シン・エヴァンゲリオン劇場版のよかったところ【ネタバレ】
初日、見てきました。
色々な思いが混在しているので悪かったところと分割して書いてます。
悪かったところはこちら。
エヴァと私(共通)
エヴァとの縁は中学生当時、リアルタイムにTVシリーズ放送にハマって以来の長い付き合いです。
旧劇・新劇にも欠かさず劇場に足を運んできました。
日本中に無数にいるリア中チルドレンの一人です。
リア中チルドレンにとっては今日のシンエヴァ上映は一大行事。
事前にBDで序破Qを視聴して内容を頭に入れたうえで、昨日は「冒頭映像とか余計なことすんじゃねーよ」と思いつつTwitter断ちをして視聴に望みました。
そんなわけでここからよかったところです。
よかったところ(ネタバレあり)
・優しい物語だった
シンエヴァ上映前、私は“都市風景と食事”を一つの注目ポイントとしていました。
序破Qを通して視聴すると、この2つが丁寧に描写されていることに気づきます。
穏やかに描かれていた第3新東京市/NERV本部の通勤風景がニアサードで崩壊した世界に取って代わられていく。
レトルト食品が暖かな家庭料理やお弁当へと変わり、人間味の排除されたペーストが機械によって配膳される。
この分だとシンではどれだけ過酷な世界に描写が変化されるのかと。
実際、L結界に包まれた赤い世界は厳しい世界でした。
ところが舞台は早々に第3村に移り、のどかな農村の風景と鍋という暖かい料理へと描写は変化します。
優しく描写される世界で旧友(死んだと思ってたトウジは生きてたしケンスケはやたらカッコいい)に見守られるシンジ。
同世界で人間性を獲得したアヤナミレイとの交流→死を経て、あえて村を後にして戦場を選んだシンジ。
色々ありますが結局この描写がシンエヴァの本質だと私は思います。
・シンジの物語としてしっかり完結していた。
シンエヴァは最終的に視聴者をエヴァの世界から現実へ送り返すような内容になっていて、それは旧劇のラストの踏襲に見えます。
でも庵野監督から(シンジを通して)私達に「お前らとっとと現実世界に帰れ」的な断絶のメッセージを投げられた旧劇と違って、シンエヴァはあくまでシンジの目線で展開してシンジから私達へ送られたさようならのメッセージだったのではないかと。
その観点だと、旧劇の後に実写映画を撮っていた庵野監督がシンエヴァの前に実写映画(シン・ゴジラ)を撮っているのは面白い対比ですね。
そしてこの後にシン・ウルトラマンを撮るというのもある種一つの物語になっているのかも。
・ミサト(とシンジ)の物語としてしっかり完結していた
序で内向的なシンジに苛立っていたミサトさん。
ヤシマ作戦結構前にシンジと手を繋いで「みんな一緒よ」と励ましたミサトさん。(このシーンの「その運命があなただったってだけ」というセリフがすごく好き)
破でシンジを引き留めようと手を伸ばしたのにかわされてしまったミサトさん。
覚醒した初号機に「行きなさい!」と檄を飛ばしたミサトさん。(リツコさんはちょっとドン引きしていた)
そしてQでシンジと目を合わせずに「あなたはもう何もしないで」と言い放ったミサトさん。
それでもシンジをDSSチョーカーで処理できなかったミサトさん。
この破からQの態度の反転はQ視聴当時ショックでした。
(だからツッコミどころになってるし、『これまでのヱヴァ』でもネタっぽくほぼカットが連続してる)
でもシンジが「何もするな」って言われて責められるのはおかしいと思うんですよ。
サードインパクトを起こしたのはSEELE/NERVのMARK.06なのでシンジが世界を滅ぼしたわけではない。
たしかにシンジの起こしたニア・サードインパクトで第3新東京市の人達が死んだから遺族に恨まれるのは当然だし、インパクトのトリガーとして危険だからエヴァに乗せたくないのもわかるけど、だからといって何も理解できてないシンジにあんな態度を叩きつけていいのかと。
シンジが明確にミスしたのは止められてるのに勝手に槍を抜いてフォースを起こしたことだけど、それもヴィレクルーの態度が酷いから躊躇なくNERVへ行ってしまったわけで。
その点について“そもそもシンジがいなければ人類は終わっていた”とシンエヴァではミサトさんの口からしっかり擁護があって。
それを受けたシンジも「半分背負うよ」とミサトさんに対して向き合って。
シンジの横(序)→シンジの後ろ(破)→シンジを見ない(Q)と来てついにシンジと抱き合ったのは明確に意図されてのことでしょう。
このミサトさんに向き合ったシンジは大きかったです。
ミサトさんがシンジをかばって撃たれて最期は爆死ってところだけを切り取るとまるで旧劇をなぞっているだけに見えるけど全然違う。
一方的にシンジを引きずっていってエレベータに乗せたミサトさんじゃない。
このシンジとミサトの物語がなかったら、シンジとゲンドウの対決は成り立たなかったのではないかと。
そしてミサトさんが槍を届けられることもなかったのではないかと。
・シンジとゲンドウの決着がついた
シンジに対する思いが漏れてくることはあっても、シンジと向き合わなかったゲンドウがシンジと対峙した。
エヴァとは思えないほどわかりやすすぎる精神世界で親子喧嘩を繰り広げる初号機と第十三号機。
