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#私

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等身大の自分。
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#気づき

頑張るというか、"足掻いてる"って感じ

最近は、「頑張る」とか「目標に向かって突き進む」という感覚よりも、「足掻く」という感覚の方がしっくり来る。 一般的にはまだまだその年齢ではないと思いつつも、自分くらいの年齢になると、嫌でも少しずつ分かってくる。 「自分はこっちかな」とラベルを貼りたくなる気持ちをグッと堪えて、「自分はまだまだやれる、これからだ」という思いで、ジャッジをしない。 「自分はこうだ」と決めてしまったら、しばらくそこから抜け出せない気がするから。 それに「まだまだやれる」という自覚がある。

小さな違和感や変化からはじまる

noteで文章を書くようになったおかげ(せい)で、何でも文章にしようとする習慣が身についた。 これから書く内容はその代表格のようなものだ。 - 3ヶ月前に、イヤホンを変えた。 元々AirPodsを2年半ほど使っていたのだが、本体の劣化と好奇心から、別メーカーのイヤホンに変えることに。 音質は同じで、新しく買った方にはノイズキャンセリング機能がついていた。 専用のアプリもあり、イコライザやノイズキャンセリングの種類をカスタマイズできたりと、性能面ではAirPodsを

「もはや何したらいいか分からん」が一番苦しい

「挫折」という字を見る度に、これらの漢字・用語を考えた人はすごいなぁと感心する。 心が折れてしまう様子が、字から滲み出ている。 - 「今までで一番の挫折経験を教えてください」 採用を担当していた時、初対面の人にズケズケと聞いていた。 中学まではレギュラーだったのに高校のレベルについていけなかった、受験で志望校に合格できなかった、何度挑戦しても賞を獲れなかった。 誰でも、何かしらの挫折経験がある。 自分自身の挫折経験は何だろう。 - 学生時代、会社の創業に参画

何者かになりたくて、マルチ商法に片足突っ込んだ話

大学1年性の時、ぼくは典型的な意識高い系だった。 ただ、幸いにも、「意識高い“系”なだけではダサい」という感覚は持っていた。 「何か行動せねば。しかも周りの誰もやっていないような何かを」 そう思いながらも、大学生当時の自分にはバイトに明け暮れる以外の選択肢しか分からず、悶々とした日々を過ごしていた。 そんな折、同級生から「ネットビジネス興味ない?」とのメッセージが。 今だったら迷わず未読無視しているのだが、当時はその辺のリテラシーは全く無く、むしろ「待ってました!」

アプリで会った怪しい女性から、生き方みたいなものを学んでいた

緊張した足取りで、指定された新宿のカフェへ向かっていた。 緊張していた理由は言うまでもない。 マッチングアプリ登録以来、ついに一人目の女性と会うことになったから。 ではなく、「これから会う人に何か勧誘されるんじゃないか?」という、“男の勘”が働いていたからだ。 普段は頼りにならない男の勘も、この日だけは妙に冴え渡っている気がした。 学生時代、ネットビジネスの世界に片足を突っ込んでいたおかげで、「新宿のカフェ」という時点で怪しさを感じていた。 さらに、これは紛れもな

友だちと会うのに、理由なんていらなかった

いつから、目的とか意図とか理由とか、そういうものがないと重い腰を上げられなくなってしまったのだろう。 こうやって何でもかんでも意味を見出そうとするのが、大人になるということなのだろうか。 だとしたら、ぼくは子どもの面影を残すことなく、大人になってしまったのかもしれない。 「金曜日暇?」 友だちからの誘い。 何の件だろう、どうしてこのタイミングなんだろう。 「ネットビジネスの勧誘?笑」 さりげなく、ジャブを打ってみる。 「そんなわけw」と返信が来て、すかさず「ど

映画でも本でもなく、ゲーム実況で泣いた。#UNDERTALE

たまには、ただの日記書きます。 プレイヤーの選択によってシナリオやエンドが分岐する系のゲームに弱い。 また一つ忘れらない名作に出会ってしまった。 こんなにも温かくて、作り込まれたゲームをぼくは知らない。 たかがゲームかもしれない。けれど、そのゲームで泣いた。心の底から感動した。 ストーリー、キャラ、BGM、遊びごころ、実況者さん、そして何よりも制作者さん。 最高でした。 「名作」に出会うと、それを思わず発信したくなったり、誰かに伝えたくなる感情を持っていた良かっ

大学を中退すると、どうなっちゃうのか

普段、自分の気づきや思いを好き勝手書いているだけなので、たまには、誰かのためになるような記事を書いてみます。 今まで好き勝手書いた分が、この記事でチャラになれば良いなと思っています。 さて、タイトルにもある通り、ぼくは大学を中退しています。 大学中退はそれほど珍しくはないと思うのですが、 これらについて書こうかなと。 某ウィルスの影響により、ぼくが大学を中退した時とは違った事情で、大学中退を検討せざるを得なくなった方もいると思います。 直近2年くらいの間に、一度で

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テニスを教えない、テニス部の先生

「恩師」と呼べる先生はいない。 それは別に先生が悪いわけではなく、自分が先生とよく話すような生徒ではなかったし、手のかかる生徒でもなかったから、先生との思い出深いエピソードが特にない、という意味である。 今まで僕と関わった先生に、「思い出深い生徒はいますか?」と聞いて回っても、きっと自分の名前は挙がらないと思う。 教員生活を何年も送っている先生にとって「生徒」は何百・何千人といるわけで、自分なんてOne of themに過ぎないけれど、生徒にとっての先生はそれほど多くな