創作料理と研究

論文を読みながら、背景にある作業量の多さに吐き気がすることがある。
同様の発言をPodcast番組『いんよう!』などで発言したこともあるのだけれど、どうも論文から漂ってくる筆者たちが注ぎ込んだ膨大な時間や労力をうまく説明する良い方法を思いつかないでいた。
今日は思いつかないなりに、料理に例えてみようと思う。

一流とされている基礎生物系の学術雑誌では、ひとつの論文に30個から40個くらいの実験結果が図として表示される。
ある実験をした結果がグラフやら写真になり、これが1つの図としてカウントされる。
例えば、遺伝子Aがなくなると体重が増えることを証明するために、遺伝子Aをなくしたマウスを作って体重を測ったとしたら、そのグラフが1つの図として表示される。
こうした実験結果が30個から40個、多ければ100個以上集まって1本の論文になる。

実験では、これまで分からなかった未解明な現象を調べるために行われるので、掲載されている図はすべて新しい料理だ。
だから1つひとつの図は、研究者が開発した新しい創作料理の写真だと思ってもらえると良いかもしれない。
1つのメニューを調理するのに必要な時間は、数十分から数時間くらい、長くても数日だけれど、1つのメニューを開発するにはもっと長い時間がかかるだろう。
アイデアを思いついて試してみたけれど思ったほどうまくいかなくて捨てたとか、味が今ひとだから改良するために色々試したとか、場合によっては調理器具の開発からやらないとだめだったとか、そういう過程をすべて込みで1つのメニューができあがる。
論文に掲載されている写真は新しく作ったメニューなのだから、そこに込められているのは1回分の材料費と調理時間ではない。

新しい材料を探してきて、色々な分野の料理人を集めて、器具メーカーにも参入してもらい、そうしたグループが数年かけて、1本の論文を作り上げる。
それら数十個の新作メニューをレシピ集やフォトブック的な形式にまとめ上げているのだから、相当に情報密度が高い。

補足しておくと、1本の論文で証明しようとしている仮説は1つのみだ。
複数の現象・仮説に言及しようとする論文もあるが、それはあまりいい結果がでなかったから量でなんとかしようとしているか、あるいはコンセプトがはっきりしないまま研究が進んでしまったからなど、何かの問題をカバーしようとした結果であることが多い。
エレガントな論文では、何十もの実験結果がみごとに論理でつながれて、これまで解明されてこなかった現象を1つ、理解可能にしている。
完全新作のメニュー数十個から構成されていて、かつ物語を強く感じさせるコース料理、と言ってもいいかもしれない。

今日の話は、それぞれの職業・分野にはそれぞれ見えないところに必要なリソースがあるというだけのことで、研究にかぎった話ではないと思う。
ただ、研究おいてはこんな雰囲気ですよ、というのが少しでも伝わればいいなと考えて料理を例に出した。
生物実験は、物を混ぜたり、加熱したり、型にはめたりと、作業だけを見れば本当に料理やお菓子作りに近いのだけれど。

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