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狭山丘陵周辺の大山道、五日市街道砂川口大山道(府中街道所沢口大山道)

大山道シリーズ、これまで、

と、来ましたが、今回は、前回同様、狭山丘陵周辺の大山道で、五日市街道砂川口大山道(府中街道所沢口大山道)をexploreします。

◇■□◆

五日市街道の砂川三番交差点の一つ西の信号丁字路に、大山道道標があります。

この道標が立つ、五日市街道から南下する道も、"大山道" という呼び名になっています。

ですので、この道標から南に向かう道は、間違い無く大山道ということになります。

迅速測図でルーティングしてみると、

五日市街道砂川口→昭和記念公園で道消失→昭和記念公園西交差点で道復活→東中神駅東側踏切→昭和公園西→福島交番前交差点・・・

ここからは2通りのルートが考えられます。

  • 広福寺→向宿の子持地蔵→昭島市福島町三丁目交差点の東の辻→協立包装材がある交差点→道標→築地の渡し

  • 伏見稲荷手前小道を左に入る→7/11がある交差点→井上電設がある交差点→道標→築地の渡し

が、五日市街道の道標からここまでずっと県道クラスで、福島交番前交差点以降は、前者が両実線の県道クラスに対して後者は片実線片点線の村道クラスであること。また、前者の方は、広福寺、向宿の子持地蔵と、史跡もあることから、今回は前者のルートを採用することにします。

これで、五日市街道の道標から南はルートが確定しました。次は北です。

迅速測図を見てみると、五日市街道の道標、砂川三番の交差点から真っ直ぐ北に、青梅街道の大曲の少し西まで、村道が走っています。

そのまま青梅街道を北上すると、真福寺に向かう坂道との丁字路に庚申塚があり、ここに、馬頭観音道標があります。

北 山口
南 八王子

繋がりましたね。

更にその先(北)は、ということで、"北 山口" ですから、このまま青梅街道を行き、大橋の地蔵尊がある交差点から笠松坂を上り、坂上に至り、ここに、地蔵尊道標があります。

右 山口 所沢
北 三ヶ嶋 扇町谷
南 砂川 八王子道

はい、またしても繋がりました。

道標の示す通り、右へは一本点線徒歩道があり、慶性院旧地を経由して山口観音に向かい、埼玉県道55号所沢武蔵村山立川線で所沢に至り、元町の交差点で、府中街道(埼玉県道6号線)に合流しています。

また、この地蔵尊道標は、"北 三ヶ嶋 扇町谷" とも彫られていて、この地蔵尊道標を経由して、三ヶ島や扇町谷にも続く道でした。扇町谷で日光脇往還に合流しています。

ですので、大山に向かう道、という見方をすると、これまで述べたのと逆向きに、

  • 府中街道所沢口→山口→笠松坂坂上地蔵尊道標→青梅街道大曲馬頭観音道標→中砂新道・学南通り旧道→五日市街道砂川口大山道

  • 日光脇往還扇町谷口→三ヶ島→笠松坂坂上地蔵尊道標→青梅街道大曲馬頭観音道標→中砂新道・学南通り旧道→五日市街道砂川口大山道

という大山道ルートが、2つ、出来上がりました。

ということで今回は、2つ、ルートがあるわけですが、道標に従い、府中街道所沢口大山道を行きたいと思います。

しかしその前に、所沢スタートだったら、そのまま素直に府中街道を府中まで行って、甲州道中府中口大山道を行けば良いのに、と、思いますが、その理由は、ズバリ、シルクロードなんじゃないかと思います。


自転車道で多摩湖まで。多摩湖からは府中街道で所沢まで。

まずは、所沢鎮守、所沢神明社に訪問です。二度目の訪問。

所沢神明社、"口碑に往古日本武尊東夷征伐として東国に渡り給いし時、当郷小手指原に陣せられるに及んで当所に御休息ありし時、当国永遠の平安を祈られて皇祖天照大御神を祀られ給う。後に土地の人々これをかしこしとして社を祀ると世々言伝う。"

スタート地の鎮守だから、ということで訪問することにしたんですが、社記によれば、明治22年に、阿夫利神社を合祀しています。この道が、大山道である証拠とまではいかないかもしれませんが、補足事項ではあるでしょう。

所沢神明社の西隣には、新光寺があります。こちらは三度目か四度目の訪問。

新光寺、本堂と観音堂。寺伝によれば、本尊聖観世音菩薩は行基作、建久四年1193源頼朝が那須野鷹狩の際、ここで昼食をとり、幕舎の地を寄進。元弘三年1333新田義貞鎌倉攻の際は、往路必勝を祈願し、復路土地を寄進した。

