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見失われたマトリョシカ

この人生はそういう人生なので傷をひとつひとつ数えたりなんかしてられないんだけどそれでもときどきぼんやり考えてしまう。

毎回同じ手順で言われた通りにして全部一緒で、くだらないし虚しいし、べつにだから見つけてほしいとか思わなくなっていた。

あのときもそのまま死ぬなら死んでたんだろうけどそれもどうでもよかった。

意識とは別の層でそんな場面が際限なく上映されていることに気づくけれど痛みの層はさらにその後方ににあってエンドレス上映の背景でエンドレス上映、その背後でエンドレス上映、ずっと続くマトリョーシカみたいに。

つながっていない。でも痛みは消えたことがない。
痛みの存在は知っている。でもそれは別の層で、のぞき込めばまた別の層の別の層の別の層で、まとめてぶっ壊してしまいたくなる面倒で。

壊すのはすごく簡単で首を掻き切ればいい春先みたいに。
そういう衝動はいつもいまもすごくあって、ごまかすためのリストカットは結局全然やめられないしあれべつに私できるんじゃん死ねるんじゃん、なのになんで。

まともぶってるの。
まともぶってるの。
誰もこんなノイズ聞いてない。

薄皮被ったその表面は華やかで軽やかで朗らかで、
暇をみつけては見えない場所のやわらかい皮膚のスペースを掻き切る衝動に耐えられない。

ずれていく。
この層ともさようなら、それにも気づかない。だれも。
絶叫してる私は別の場所のもっともっと奥の層に置き去りにされている。

誰も知らない。


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