時間>お金だけど楽しみなイベントを待つときについ考えてしまったことと選択肢の重要性

最近ふと思ったことを文章にしてみようと思います。


「時間」と「お金」

「時間」と「お金」私たちにとって貴重な価値を持つこの2つがあります。
(ビジネスでは経営リソースとして重要視されます)

自分はお金より時間の方が貴重だと思っています。むしろ、この世の中で「1番貴重なものは時間」だと思います。

これについては、本でもよく書かれていたりします。
前から思ってたことなのですが特に最近このことを感じます。

お金は使ってもまた増やすことができますが、時間は過ぎてしまったら取り戻すことはできないですし、いくらお金があっても時間がないとやりたいことができないですし、特に最近は自分で自由に使える時間があれば1秒たりとも無駄にしたくない、と思ってやりたいことを詰め込んだり行動したりしてます。

そんな矢先にふと起きた出来事があります。

楽しみなイベントを待つ間の時間をいらないものと捉えてしまった

来月○○のイベントがあってそれがとても楽しみ!
早くその日が来てほしい!

このように思うこと、思ったことある人って多いのではと思います。
自分もよくあります。

つい最近の出来事ですが、

・その楽しみなイベントが1か月近く先ということ
・そのイベントの前には他の楽しみなイベントが特段なかったこと

この2つが重なったことがあります。

このとき何を思ったのかというと、
「早く1か月時間が過ぎてほしい」と思ったのです。

>自分で自由に使える時間があれば1秒たりとも無駄にしたくない

と言っておきながら。
自分でも矛盾してるな、と思いました。

1か月先の楽しみなイベント(イベントAと呼びます)が早く来てほしいがために、その間の時間を捨ててもよいと思うような思考をしてしまう。
これは文字通りイベントAの前に他に特に楽しみなイベントがないから起こったことなのですが、貴重な時間に対してこのように思ってしまうのはどうなのか、と思いました。

これを防ぐためには、これも当たり前ですがイベントA以外に楽しみなイベントがないか考える、なかったら見つける、予定に組み込むことが必要だと思います。
そのために色々なことにアンテナを貼ったり、趣味を増やしたり。

選択肢があることの重要性

今回の話以外にも通じることですが、自分はいかに「選択肢を持てるか」が人生にとって大事だと日々考えています。
今回のイベントA以外に特段楽しみなイベントがない状態はイベントAに依存している状態と考えます。

イベントAに依存しないように、イベントBやイベントCとかを見つけて予定する。イベントAがもしなくなってもBがあるから大丈夫とか、そのような感じで人生を楽しむための選択肢を持つ、1つに依存しない。

イベントAを楽しみに待つことはいいことなのですが、これが全てと思ってしまうと、もしかしたら当日になったら実は楽しくないイベントだった、何らかの理由で中止になってしまった、などになった場合、精神的なダメージになるに加え、待ってた1か月間も無駄になってしまう、というようなことになる可能性もあります。

イベントAが楽しみで早く時が過ぎてほしいと思うことも(それほど楽しみなことなので)悪いことではないと思います。ただ、それでもイベントAまでの時間(今回でいうと1か月)もそれと同じくらい大事にして過ごしたい、と自分は思います。

無理にやりたくもないイベントを作る必要はないと思いますが、何かに依存するあまり、最も貴重な時間に対して早く過ぎ去ってほしい、いらない、と思わないように色々な面で選択肢を持っていきたいと思います。

※今回の内容はなんかいつも以上にうまくまとまらないあ、と書いてて思いました・・自分の思考を文章にまとめるのって難しい。





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