見出し画像

ヴィパッサナー瞑想

2018年の終わりにヴィパッサナー 瞑想の10日間コースへ行ってきたときのお話し。
坐るのは3度目でした。
ここでは、いつも気づくことや勉強になることだらけです。
すご〜く濃厚な10日間なのです。
 
コースはいつもすぐにキャンセル待ちになるほど人気があるため、申し込み開始日に申し込むようにしています。

2018年の4月には、初めて奉仕を行いました。

それはそれはとても素晴らしい時間を過ごしました。
まるで前から知っていたような居心地の良い仲間たちと過ごした日々は忘れられません。
瞑想するよりも奉仕活動のほうが、沢山のインプットがあった、と思いました。
ちなみに、瞑想することを”坐る”と表現します。


10日間の瞑想修行へ、心も体もワクワクしながら準備をしていました。
ところがコース開始の10日ほど前、
人手不足のため奉仕者に変更してもらえないか?というメールが届きました。
一度は承諾しましたが、結果現地で人数が足りたため、急遽坐れることとなりました。
ラッキーでした。感謝!!!ドタバタでした。笑


アーナーパーナ瞑想
 
毎日4時起床、4時半から瞑想です。
最初の3日半は、鼻の呼吸を感じ集中する
アーナーパーナ瞑想です。
 
最初の2日間は、私は睡魔という敵と戦いながら、慌ただしかった心を鎮めていきました。
今回、心の動きの速さを実感しました。
鼻の呼吸に集中すると、すぐに心は何か別のことを考え始め、呼吸のことは忘れてしまします。
これはよくあることなんです。
さまよい出てもすぐに鼻の呼吸に意識を戻せるようにならなければなりません。
心は野生の牛や象のようで、まさに狂気だと、ゴエンカ師の講話にありました。
飼いならされていない野放しの状態。
でも飼いならしていけば、コントロールしてうまく一緒に生きていける、
良きパートナーになれるとおっしゃっていました。
 
アーナーパーナをしているとき、心の動きを観察すると、なんの脈略もなくあちこちへいきます。
それもすごい速さで。
1時間の間に、心は連想ゲームをしたり、妄想したり、回想したり、次から次へと話題が変わっていきます。
最初の方は、たった1分間でさえ、今ここにある呼吸へ集中し留まっているのも大変です。
私は野生の馬にのって、手綱をひいてるような気持ちになりました。(乗ったことはありませんが笑)
ぼーっとして目を離すとすぐに、馬は好きな方へ走り出し、気づいたら森の奥深くにいたり、
海岸へ連れていかれてたり、というように。
 
あれ?どのくらい呼吸忘れてたのかしら?
となります。
手綱をきちんとひいて、乗りこなさないと!
 
客観的に心の動きをみながら、格闘した末に、ようやく危なっかしいけれど、
乗りこなせるようになっていきました。
横道にそれそうになっても、すぐに気づき、さっと手綱を使い方向を修正。周りのことに気付いているけど、呼吸に意識が向いてる状態が続きます。言葉にすると難しいですが。
そのときの心はとても静かで、心地がよく、リラックスしていて、呼吸は微かに鼻先でしてるか、殆どしていない状態になります。
そして、常に客観的に注意深く今ある呼吸を見つめ続けます。(監視員ですね)
 
 
4日目 ヴィパッサナー瞑想 へ
 
瞑想ホールの雰囲気はいいし、
心とも良きパートナーになれてきたし、
スムーズに静かな気持ちでヴィパッサナー瞑想に入っていきました。
体の隅々まで、感覚を調べていきます。
研ぎ澄まされた心で、平静な心で、注意深く見つめていかなければなりません。
 
ところが、6日目ころから徐々に嫌悪のサンカーラが頭をもたげてきました。
様々な理由で。
それは、だんだん強くなり、コントロールしたくてもなかなかできませんでした。
人は嫌悪の感情がでるときに、他人のせいにします。問題は外側にあると思ってしまうのです。
周りのせいで、私が集中できなくなってる!とか。色んな理由をくっつけたがります。
全ては自分の内側の問題なのに。
わかってはいるけれど、なかなか簡単にはいきません。うわべではそう思えても、心の奥深くの潜在意識は反応をしているんです。
 
