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世界のほとんどを、間違ったイメージでしか捉えられない。

新聞やweb媒体、雑誌などに掲載されている、科学に関する記事を読むときにどうしても消えない違和がある。
批判する気持ちではなく、どうしたらいいのだろうかと途方に暮れる。

例えば、「iPS細胞は通称、万能細胞と呼ばれ、体のあらゆる細胞になることができる」といった文章を見かけたとする。
何も間違ってはいない。
ほぼ正確な記述でなんの文句もない。
それでも小さな違和がある。
それは、専門分野として理解している人がこの文章を読んだときに頭に思い浮かぶイメージが、それ以外の人のものと、かなり違っているのではないかと思うからだ。
ある言葉やフレーズを聞いたとき、関連する物や事、概念などが頭の中に思い浮かぶ。
言語学では、そういった一まとまりの知識を意味フレームと呼ぶらしい。
生命科学の知識のある人がiPS細胞と聞いたときに浮かぶ意味フレームは、例えば次のようなものだ。

――iPS細胞は、分化細胞を一定の方法によってES細胞様にリプログラミングした細胞
――多分化能を持つ。
――マウスなど生体への移植により三胚葉分化が認められると同時に、in vitroで未分化状態を維持しながら増殖可能である。
――生理的なES細胞と、人工的に誘導したiPS細胞とでは、エピゲノム的に類似しているが同一ではない。
――iPS細胞は元となった分化細胞の性質を潜在的に有する。

知識の有無によって、知識のフレームがもたらす脳内イメージに大きな隔たりがある。
イメージに隔たりがあるまま話し合っても、しばしばお互いに要領を得ない。
科学に限った話ではないと思う。
料理をしない人に料理の話をしても思わぬところで齟齬が生じるし、家電量販店で店員の説明を聞いても、車の修理に行ってもそうだ。
理解できないことよりも、イメージがズレたまま理解する問題のほうが大きいかもしれない。

単に知識をやさしく伝えるだけは不十分で、脳内のイメージを共有しないとコミュニケーションに至らない。
科学コミュニケーションは、科学や科学技術について、その溝を埋める使命を持っていると思う。

実際に何かを説明する際には、専門用語を一般用語に言い換えたり、比喩を使ったりする。
免疫を軍隊に例えたり、そこかしこで工夫を重ねてきた。
しかし、工夫すればするほどイメージがズレてしまうかもしれない。
本当にどうしたらいいのだろう。
さっぱり解決方法が思い浮かばない。

私は理論物理の話を聞くのが好きで、一般向けに書かれた超ヒモ理論や素粒子論の本を読む。
そこに数式はほとんど存在しない。
けれど物理の言語は数学だ。
自然言語のみで説明される物理学は、イメージを比喩的に伝えているだけ。
わかりやすく直感的に書かれた本を読んで満足せざるを得ない身では、果たして自分が受け取った脳内イメージが正しいのかどうか判別できない。
与えられたおぼろげなイメージを大切に抱えながら、途方に暮れている。

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