした。

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