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#自分探し #自分らしさ #何者

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2021年6月の記事一覧

誰か、私に私らしさを教えてくれ

どうやら自己分析には限界があるらしい。 今までで一番頑張ったことは受験勉強くらいしかないし、その受験勉強ですら、人より頑張ったかと言われればそうは言い切れない。 だいたい、大学生までの人生の中で「最も頑張ったこと」なんて受験勉強か部活動くらいしかないのではないか。 企業の人事はきっともう聞き飽きているんでしょ。似たり寄ったりのアピールポイントに。 そんな屁理屈を並べてしまうほど、自己分析で行き詰まっている。 自分のことは自分が一番分かっていると思っていた。 確かに

ギャップに隠れた"自分らしさ"

「どうして、あの時ああしたのだろう」 ふとそう思うことがある。 それは、決して過去に対する後悔ではなく、自分自身の意外性に対しての懐古。 とても同じ自分がしたとは思えない決断をしていたり、臆病な自分からは想像もできないくらい大胆な行動を取っていたり、そんな過去が1つや2つくらいある。 あの時の自分を突き動かしたものは一体何だったのだろう。 今の自分もあの時の自分も同じ「自分」であるはずなのに、当時を振り返ると全く違う存在のように思えてくる。 表の自分を「臆病」とす

誰も自分に興味なんてなくて

若者でごった返す日曜日の宮下公園。 自分自身も「若者」のはずなのに、居心地の悪さを感じる。 何となく自分だけ浮いているような、見かけは若者なのに若者らしくないことが見透かされているような、そんな気がして嫌な汗をかく。 ほとんど1年生しか受けていない授業に紛れ込んでしまった留年生のような気持ち。 自意識過剰。 自分自身を痛い目で見ている人はほとんどいないどころか、誰も自分自身の存在すら特に気にかけちゃいないのが、実のところだ。 「周りの目が気になる」 本当に、周り

「普通でいたくない」のが普通

普通でいたくない、何者かになりたい、これが“普通”なのかもしれない。 * 今までそれなりに人生を生きてきて、それなりに失敗してきたけれど、どうもそれらの失敗は自分の中で美化され過ぎてしまっている。 「あの失敗があったから」 そう思える失敗もたくさんある。 いや、全ての失敗があったからこそ今があると思っている。 そう思えているくらいには、自分の中ですでに美化されてしまった。 「#あの失敗があったから」 コンテスト作品募集開始の日から今日まで一文字も書けなかった。

やさしさを振りかざす強さ

「やさしさ」について、今まで様々なインプットをしてきたし、自分なりにあれやこれやと考えてきたつもりだ。 「優しいよね」と言われたことはもちろん、「良い人だよね」と言われることもあれば、「それって本当の優しさなのかな?」と問われたこともある。 その度に、「やさしさ」という言葉の持つ意味について考えてきた。 そのうえで、「やさしくあるためには強さが必要だ」と思うようになった。 やさしさと強さ、というのは一見相容れないもののように感じるけれど、そんなことはなかった。 思い