シンジと同じようにあの電車に乗るゲンドウ。
エヴァという物語はシンジとミサト、シンジとゲンドウから始まったので、明確にこれで終わったのだなと。
・ケンスケがいい大人だった
すごくいい立ち位置でしたね。
シンジを自宅に案内するケンスケを見て、TVシリーズだと家出したシンジと一緒にキャンプしてたのを思い出しました。
あれこれ言うわけでもなく、怒鳴りつけるわけでもなく、“好きなだけいてくれたらいい”と言ってくれる。
幼稚な性格をしてエヴァに憧れていたケンスケがこんな大人に成長している。
Qでシンジと一緒に感じた断絶とは別の意味で時間の流れを感じましたね。
そしてアスカに“ケンケン”と呼ばれているケンスケ。
ちょっと意外に思いましたけど、人間時代のアスカを知っていてエヴァと無関係だった人間ってたぶん委員長・トウジ・ケンスケくらいしかいないんですね。
それでトウジと委員長は結婚して子供がいるから、たしかにケンスケしかいない。
シンジに余計なことを言わず優しく接してくれたケンスケならアスカにも同じように接してくれるでしょうしね。
こういう登場人物が親密になる展開って“とりあえず余ったもん同士くっつけてみました”的な臭いがするとどうにも受け入れられないんですけど、アスカとケンスケは自然に思えますね。
そうやってあらためてケンケンを思い返すと、どこか加持さんを思わせるような。
もしかしたら何か加持さんと縁があってヴィレの下部組織にいたのかもしれない・・・面白いキャラになりましたね。
・マリに明確に役割があった
正直言ってもう、“外見通りの年齢ではなく実はゲンドウ・ユイの同窓生”という設定は回収せずにアクション要員としてしか出番がないのではないかと思ってました。
ちゃんと回収しましたね。
さすがに細かい説明はありませんでしたが。
シンジと衝突してトラックを27に進めたマリが、新劇から追加された8号機達でシンジの元へやって来る。
マリと一緒にシンジは去っていく。
このためのマリだったんだなあと。
レイでもアスカでもなかったのは寂しかったですけどね。
・ループ関連の話題について回収されていた
長年エヴァを見ているとこの辺ももう流すんだろうなと。
序上映当時にカヲル君のセリフを聞いて「本家も二次創作みたいにループした!?」となったのももはや遠い昔ですね。
ほぼほぼ詳しい説明はありませんでしたが、その昔エヴァの二次創作小説をネットで読み漁っていた人間なので「アダムの力的なもので第一話冒頭に戻っちゃうアレね」となんかわかった気持ちになりました。
・カヲル君についてもきっちり回収されていた
これも長年エヴァを見ていると流すんだろうなと。
「あー意味深なこと言ってたけど今回もこういう役回りか〜」みたいな。
よくわからないところもあったけど、まあ終わったんだなと。
ていうか超然としてるけどシンジ君の幸せが何かあんまり深く考えてないよね?という点にもメスが入っててちょっと笑いました。
・アスカの眼帯について回収されていた
これも長年エヴァをm(以下ry
序破Qでは惣流アスカと違って使徒に負けなしで人当たりも若干マイルドでな式波アスカさんでしたが、ちょっと惣流化しそうでヒヤヒヤしました。
でもなんだかんだいってアスカなりにシンジと向き合ってたから、シンジからちゃんとした言葉が返って来て綺麗に終わりましたね。
というかアスカの物語は破、そしてQまでにあったであろう出来事である程度決着しているんでしょうね。
心残りとしてシンジがあっただけで。
・綾波レイが登場した
Qの流れからしていきなりリリスモードであの綾波レイとしては登場しない可能性もあるな・・・と思ってました。
あっさり出てきてあっさり退場しましたが、綾波の物語も破で決着しているのでそれでいいのです。
・人類補完計画がちょっとわかりやすかった
さすがに全てのギミックを懇切丁寧にしてくれるわけはないですけどね。
旧劇だと「ゼーレの計画か」みたいなこと言って槍がエヴァに刺さったらすごいことになるだけだったので随分説明されている気分になります。
まあある程度言葉で説明しないとミサトさんが槍を作って届ける展開にならないから当然ではあるのですが。
・とにかく親切
とにもかくにもシンエヴァは一々丁寧に回収してくれたなあという印象です。
そりゃあ上映時間も長くなるわけです。
そして優しい。
この親切さは時代の流れというより、エヴァを畳みに来ている感じがしました。
TVシリーズの最終回や旧劇のあのラストで投げ出されて色々勝手に視聴者が想像して広がっていったのに対して、シンエヴァでは「あれはこういうことでこれはこういうことだったんだよ」とその余地を残さない。
祭りを経て、私達も庵野監督も“エヴァの呪縛”から解放されたんだな、と思いました。
ネタバレなしでよかったところも書こうとしたけど、よかったところを書こうとするとどうしてもネタバレになっってしまいますね。
期待に対してとかクオリティとか色々思うところはあるけど、それでも初日に見に行ってよかったです。 ■
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