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分からないまま渡る

生物現象についての研究は、基本的なメカニズムが分かったからといってそこで終わりというわけではない。
例として、ガソリン自動車が動く仕組みについて考えてみる。
「気体状にしたガソリンをシリンダーに入れて爆発させ、その圧力変化をピストンなどで回転運動に変える」というのが基本原理だけれど、それが分かっただけではまだ不十分で、それぞれのステップの詳細を調べなければわかったとは言えない。

ゲノムDNAからRNAが作られる「転写」の過程も同様で、数十年におよぶ研究によって基本コンセプトは明らかになっている。
しかし最近、「相分離」という、もうすでに研究しつくされたような物理現象が、「転写」の効率を上げるために必要だとわかってきた。

水と油を混ぜても、油は次第に液滴を形成して水と分離してしまう。
ラーメンのスープの表面に油滴が浮かんでいる様子は誰でも見たことのある光景だと思うけれど、ここでの相分離はそういう現象のことを指している。
物理や化学を学んだ方ならば、今さら相分離に注目しているのかと首をひねるかもしれない。
けれども実際に、生物研究の世界では注目されていなかった。

ゲノムDNAの配列はアデニン (A)、チミン (T)、グアニン (G)、シトシン (C)の四種類の塩基の並びから成り立っていて、その一部、例えば、"AGTCTGATCGTACCTGGG……"(適当)のような配列をコピーしてたくさんのRNA鎖を作る。
この転写という現象には、正しい並びの塩基をつなげていくためのタンパク質が必要で、それはRNAポリメラーゼ(RNAをポリマーにする酵素、くらいの意味)と呼ばれている。
つまり効率の良い転写が起こるためには、RNAポリメラーゼが効率よくゲノムDNAに結合しなければならない。
しかし、細胞内のタンパク質濃度はそんなに高くない。
たくさんの種類のタンパク質が作られるのでタンパク質全体の濃度は高く、細胞内はドロドロの液体で満たされているが、一種類のタンパク質の濃度は(細胞骨格系のタンパク質を除いて)、低い。
古典的な化学反応では、分子と分子が水の中をふらふらと移動(拡散)しながら、たまたま両者が出会った時に反応が起こると考えられている。
しかし、まばらにしか存在しないタンパク質と、ひとつの細胞に二セットずつしか納められていないゲノムDNAとが出会うのはそんなに簡単なことではないかもしれない。
だから細胞は様々な手段で反応の効率化を図っているようだ。

水と油を混ぜると油が分離するという素朴な例を再び取り上げて、この場合の、分離される油に相当する分子はRNAポリメラーゼというタンパク質だ。
タンパク質は巨大な分子で、水に溶けやすい部分(親水性)と溶けにくい部分(疎水性)の両方を自身の中に持っている。
そしてその割合や分布はタンパク質ごとにちがい、似たような性質のタンパク質もあればそうではないタンパク質もある。
そして、水に溶けたタンパク質はある濃度を超えると、スープの表面に浮かんだ油滴のように似た性質のタンパク質同士が集合する。
RNAポリメラーゼも、ゲノムDNAや転写に必要な他の分子を巻き込みつつ、一カ所に固まりだす。
こうしてRNAポリメラーゼとゲノムDNAとは高確率で会合し、効率的な転写が達成される。

繰り返すが、相分離はごくありふれた物理現象であるにも関わらず、生物現象に適応しようと本気で取り組んだひとはこれまでいなかった。
現象に関する理論も解析手段もあるのに、生物学に使えることに気がつかずにいた。
ある種の「枯れた技術の水平思考」なのかもしれないが、すっかり研究の進んだ相分離という現象を使ってなにか新しいことをやろうとしたわけではなく、順番が逆だ。
古くから研究されてきた生命現象が、古くから研究されてきた物理現象を使って説明できることに気がついたという、もっと素朴な発見だ。
しかしここ十年で、転写に限らず多くの生命現象は相分離を利用していることがわかってきている。

私の知る限りだが、ここまで盛り上がった、他分野の古い現象は他にない。
数年前、有名な学術雑誌に掲載された相分離の論文を初めて読んだ時のことはよく覚えている。
生物研究者にとっては新しいこの物理現象に興味を惹かれはしたが、掲載の難しいとされるその有名雑誌に値するほどのアイデアなのか疑問を覚えた。
意味をよく理解していなかったからそういう薄い反応になるのだけれど、周囲の人間も大方は同じような表情をしていた。
もっと言えば、何か意味ありげなことを言っているだけで、本質的でも新しくもないと今でも思っている研究者は一定数いると思う。

研究者はそれぞれ、体内や細胞の中のイメージを持っていて、いわばそれがその人なりの世界観を形成しているのだけれど、水に溶けやすいとか溶けにくいといった物理的性質と分子の集合との間の関連性がうまく想像できていないのかもしれない。
この世界観のすりあわせは思った以上に難しく、同じく生物学を研究している人たちの間でも、生態学や生理学、生物物理の人たちの間にはそうそう埋められないくらいの大きな文化的・思想的ギャップが存在する。
多様な文化がよいアウトプットを生み出すというリベラリズムの考え方に沿ったところで、お互いの頭の中の世界を理解できないまま協力し合うことに変わりはない。
異なる分野の研究者が交わるところから新しい研究を生み出そうという、領域横断的あるいは学際研究が推奨されてしばらくたつ。
しかし、文化的な摩擦に耐えられる人の割合が簡単に増えるわけではない。
いちばん簡単な解決方法は相互理解ではなくて、他分野のもつ技術や概念によって自分の研究が進みそうだという、即物的な希望を抱くことでしかない。
自分の興味のあるテーマを掘り下げ一旗揚げてやると息巻いている業の深い研究者であるほど、相手への理解なしにやすやすと領域を横断していく。

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