行基、頼朝、義貞とスーパースター揃い踏みですが、ここは、大山道ではお馴染みの、道興が、廻国雑記に記しています。

西武池袋線を越え、山口に入っていきます。ここに、来迎寺があります。

来迎寺、本尊三尊の彌陀立像にて長三尺餘、眼中へ真珠瑪瑙を入る、この像を車返しの彌陀と呼、其所以を訪ぬるに、此像元奥州秀衡の守護佛なりしを、右大将頼朝の所望に因て鎌倉へ持行んと、奥州よりはるばる携出武蔵國府中の車返村まで来りしに、此事鎌倉へ聞へしかば、車を牽来て迎へけるに行逢たり、然るに此像鎌倉へ行くことを欲せず、此堀之内の地に安置せよとの告ありければ迎の人々空く車を返しけるとなり、夫よりかの車返の地名も起りしといへり、脇士観音勢至長各四尺、此二像は運慶の作なりと云、門前に建長八辰二月廿八日と書せし古碑立り、いかなる碑なること詳にせず。

ということで、何度か訪問している本願寺の車返り伝承と繋がったお寺なんですね。加えて、この道が、奥州と鎌倉を結ぶ古道である証拠と言えそうです。

先を行きましょう、言わずと知れた、中氷川神社です。ここも二度目か三度目。

中氷川神社、927年制定の延喜式之論社

先を行きましょう、山口観音です。

吾庵山金乗院放光寺、通称山口観音、奈良時代、行基本尊十一面観音自刻が草創、弘仁年間810–824空海が、この地の疫病を鎮めるため護摩行を行ったとの伝承有り。

ここから、尾根道に上りますが、既述のように、本来ならここから、慶性院の脇を通って笠松坂坂上の地蔵尊道標に行くのですが、多摩湖で消失していますので大きく迂回です。その途中に、湖底に沈んだ慶性院の移設された慶性門があります。

慶性門

堤道を行き、多摩湖の南岸の尾根道に出て、笠松坂坂上の地蔵尊道標です。

笠松坂坂上地蔵尊道標
右 山口、所沢
南 砂川、八王子
北 三ヶ島、扇町谷

はい、右から来ました。ここらは道標に従って南に行きましょう、大橋の地蔵尊がある交差点を西へ。ここから青梅街道に乗り、大曲の手前に馬頭観音道標です。

大曲馬頭観音道標
みなみ 八王子
きた ふじ山、やま口

どう考えても、"ふじ山" ですよ。富士山は北ではなく南です。さて、どういうことか。

これは、谷津仙元富士のことではないでしょうか。谷津仙元富士の講が立ったのが寛政年間、1798〜です。この馬頭観音道標は1801年ですから、整合しますね。

歴史的農業環境閲覧システムより、下の赤点が馬頭観音道標、上は谷津仙元富士です。馬頭観音道標の北にありますね。

はい、では道標に従い南下し、玉川上水を金毘羅橋で渡り、その由来となった金比羅山は少し西にあります。

山頂の浅間神社

はい、名前は金比羅山ですが、元は富士塚ですね。スタート地点の狭山丘陵もそうですが、この辺りは富士山の眺望がきくこともあるのでしょう、富士山浅間信仰が盛んで、養蚕と結び付いているケースもあります。

程無く、五日市街道砂川三番交差点から、大山道道標です。

五日市街道砂川口大山道道標

先を行きましょう、昭和記念公園で道消失していますので迂回し、ややこしいですが、昭和公園の郷地村青年団道標です。

左立川停車場に至る
右福島中神渡舩場近道

先を行きましょう、本日初の

福島交番前交差点からの大山の眺望

を眺めながら、プロローグでご紹介した、

広福寺、1363年創建
向宿の子持地蔵

と、やり過ごし、多摩川の土手道の手前には道標があります。

やや左にある角柱です。奥に続く道は今来た道。
東郷地立川
西中神拝島
南小宮八王子

そして、

築地の渡し、大山も見えます。

です。


如何でしたでしょうか。

路傍の道標と迅速測図でルーティングするのが楽しかったですね。

狭山丘陵周辺の大山道道標は、前回と今回の2つだけのようですが、今回正にご紹介したように、狭山丘陵周辺から府中、八王子に向かう道は、府中通り大山道、八王子通り大山道に繋がるわけですから、全て、大山道と呼んで良さそうです。

次回以降、そういった視点で、路傍の道標と迅速測図とで、ルーティングして、大山道をexploreしたいと思います。

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