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ゲイだから、


「実は、ゲイなんです。」

僕がそう告白した時に驚く人は、知り合いの中でどのくらいいるだろうか?

ここ数年、メディアでLGBTQ+という言葉を目にする機会が急激に増え、巷では"SOGI"という言葉をより積極的に使っていこうとの新しい動きも出てきているらしい。当事者の1人である僕でさえついてけていないほど、今の世の中にはセクシャルマイノリティに関連する情報が、当たり前に溢れている。

※参考→SOGIとは

一昔前はひっそりとしていた印象のゲイ界隈も、ここ数年で一気に変わっていった。顔を公表して活動している人気のゲイYouTuberなんて人もたくさん存在している昨今「ゲイなんて初めて見た〜!本当にいるんですね〜!」なんて、当事者にとって心無い言葉をかける人はとても稀有な存在なんじゃなかろうか。


「ゲイだから」?
関係が続く友達を作れなかった過去

僕は今年で30歳になり、様々なことについてよく考えるようになった。将来について、仕事について、健康について、親の介護について…そして、ゲイとしての自分について。

改めて言うが、僕はゲイだ。物心ついた頃から薄々気付いてはいたけど、自分がゲイという事実を受け入れることができたのは、ここ数年の話である。

それまではと言うと、思春期と呼ばれる時期の大半を、酷く根暗な思想で無駄に過ごしてきた自信があるし、所謂『青春』と言うものとは無縁の人生を送ってきた。

自分がゲイだということを言い訳に、様々なことを諦め、努力という文字を辞書に記さないような人生。自分が何事をも諦めるのは、ゲイのせいだと決めつけていた。そして「こんな自分を好きになってくれる人なんていない」「本当のことを打ち明けたら、きっと皆離れていくんだ」と、人間関係についても蔑ろにすることも多かった。


カミングアウトできていたら、
今でも仲良くしていたのかな。

小学校の頃から幼馴染だったしょーちゃん、ふくちゃん、勝山、くさっぴー。よく遊びに誘ってくれたサッカークラブの皆。手紙で謝ってくれたけど酷いことを言ってしまってごめん、小6の夏に気まずくなっちゃった小島。卒業した後も手紙のやりとりをしてくれた河本。中学の頃よく「イケメン」と言ってからかってきたけど仲良くしてくれたたっくん。漫画家かイラストレーターになってるかな、からかわれて泣きそうになっていた僕をかばってくれた山本。いじめられて辞めちゃったけどもっと一緒に走りたかったな、陸上部の皆。中2で隣の席になって歩み寄ってくれた木下さん。放課後たくさんの時間を放送室で一緒に過ごした放送部の皆。高校の頃ずっと仲良くしてくれてたオタク仲間の佐藤。生意気で憎めないやつだったけど自分を貫いてかっこよかった岡本。進路について親身になってくれたあさの先生。「何で入ったんだこいつ?」って思うくらいやる気なかったけど、一緒に頑張ってくれた生徒会メンバー。一年で中退したけど、付き合いの悪い僕を仲間に入れてくれた大学で同じグループだった子たち。Twitterで馬鹿みたいに朝まで呟いて、皆で規制されまくった関クラメンバー。「良い声だね」と褒めてくれたこえ部の皆。一緒に歌ってくれた歌ってみた仲間の皆。絵を描いてもらったことをきっかけにビックリするくらい打ち解けた唄くん。セブンイレブンのオープニングメンバーで一緒に働いた皆。初めての正社員雇用を応援してくれたドラッグストアのスタッフさんたち。謎キャラとして不思議な僕を面白がってくれた無印良品の皆。「同性同士の恋愛とか全然良いと思う」と言ってくれたのに咄嗟に反応できなくてごめん、職業訓練校でクラスメートだった皆。無口だったのに退職前に突然喋り出した僕を面白がってくれたアーバンチームの皆。果敢に喋りかけてくれた山本さん。いつでも戻ってきてねと優しく言ってくれたチーフ。正式なお返事をせずに本当にごめんなさい、新しい職場に馴染めなかった時に何度も新部署に誘ってくれたふじさきさん。

皆はいま、どんな人生を歩んでいるのかなぁ。



30歳になった今、過去関わってきた人間関係を思い返す中で、たくさんの人の顔と後悔の念が蘇ってきた。

本当はもっと、もっと仲良くしたいと思っていた人達。だけど僕は、自分の深いところを知られるのが怖くて…話したらきっと皆離れていってしまうと思い込んでいて、関わることから逃げていたんだ。

たらればで後悔するなんて、生産性のないことだとわかってる。けど、最近よく考えてしまう。「自分がもっと早くに自分を受け入れていたら、打ち明けていたら、疎遠になることはなかったのかな」と。


30歳になって
"ゲイとかノンケなんて関係ない"
そう思いたい気持ちが強くなった

人間関係について、最近になってやっと分かったことがある。それは『自分が思っているほど、他人は自分のことに興味がないよ』ということ。

相手が自分と異なる部分を持っていたとして、酷く非難してくる人なんてほとんどいない。そんな人がもし現れたとしたら、すぐに距離を取ったほうが良いということも心得ている。

そして僕自身も歳を取ったからか、以前よりも人の目を気にすることが減った気がしてきている。今までは相手がどう思うかとビクビクして、何事にも躊躇することが多かったけど、良い意味で深く考えないで済むようになってきた。

「そんなに気にしすぎなくて良いんじゃない?」と。

あの人はノンケだから仲良くなれない、とか。
自分はゲイだから大人しくしなきゃ、とか。

そんなことを深く考えずに「この人とはもっと仲良くなりたいな」みたいな、その時その時の気持ちを大事に生きていきたい。そう思った30歳の初夏。

しかしまだまだ自分の中では『他人と深く関われるかどうかは、カミングアウトの有無が大きい』と、自ら壁を作ってしまうような想いを巡らせがちだ。

更に言えば、相手がゲイの人でも「この人は仕事バリバリやってそうだから話が合わないかな?」とか、「この人はモテるだらうから俺なんて眼中にないだろうな」と思ってしまうこともある。100%真実の気持ちは本人にしか分かり得ないものなのに。

そんな凝り固まった考え方も、徐々に変えていけたら良いなと、未来の自分に期待を寄せたいと思う。

今までの人間関係について改めて振り返る中で気づいたこと。自分が踏み出せなかったのは「ゲイだから」ではなかった。自分のことを認めてあげられなかったからなんだ。そう思えただけでも、一歩前進かな。

仲良くなり切れなかった人達に今更連絡しようなんて、思っているわけではない。それでも、今後何かの縁が巡ってきてまた再開することがあったら…ゲイとかノンケとか関係なく、目の前の人と過ごす時間を大切にしよう。

簡単なようで難しいことだと思うけど、30歳になってふと芽生えてきたこの感情を、焦らずじっくりと育んでいきたい。


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このnoteは僕が配信しているPodcast番組「今夜はヨーすけと語りませんか?」第46回【ノンケの友人との付き合い方】の収録後に想い巡らせた、エピローグ的なものとなります。もし宜しければ、より気楽にお喋りしているPodcastの方も、併せてお聴きいただけると嬉しいです。

皆さんにとって「友達」とは、「人間関係のあり方」とはどんなものですか?

人によって他人との"関わり方" "距離感"は様々。そんな十人十色な違いをも乗り越えて、今繋がれている友達やパートナー、家族の存在は特別で、儚く、とてもありがたいものだ…と、僕にとってそんな大切なことを改めて考えられる、とても良い機会になりました。

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