師と先生の違いとは?

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この折ということでいろいろ議論はあるのかもしれない。

人生は一期一会。

そう思ったら向かわずにはいられませんでした。3月の三連休、東京で師のレッスンを受けてきました。

師は、マスター・スダカー(以下マスターと呼称させていただきます)。南インド・カンチプラム出身のヨガマスターです。マスターに初遭遇したのは2014年7月。当時住んでいた東京都日野であったヨガの講習会(以下:ワークショップ)がきっかけでした。

それからいろいろあって、今ホットな街・愛知県蒲郡市に移住し結婚に至る流れはまたの機会に…。おぅっ!もうすぐ四年目っ!!


三つの記憶

話は脱線しますが、先日人生初の回らないお寿司屋さんに行ってきました。そこで若き大将と修業時代から大将を知るお客さんの話を耳に挟みながら、お寿司をいただきました。

お客さん「いつか弟子はとるの?」

大将「自分がしていただいたように衣食住面倒を見ながら、伝えていただいたことを伝えられる人が現れたら、そうしてあげたいと思っています。でないと、僕の代で終わってしまうので。それだとなんにもならない。」


そして、また話は変わり、東京にいた頃に教わっていた先生がお話しされていたこと。

「師と弟子という関係は、弟子は衣食住すべてを捧げ、師がされること、話されること、寝食を共にして、すべて見て、聞いて、体験してこそのものなんだ。僕はそうしてもらったけど、今の世の中ではなかなか難しい。そういう意味では、僕に弟子はいないし、君たちの師でもない。先生と生徒、という関係かな」


そして、蒲郡に移住して妻と共に新生活を始め、愛知三河安城であったワークショップでマスターがお越しになるタイミングで、お披露目会という名の結婚式をさせていただき、マスターにもお越しいただきました。そこには僕の両親も仙台から来てくれて、マスターに初めて両親を紹介する機会に恵まれました。そこで、父がマスターに言った言葉は、

「息子のように可愛がってくれて、ありがとうございます」

それ、おとんが言っちゃうんですか!?と若干ではなく驚いた!(笑)


そして、今回のこの件について考え続けていたら、この三つのエピソードが僕の記憶の海の中から、プハァッ!と顔を出しました。


この折での継続学習

今回、この折と冒頭で表現しましたが、新型コロナウィルスが流行中。スポーツジムや公共施設など、ヨガインストラクターを生業とする者の多くが収入源としている場所が、次々と閉鎖に追い込まれています。いつ収束するかもわからない。そして、そうなると、当然、契約のインストラクターは、収入減、契約によっては無収入ということもありえる事態です。僕個人で言うならば、主戦場が自主サークルなので影響は少ない。とはいえ、カルチャースクールのクラスは、二月末の時点で三月はクラス非開催の連絡をいただきました。そして、公共施設を利用しているので、閉鎖になればクラスはできない、ということになります。幸い、別にレンタルスペースが見つかったので何とかなりましたが…。

そして、マスターのヨガ指導者養成講座修了生のための継続学習に参加した折、冒頭の写真のキーホルダーとカードと封筒がひとりひとりにマスターが手渡され、祝福をくださいました。

キーホルダーは、私たちの間では「タミルオーム」と呼ばれています。聖音と呼ばれる「AUM(オーム)」サンスクリット語のオームとまた一味違うデザインです。タミル語とは、南インドで広く話されている言語。

カードは、これまたタミル語で、「ヤーメリッカ・バイヤミン」意味は「すべてうまくいく」

そして、封筒の中身は、一万円が入っていました。福沢諭吉さんです。

「師からいただいたお金は、何倍にも成長するから」と通訳をされている中嶋円さんが仰ってくださいました。

しかし、私の個人的な考え方で言えば、なかなか受け入れにくい現実でした。

どうしたものか…と葛藤しているうちに、師に促され、列ができ、ひとりひとり受け取っていきます。

その会場には、約200人の仲間がいたのです。

一時間が過ぎ、列も短くなってきたころ、マスターからいただきました。

「私たちは家族なんだ。君たちの父は誰だ?父が子供の面倒を見るのは当然だろう」

いやいや、とは言っても…と思った。そして、その言葉の意味をずっと考え続けていて、いやいや、でもでも…と考え続けた。そこでプハァッ!と記憶が顔を出す。実の父はヨガの父を見て、「息子のように」とあの言葉をマスターに言ったのだろうか。

お披露目会の時にマスターが僕にしてくださった配慮は忘れることはできないし、一生語れるエピソード。まさしく、父以上に父らしかった(笑…うところではないのだけど笑)。


理想の関係

インストラクターとお客さん

先生と生徒

師と弟子

ヨガを教わるなら、この三つのうち、どれがいいだろう。

また、ヨガを教えるなら、理想の関係はどれだろう。

衣食住すべて世話になってないじゃないか、という意見があるかもしれないが、少なくとも収入の半分以上はマスターが教えて下さったヨガで得ています。ちなみに今の生活すべて、マスターに出会ったことがきっかけであるといっても過言ではないのです。その話は、またそのうちに。

そして、この状況になって、初めて自分がどれだけ考えてなかったかということを痛感しています。

考えて、行動しよう。すべて、うまくいくんだから。


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