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#迷い #選択 #決断

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迷える子羊。
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#自己理解

路線図見るのが好きだけど、これって仕事になるのかな

「好きなことで生きていく」 「好きなことを仕事にする」 この「こと」というのが、実はけっこう難しい。 「こと」の解釈を間違えてしまったり、ピュア過ぎるあまりこれらの言葉を真に受けてしまうと、好きなことで生きていけないどころか、“好きなこと”なはずなのに「あれ、楽しくないぞ…?」、「何か違うな…?」と違和感を覚えてしまうかもしれない。 例えば、僕は電車の中に貼ってある路線図を見るのが好きだ。 人にはあまり理解されない気がして自分からは言わないけれど、一緒に電車に乗った人

「仕事楽しい?」にパッと答えられない時点で

「仕事楽しい?」 「人生、充実してる?満足してる?」 「順調に進んでる?」 こういう質問に対して、 「“楽しい”って、そもそもどういう状態だ?」 「“充実”の定義って何だろう」 なんて少しでも考えてしまうようなら、きっと満たされない何かがある。 本当に充実していたら、満足していたら、楽しかったら、己の直感が即座に働くはずで、「うん、充実しているよ!」なんて言葉がパッと出てくるのだろう。 いつだって、言葉の定義や解釈、普段難しく考えないようなことを難しく考え出す時は、

仕事も、やりたいことも、生き方も、変わっていく

何かを選択する時、例えば仕事を探す時、 ・一生続けられるのだろうか ・これが自分の天職なのだろうか なんて考えたりしてしまう。 さも、これから選択するものが“最後の選択”になるかのごとく。 けれど、実際そう思って選択をしても、蓋を開けてみればあっさり転職していたり、「あの時、どうしてあんなに迷ったんだろう」とさえ思うこともある。 仕事に限らず、やりたいことだって、生き方だって、自分自身だって、そのうち変わっていく。 たくさん経験して、刺激を受けて、挫折して、その繰

適度なストレスがないと、かえってストレス

つくづく面倒な生き物だ、人間は。いや、自分だけかもしれない。 心の余裕が欲しくて、物理的な余裕が欲しくて、そうやって選んだ生き方だったはずなのに、どうして物足りないのだろうか。 忙しなさ過ぎると自分を削ってしまうけど、あまりにも余裕があると、それはそれでかえって満たされない。 何もせず過ごす日曜日と、何かしら予定が入っている日曜日。 前者の方が充実するような、そういう感覚。 例えば、責任があると期待やプレッシャーに押しつぶされそうになるけれど、その分やり切った時は何

手に入れるよりも、手放してみる

手に入れようとする時より、手放す時の方が勇気がいる。 手に入れた時より手放した時の方が、心が軽くなる。 手に入れたものより手放した時に残ったものの方が、大切にしたくなる。 手に入れた時より手放した時の方が、何者かになれる気がする。 - 手に入れようとしてうまくいかないなら、手放してみる。 自由になりたい。 自分を不自由にさせているものを手放してみる。 成長したい。 「成長したい」という欲を手放してみる。「楽しみたい」と思ってみる。 何者かになりたい。 一

ほんの少しの新しさとか、挑戦で良い

現状への不満やモヤモヤ、変わらない日常や変化を恐れず突き進んでいく友人に対しての焦り。 すっかり慣れたけれど、こういう時はつい大きく考えてしまいがちだ。 「仕事を辞めようかな」 「転職しようかな」 「何か新しいスキルを学ばなきゃ」 転職や独立は分かりやすい変化で、しばしばSNSでも、退職エントリや【ご報告】から始まる丁寧な投稿が見受けられる。 そのような分かりやすい変化に見慣れているからか、自分自身が何か変化を望んだ時、真っ先に転職や独立を検討してしまう。 決してそ

今はまだ「選択と集中」する時じゃない

勉強に集中できない時のような「点で見た時の集中力」も、一つの仕事が長続きしない時のような「線で見た時の集中力」も、それらを高めるには、基本的に絞った方が良い、とされている。 英単語を覚えながら数学の問題は解けないし、仕事でも本業と副業を器用にこなしつつスキルアップを目指すのは大変だ。 「選択と集中」 優先順位をつけ選択する、選択したらあとは集中する、そうすることで目標を達成できたり成果を生むことができる。 そういえば、選択って必ず「1つ」でないといけないのだろうか。

何かを続けるより、辞める方が難しい

惰性で続けられることはあっても、惰性で辞めることはない。 何かを辞めるというのは、何かを続ける以上に、その意思決定に体力や時間を要する。 小中高と、一度始めたら最後までやり切るのが美徳と教わってきた。 部活や勉強、習い事、途中で辞めることは推奨されず、たとえ結果が出なくても、最後までやり切ればそれが賞賛される。 20歳になるまで、何かを辞めるということを経験したことがなかった。 物事を途中で投げ出さない人間性が自分の良いところと思うくらいには、継続力ややり切る力はあ

成長とかキャリアアップとか、一旦忘れたい

成長するために。選択肢を増やすために。 僕らはいつまで口にするのだろうか。 「何歳になっても貪欲に成長の機会を求めているんです」としておきたいけれど、成長した先、選択肢を増やした先に何を見ているのだろう。 何も見ていなかったりして。 何も見えていないから、その言い訳として、成長や選択肢という言葉を好んで使っているのかもしれない。 もちろん、逆算で人生を生きていくことが正解とは限らないから、積み上げの考え方で、まずは成長を追い求めるのも決して間違いではない。 けれど

消費だけでは物足りなくなってしまう

SNSを眺めたり、YouTubeで動画を観たり、好きなアーティストのライブへ行ったり、日頃たくさんの消費をしている。 今はインターネット上でのコンテンツが増えたので、消費活動のほとんどをインターネット上で行っている人が多いだろう。 自分自身も例に漏れずそうなのだけれど、最近消費に疲れたというか、純粋な気持ちで消費を楽しめなくなっている気がしている。 好きなクリエイターやアーティストに対して、一ファンとしての気持ちよりも尊敬の気持ちの方が強くなってきているし、休日のほとん

人生について考えてない時が一番良い感じ

昔は、縁石を見つけたら、両手を広げてバランスを取りながら歩いてみたし、飛行機雲を見つけたら何となくラッキーな気持ちになったけれど、いつからか縁石を歩くこともなくなり、空を見上げることも少なくなってしまった。 子どもの頃は後先のことなんて何も考えていなかったのに、一体いつからこんなに先のことばかり憂うようになってしまったのだろう。あれこれ余計なことばかり考えてしまうのだろう。 自分と向き合うこと、人生について考えること、それらを定期的に行うことは大事なんだろうけれど、とても