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御嶽道、養沢ルート

御嶽道シリーズ、これまで、

と、来ましたが、今回は、養沢ルートをexploreします。

御嶽山への南からのアプローチは2ルートあって、一つは初回にexploreした南御坂の大久野ルート、もう一つがこの養沢ルートです。

武蔵御嶽神社発行の武州みたけによれば、南御坂大久野ルートが、最初の表参道で、青梅街道が開かれると、次第に、北御坂が表参道になっていったということです。

じゃあ養沢ルートは?!

1810 - 30の風土記にも、"大野坂" として、このルートは御嶽山への道筋として紹介されてますから、少なくとも、その時には成立はしていたんですが、"御坂" としては、認識されてないということですから、裏道、生活の道としての性格が強いのかもしれません。

風土記の記述: 大野坂、村の西北散地の内にあり、これは御嶽への通路なり。

五日市線の武蔵増戸駅まで輪行、鎌倉街道山ノ道を南下し、山田橋で秋川を渡って、網代トンネル北交差点で折り返すように、古甲州道の旧道に入っていきます。

弁天橋を渡って、日向谷戸からの道が合流した所にお地蔵さんがあります。

網代集落のお地蔵さん

秋川の右岸は五日市線も五日市街道も通っていて賑やかですが、左岸は長閑です。私はこっちの方が好き。

このお地蔵さんを左に右に目をやれば畑越しに大きなお屋敷が

先を行きましょう、高尾の集落に入りまして、大光寺です。

大悲願寺末、 真言宗豊山派、 文亀2年1502、高尾村領主平山氏の祈願所として、不動尊を安置して明王院と号したのが始まり

大悲願寺は開山の澄秀が醍醐の三宝院に関係あったということで、醍醐の三宝院と言えば真言宗系当山派修験総本山ですから、ここ大光寺も、修験の影響があったかもしれません。

直ぐ隣には高尾神社があります。

写真の通り、見事な存在感、空気感でした。創建詳らかならずですが、この杉の古木が嘗ての鳥居の役割を持っていたのだとすると、かなりの古社ということになります。

さて、高尾神社の境内社に、御嶽神社があります。直ぐ近くですから、大光寺との関係もあるのだと思います。修験の繋がりでしょうか。

御嶽神社

先を行きましょう、留原を過ぎ、小和田に入った所に道標がありました。

右 大・・・山、指でなぞったり、かなり粘りましたがこれ以上は分かりませんでした。

この道標の南側の山の頂上に、御嶽神社がありますが、今回スルーしてしまいました。前回訪問時の写真を載せておきます。

小和田御嶽神社鳥居
実に特徴的な狛犬ならぬ狛狼、上記共に2021/9撮影

創建詳らかならずですが、この御嶽神社の江戸時代の社名は、金峰山蔵王権現です。山号がついてるんですよ。面白いですね。

この先、小和田橋手前から旧道が残っています。

新緑が映えて質に美しいです。

小和田橋近くには道標があります。

東側、向右五日市御嶽山道
北側、向右廣徳寺今熊山道、左川口八王子
南側、大正四年十一月十日
西側、御大典紀念三里青年団

ということで、向きは変えられてますね。続く旧道を行き、

小和田橋の先にも続いています。

佳月橋で秋川を渡り、

向うには特徴的な形をした城山

黒茶屋の東から五日市街道に入り、小中野のY字路を左、子生神社に寄ります。

子生神社

1504年、両部神道修験者阿闍梨法印朱学院の創建ということで、ここも修験です。

先を行きましょう、喜正ブランドでお馴染みの野崎酒造の前から西へ激坂を上ると三島神社がありますが、ここには、多摩のあゆみによれば、非公開ですが、鎌倉〜室町期の木造蔵王権現立像があります。

右が三島神社拝殿、左は元不動堂。蔵王権現立像といい不動堂といい、修験の雰囲気があります。

先を行きましょう、十里木のY字路を右に行かず暫くすると追分です。ここからが御嶽道養沢ルートのスタートです。

僅かに残る旧道

旧道は廃道となって橋は撤去されてますから迂回します。荷田子の交差点を北へ、茶房むべ、乙訓おやき店の先の丁字路からルート復帰です。

ここから予想外に上りでした。名も無き峠には石塔群が。猿田彦庚申塔は、道標を兼ねていましたが摩耗して読めませんでした。

左 やま・・・

折角上ったのに下って養沢川です。軍道の集落で高明山に向かって激坂を上りますと、高明神社があります。

高明神社

元は高明山山頂にあった熊野権現です。完全に修験ですね。

下って御嶽道に復帰し養沢川を遡上します。

本須の集落にも熊野権現がありました。

1441年創建の伝承があります。良い雰囲気です。

更に遡上し、怒田畑、木和田平、神谷、上養沢と行って養沢神社です。

元々アラハバキを祀っていた上養沢神社に、大正4年、地区の神社を合祀。先程訪問した本須集落の熊野権現もその一つです。

ここには、御嶽山道標があります。

右みたけ山道

先を行きましょう、上養沢橋の袂には、嘗ての御師の家が残っています。

嘗ての御師の家

先を行きましょう、少し先には御嶽山への道標があります。

御嶽山道供養塔、弘化4年1847

柿平橋からはグラベルになりますので押しです。15分程で大野坂に到着しました。

大野坂入口、ここから日の出山を経由して御嶽山となります。

如何でしたでしょうか。

しっかりと、御嶽道としての痕跡が残っていましたね。

これで御嶽道シリーズは完了ですが、やはり、修験の影響が非常に大きいと感じました。

天台宗系本山派修験の熊野神社、天台宗寺院、真言宗系当山派修験の真言宗寺院、御嶽神社そのものが、御嶽道沿いに点在していました。

北御坂は基本的に青梅街道が開かれてから、南御坂はその前ということですが、この養沢ルートは、古甲州道からの御嶽道ですから、古くから開かれていた可能性があります。

桜、新緑の中のサイクリングも非常に楽しかったです。

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