見出し画像

考えてからやるか、やってから考えるか

ほぼ無意識に研究者をビジョン型とハードワーカー型に分けて見ている。
自分の周りにいた研究者にかぎれば、おおよそビジョン型が2割でハードワーカー型が8割だ。
ビジョン型は頭脳派、ハードワーカ型は体力派と言い換えてもいいのだが、少し異なったニュアンスを含む。
目的地を強く意識しているのがビジョン型で、ハードワーカー型は研究をすすめていく方向性や明らかにしたいことが明確ではなくぼんやりしている。

例えば知らない山中に放置されたとしたら、「ここを抜け出さなきゃ」と誰しも考える。
そんな中で状況を把握してから歩きだす人がビジョン型で、とりあえずウロウロしてみる人がハードワーカー型、くらいの違いである。
山を抜け出す目的はどちらも持っているが、ビジョン型の人は川を探すとか峰に沿って歩くとか、それが正しいかどうかどうかひとまず置いておくとして、目的を具体的な形にしてからそれを頼りに動こうとする。
ハードワーカー型は、その場に留まっていても得られる情報は少ないのだし、新しい情報が入ってくるたびに進む方向が変わるのだから、最初からビジョンを決めてもしょうがないと思っているフシがある。
考えてから動くにしてもいきなり行動するにしても、動きながら考え、考えながら動かなければいけないことに変わりはない。
そうじゃないと、いつまでたっても山の中を歩き回るハメになる。
だからビジョン型とハードワーク型は最終的に好みの問題じゃないかと思う。

研究・学問にとって、「問い」は大切だ。
わからないことに興味を持ち勉強する。
「最終的に何を知りたいか」を明確にし、解明しようと心に誓う。
それから時間をかけて一歩一歩、時には一生をかけて研究をすすめる。
というのが、まあなんというかひとつの理想かもしれない。
しかしハードワーク型職業研究者には作業そのものを好きな人が多く含まれている。
作業したりデータをまとめたり発表スライドを作ったり。
もう少し立場が上になると、色んな人と会って研究の話をしたり共同研究を行ったり。
実験をしながらなんとなくまとまりそうな結果が出たら論文にする。
それを繰り返してキャリアが形成されていく。
もちろん彼らは、学会発表や論文などではあたかも首尾一貫した目的をもっているかのように振る舞う。
それが研究者のあるべき姿だと思われているからだ。
仕事をすることそのものが好きな人の割合は思いのほか高い。

ひとつ言い訳をしておくと、属性や嗜好は有る無しで表現できるものではなく、どの要素が多いか少ないかを考えるべきだ。
だから作業が好きな人にまったくビジョンがないわけではない。
バランスがどちらに傾いているか、どちらの割合が多いか、の問題だ。

ビジョン型とハードワーカー型の相性はすこぶる悪い。
ビジョン型の人はハードワーカー型のことを脳筋だと思っているし、ハードワーカー型の人はビジョン型のことを口だけのさぼり野郎だと思っている。
みんな大人だから面と向かって相手をなじるったりしないし、表面的には相手の考えを尊重しているフリをする。
例外は多数あるにしても、心のなかで思うに留めている。

ただし、いち研究者同士としては相性が悪いにもかかわらず、ビジョン型の上司とハードワーカー型の部下はハマるとすごい勢いでデータが出る。
ソリの合わなさを表面化させずお互い敬意を持って接して領分を守れば、PI(研究責任者)のアイデアを、下についた研究員が次々と具体化していく。
この話の結論はそれぞれの役割にはそれぞれ必要な能力が存在するといういたって平凡なものだ。

中にはビジョンとハードワークの両方を備えたスターも存在して、そんなスター的な研究者の下でやればビジョン型もハードワーク型も輝けるのかといえば、そうとも言えるしそうじゃないとも言える。
たしかに、知識と論理的思考能力と情熱と体力を持った輝けるスター研究者の下からは良い研究者が排出される。
しかし経験上、成功する人以上の人数がドロップアウトしていく。
ひとりで何でもできてどんな環境でも良い結果が出せる偉大な研究者は性格が苛烈だ。
温厚な「人格者」を見たことがない。
相手に望む水準も高いし見切りをつけるのも早く、見どころがないと思われれば相手にしてもらえない。
研究の進展に寄与しない存在は無意味だからだ。

ちなみにハードワーク型が上でビジョン型が下の場合は相乗効果は生まれない。
相性が悪いとまではいえないが、うまくいくのは、上が放っておいてくれる場合にかぎられる。
下の人間に自分の考えで動く自由が与えられればある程度データは出るし、上は環境を整えることに専念してくれればなお良い。
ハードワーク型の上司は自分で手を動かしながら考えるのが得意なので、他人の研究にアドバイスするのが苦手だ。
自ら実験し考えたことや感じたことが次のアイデアにつながるタイプだから、自分が直接やっていないことを基にして考えられないのかもしれない。
ハードワーク型のPIが実感も理論も伴わないふわふわした指令を出して、下についたビジョン型の人間のアイデアを潰してしまう場合は目も当てられない。
そもそもビジョン型とくくられるからには、バリバリ実験するよりはじっくり考えてから必要なことだけをできるだけムダがないようにやろうとする。
ずれた指示で効率を落とすと何も良いところがなくなってしまう。

研究者をおおざっぱにふたつのタイプに分けることになんの意味があるのか、雑すぎるのではないかと思うこともある。
しかしこれは一種の思考実験以上のものではなく、頭の中で仮に母集団をふたつに分け比較している。
研究に必要な資質を考えるためのきっかけを作っているにすぎない。

結局、生物研究にどちらが必要かと言われれば、ハードワーク型の人間だ。
自身はビジョン型の研究者でさえも「手の動くやつは可能性があるので見捨てない」と言っているのを聞いたことがある。
生物は人間の理性が相手にするにはあまりにも複雑な現象で、結局は右往左往、試行錯誤するしかない。
ビジョンを持って臨む人はその右往左往ぐあいが少ないから効率が良いだけで、結局はウロウロしつづける情熱と体力と作業耐性がないと始まらないのだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?