気にしないようにしても、
そう思えば思うほど気になってきます。笑
その嫌悪の気持ちに反発をせず、見つめて受け入れて、そして心の平静さを保ち続けるようにひたすら試みます。
しばらく見つめ続ける。。。翌々日くらいにようやくすーっとその嫌悪が消えていきました。
それからは、自然に人のせいにするのをやめていました。
そして、無事に10日目が終わり、
メッターの瞑想、慈愛の瞑想で、心は穏やかに愛と慈しみの心で満たされます。
 
今回は始まる前から
色んなこと試されたなーと感じました。
おんなじ事やってるのに、毎回違う道のりになるんです。 
因みにヴィパッサナー 瞑想は、潜在意識の奥深くをゆすっていきます。
なので、夢がすごいんです。
とても鮮明だし、変な夢みたりします。
みんな寝言もはっきり言ったりします。
私は嫌悪のサンカーラを滅している時、
SF映画のような夢をみました。
ロボットに斧で襲われ、高層階からうんていを渡るようにして逃げる夢。
結構できるもんなんだなって夢の中で思っている夢、でした。笑
 
何かを滅していたのでしょうかね。笑
逃げれたので、きっとこれはもうすぐ過ぎ去っていくんだなと起きたときに思いました。
全ては変化している(アニッチャ)なのだから。
 
 
いつもいろんなことがありますが、
毎回新しい気づきがあります。
心の手術、浄化をしたあとは、愛と慈しみの気持ちで溢れます。
いつも、心からそういう気持ちが湧き上がってきます。
これは、この瞑想で自身が別人のようになった!ということではなく、
本来誰もが持っている人の本質が現れてくるということなんですよね。
人間の本質は本来はピュアなものですが、
生まれてから私達は、ずっと無意識のうちにたくさんの条件づけをして生きています。
今も常にそれは作り続けられています。
たくさんのレイヤーをかけて物事をみて、いつも好き嫌いを、判断しています。
そんな心の条件付けを、ヴィパッサナー 瞑想という心の手術によってある程度大きな古いゴミを取り除くと、
本来のピュアな姿がみえてきて、原点へと立ち戻っていきます。
 
私は、ヨガにも同じような効果はあると思います。
ヨガはブッダの影響を受けていると言われています。
アーサナで体を、プラナヤマで呼吸を使い、瞑想によって脳にアプローチしていくヨガのデザインは、
心にまで響いてきます。
継続、反復していくと、徐々に心の乱高下は無くなっていきます。
これは、私がやってきてみて、経験をして、自分なりにではありますが実感したことです。
もちろん、完璧な人?になることなんてないし、なる必要なんかありませんが、
体を整えていくと、心も整っていくし、その逆もあるなと実感しています。
呼吸を観察し、あるがままを受け入れて、内なる自分の声に耳を傾け気づいていること。
言うのは簡単で、なかなか難しいかもしれませんが、日常の中で少しでも意識してトライしてみることで
徐々に変化していくと思います。
 
ゴエンカ師がインストラクションの中で、
微笑みながら、という表現をされています。
私はその言い方が好きです。
間違っていても、できなくても、がっかりしないで、微笑みながら次へ進みましょう、と。
 
楽しいと思うのか、楽しくないと思うのか、幸せなのか、不幸せなのか、全ては自分の心次第、なんですよね。
微笑みながら、様々な荒波も乗り越えていきたいなぁと思います。
 
本質って、本当はとてもシンプルなのではないでしょうか?
難しく考えなくても、こんなことで?というような感じで答えは見つかるような気もします。
 
この複雑な今の世の中のなかでは、なかなか生きるのが困難な時もあります。
ですが、周りを変えようとするのではなく、自分自身の意識をほんの少しかえることで、ニュートラルな自分でいられる時間を今よりも明日は増やしていけるように心がけていきたいですね。
人生ってほんと修行ですね。
これからも微笑みながら楽しみながら続けたいと思います。

色々落ち着いたら、また坐りに行きたいと思います。

画像1




 

よろしければサポートお願いします。 お気持ちだけで大丈夫です。もしヨガの体験レッスンでお会いできたらすごく嬉しいです。また、シェアしてくださったら嬉しいです!これからもどうぞよろしくお願いします。記事は全て無料です。