見出し画像

球春到来! 野球×文学3選

 すっかり春ですね。始まりの季節でもあり……そう、プロ野球もいよいよ開幕です! わたしの応援する阪神タイガース、今年こそは去年の雪辱を果たしてくれるのではないかと胸をときめかせていますが、そんな手に汗握るペナントレースを楽しみつつ、本を読むのも一興ではないでしょうか?
 というわけで本日は野球を題材にした文学作品を3つ、ご紹介いたします。

高橋源一郎『優雅で感傷的な日本野球』

 まずは高橋源一郎の『優雅で感傷的な日本野球』。七章に分かれた連作短編集ともいえる体裁の一冊ですが。野球小説といっても本作には野球をプレーするよろこびとか苦しみといった、そういったものを描いた小説ではありません。
 第二話の「ライプニッツに倣いて」の主人公であるスランプに陥った選手
である「ぼく」は精神科医のカウンセリングを受けます。 

スランプから逃れたかったら、頭を空っぽにすることです。とにかく、少しは野球から離れてみることですな。野球を頭から追い払ってしまうんです。

というアドバイスに対して、「無理です」と答える「ぼく」は医者と次のようなやり取りをします。

「カリフォルニア・オレンジ。この言葉から何を連想しますか?」
イン・ローへナチュラルにシュートするボール」ぼくは反射的に答える。(中略)
「そんなことは言わなくてもよろしい。では、大蔵省」
セイフティ・スクイズ」ぼくは言う。「一塁線ぎりぎりの」
「ウーロン茶」
レフト・ポールを巻いてぎりぎりに飛び込んだホームラン。飛距離は九十一メートル
(中略)
「何故?」医者は苛立ちを隠さずに言う。「それが連想ですか? いったい、どうしてそんなものが連想できるんだ」
「そんなことがぼくにわかりますか? 先生、ぼくは連想したものを勝手に言ってるだけなんでね」

強調筆者

頭から野球のことが離れない、どんな言葉からも野球のことが連想されてしまう「ぼく」が描かれるのです。本作は野球をプレーする姿ではなく、野球にまつわる言葉によって、また野球にまつわる言葉について書かれた小説なのです。
 そして引用した部分には、この『優雅で感傷的な日本野球』という作品において、あらゆるの言葉が「日本野球」に吸い込まれていく、そんな作品のあり方を示しているのではないでしょうか。文学の題材として野球を扱うのではなく、逆に文学・言葉が〈野球〉に奉仕する。そんな読み方もできる小説です。
 と、なかなか難解な部分のある小説でもあるのですが、阪神ファンの私としては1985年の阪神タイガース優勝を題材にした「日本野球の行方」の

 辛い瞬間を見たくなかったんだね。ファン心理ってのは微妙なものさ。(中略)阪神ファンにとって優勝以上に不幸なことはないからね。

強調筆者

というところに、「分かるような分からないような……! 絶対に優勝してほしいけど、勝ち切れない勝負弱いところが可愛くもあるし……」という何とも言えない共感をしてしまいました。

優雅で感傷的な日本野球 :高橋 源一郎|河出書房新社 (kawade.co.jp)

平出隆『ベースボールの詩学』

 詩人である著者がベースボールと詩との関係性を書いた一冊です。
 アルバート・グッドウィル・スポルディングという人物が19世紀に野球を世界に広めるべく、大遠征に出たという話に始まり、ベースボールの起源、そして詩との関連性を探求する一冊です。もちろん文学的な一冊でもあるのですが、ベースボールをダシにして文学をやる、というようなことではなく、著者の深いベースボール愛と探求心から、まるでベースボールと詩の関係を証明するかのような筆致で描かれます。 
 特に印象的なところとして、打撃について作者によって書かれた以下の詩にまつわるエピソードが挙げられます。

 垂直に樹木を抱え、ゆっくりと天に突きあげ(青にめまいし)、静かに胸もとまで下ろしてきたら、力を抜いて身構えていろ。

という詩を発表したところ、吉本隆明が講演会で「掛布なんかがバットをかまえるときに、握り変えたりして下におろしてくる」「そういうイメージが もとになっている」と説くのですが、作者の平出隆はまさに、

ぼくは吉本氏とは一面識もない。それなのに、この詩がまさしく掛布雅之その人の打法からえられたことを彼が見抜いたことに、批評の痛快さとでもいえるものをはじめてのように感じたのであった。

という風に元阪神の大打者、掛布選手のバッティングから着想を得た詩を、何の事前情報もなしに吉本隆明が見抜いたというのです。なんだかすごい話ではないでしょうか? 
 他にもベースボールと詩、と言えばもちろん忘れてはいけない正岡子規についても一つの章を使って詳述されているなど、言葉とベースボールについて興味のある人には必読の一冊と言えるのではないでしょうか!

『ベースボールの詩学』(平出 隆):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部 (kodansha.co.jp)


坂口安吾「投手殺人事件」

 最後に紹介するのは坂口安吾の推理小説。坂口安吾と言えば高名な文豪ですが、不朽の名作『不連続殺人事件』を書いたように、ミステリの分野でも多くの作品を残しています。
 本作はタイトルが示すようにプロ野球のピッチャーの契約をめぐる殺人事件を題材にした一作です。本作で特に興味深いのは、今では使われていない野球用語が出てくることです。

 猛速球スモークボールで昨年プロ入りするや三十勝ちかく稼いだ新人王で、

「スモークボール」って何だ? と思うのですが、これは二十世紀前半に活躍したレフティ・グローブというメジャーリーグの投手が投げる球があまりに速くて煙のように見えない、というところからつけられたのだそう。今では使われない言葉ではありますが、こういった消えてしまう言葉を保存する、という意味でも文学は貴重な役割を果たしているのだな、と思う次第です。
 また、余談ですけど一年で30勝することも今のプロ野球ではほとんどあり得ない話ですよね。ですが、本作が発表された1950年の最多勝は真田重男(松竹)でなんと、39勝! 「三十勝ちかく稼いだ新人王」というのも、リアリティのある話だということが分かりますね。
 短編ではあるのですが、事件現場の見取り図あり、読者への挑戦状あり、の本格ミステリですので、ぜひ犯人を当ててみてください。ちなみに、わたしは全然当てられませんでした!

坂口安吾 投手殺人事件 (aozora.gr.jp)

 というわけで、野球×文学の3作を紹介してみました。応援のお供にぜひ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?