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ドッグヴィル、空間の描写

工学部の風力実験棟の防音設備に似ている。すべての音をすいとる部屋に私はひとりうずくまっている。

白い厚い壁と床の向こうに怒りの気配がする。殺意、黒いなにか。殺意、わかっている。知っている。応答できない。殺意から隠れて、でも隠れられていないのも知っている。

壁が破壊される。

まず手が、そして目がくる。数百、数千、数万、押し寄せる憎悪と殺意と純粋な悪意。

気づくと時間が経過している。遡れば記憶がごっそりと欠落している。

硬直、後弓反張、脱力、交代。
自傷、自傷、自殺企図。

交代時に椅子から落ち、硬直して皮膚を強く引っ掻く。

爪に血が入る。汚い。

だから私は気を取り直して記述することにする。主治医のモデルによると解離症は空間的変容から時間的変容へと段階的に発展していくという。空間的変容は離隔の体験で、時間的変容は時間の欠落である。主観的体験として記述するならば空間的変容の体験の方がよりMultiple Personalの感覚に近い。多重化した自己が動いているのを見ている、コントロール不能の他者としての自己が動いていくのをただ見ているしかない。夢で体験することもある。目覚めている状態で体験することもある。多重化した自己。

「多重人格になっちゃったみたいな感じですあはは」と私は、彼女は言った。

いやその段階ならば解離はまだ浅い、と彼は語る。

彼女がレイヤーと呼ぶ感覚のうちの一部:幻覚、幻聴、フラッシュバックは空間的変容と時間的変容の中間にあるものなのかもしれない、と彼は語る。

彼女のケースが時間的変容を主訴とする症例であることを考えると、時間的変容を片方の極とすれば、この幅広い意味をもつレイヤーと空間的変容を主徴とする悪夢、カタトニア、これらは空間的変容サイドに寄った症状であるといえそうだ。

彼が語り終えて正面を見たまま石像のように固まる。

僕がふと見回すと、私と彼女らはまたあの実験棟にそれぞれしゃがみこんで震えていた。

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