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初めて起きたブレイクスルーが大波すぎたのかもしれない

現在の将棋ファンや棋士の方々は、将棋ソフトについてどういう印象を持っているのだろう。
ソフトがプロの棋力を超えて話題になっていた頃、全然関係のない私は無責任に、かつ直感的に、人間が勝てない将棋ソフトの出現は将棋にとっていいことではないかと思っていた。

昔から何となく羽生善治九段が好きで藤井聡太ブームに乗っかり将棋中継を見る機会が増えた、典型的な「にわか観る将」なので、将棋のことはもちろんよく分からない。
人生をかけて将棋に励む棋士同士の勝負を観たり、棋士達の個性的なキャラクターを味わったりして楽しんでいる。
そういったメインの楽しみの他に、対局の解説を担当する棋士がソフトの手を「解釈」する様子を眺めるのも好きだ。
ソフトは、将棋の一手一手の持つ意図を説明しない。
彼らは人間より高い精度で有望な手を提示するが、人間は因果を求める。
合理的な目的がありそれに最適な手段が存在すると考える。
理屈を付けないと認識できないといってもいい。
「この手は相手の飛車を取りに行っていますね」
例えソフトの予想手が想定していなかったものであっても、解説の棋士はほとんど瞬間的にその手の「意味」を理解する。
視聴者向けに何手か駒を動かしてみせると、相手の飛車が追い詰められる格好になる。
当然、棋士は将棋というゲームの持つ性質を最も理解している人種だ。
強くなるために幼少の頃から訓練を続け経験を積み重ねているのだと思う。
あらゆる手を試そうとし、その効果を判定して自分の知識を増やし、将棋に対する理解を深める。
どういう手を打つとどういう結果になるのか、何を基準に手の善悪を判断すれば良いのか、といったことを極めようとしている。
棋士が将棋を理解しようとする方法論は、実験し結果を得て解釈し、仮説を立ててまた実験するという科学研究の持つループと本質的に同じではないかと思う。
人間の頭の働き方に由来しているから、同じなのは当然かもしれない。

研究者はそれぞれ、解明したい現象や解決したい問題がある。
棋士の研究対象は当然、将棋だけれど、今まで将棋に関する実験データは彼らの頭の中で試行錯誤することによってしか生み出されなかった。
しかし機械学習分野の発展により生まれたおそろしく効率的で精度の高い新しい技術が様相を一変させている。
革新的な技術こそ研究にとって最大のブレイクスルーだ。
対局相手に勝つためにソフトを使って勉強することは、同時に機械学習の技術を利用して、将棋自体の持つ性質を明らかにする科学研究的な営みを促進することでもある。

羽生善治九段は、全てのタイトルで永世称号(を引退後に名乗る権利)を獲得した際に開かれた記者会見で、「将棋そのものの本質を分かっていない」と発言した。
謙虚な人柄を表しているとも読み取れるが、わたしはむしろ、「物理学が解明していない現象は、この世界にまだ多く残されている」といった発言と同種の印象を抱いた。
勝負の世界の中にあって、羽生九段が将棋そのものを解明してしまおうと試みているのだとしたら、遙か遠く、果てしなく深い場所を見つめるその能力に改めて呆然とするしかない。



木村一基九段が、タイトル戦登場七度目にして初の栄冠を勝ち取った。
王位戦の最終局を夜中にひとりニコ生のタイムシフトで観ながら興奮し、新王位としてインタビューを受ける木村九段のあまりの「可愛さ」に気持ちが高まるなどした。

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