最近思うこと#21 Everything in its right place
ないものはない、あるものしかない。
こんな当たり前の事実を前にいつも頭を抱えてしまう。諦めの悪さは長所にもなるが、とんでもない短所にもなってしまう。僕の方は後者での悪影響がすごい。子供のように心が駄々をこねてしまう。頭では理解してるのに心が全く理解をしたがらない。みんなどうやって処理して生きているのだろう。
あるものしかない、ないものはないのだ。
1年で100億円を稼ぐメジャーリーガーにはなれない。甲子園にも出られない。キラキラと輝くアイドルにもなれない。豪邸もない。車もない。ジョンレノンには会えない。デビッドボウイのライブには行けない。きっと宇宙にも行けない。あの災害も戦争も止められない。あの事件もあの事故も防げない。あの人に振り向いてもらうこともできない、あの人との別れも止められない。最初の人にもなれなければ最後の人にもなれない。
「ないものはない、あるものしかない。」
自分の心の中の5歳児を何度も諭して今日も生きる。
「人生は不可逆。だから面白い。」いつかそう言って笑えますように。
全てはあるべき場所にあるだけ。
昔から幸せなことがあったり、信頼できる人ができると深淵の底を覗いてしまうのはなぜなのだろう。逆をいつも探してしまう。幸せだなと思う帰り道、歩道橋の上から流れる車道を眺めて飛び込みたいと思ってしまう。信じている人の最悪なエピソードなど、信じられない部分を探してしまう。なんの意味も価値もないのに。
実家で暮らしていた時にはマンションのベランダから見える街を眺めながら、たくさんの人が暮らしている街の明かりを眺めては安心して温かい気持ちになりながらここから落ちれば自分が確実に死ぬことができる安心感も得ていた。
思えば中学生の頃から学校の窓の淵によく座っていた。厨二病のように感じるかもしれないけど、運悪く落ちて死んでしまったら仕方ないかと思っていた。昔からどちらも得られるような状態にあった時に不運を装って片方の選択を潰してしまうような人間だった。
好きなケーキを選んでもいいと言われたら、片方をあえて失敗したフリして地面に落としてしまうような。「あー壊れちゃった、けどまた買えばいいか」と思う時の気持ちに似ている。自分の命に対して、まあ、いいかと思っている。
車道からトラックが飛び出してきて死んでしまっても、アンラッキー!バイちゃ!みたいなメンタルだ。生死を彷徨うような状況だったらまずメンタルが起因で死んでしまう。それは今でもあまり変わらない。だからって自死願望はない。命に対する責任感のようなものがないのだ。
病んでいるとかメンタルの病気なわけでもない。病院に行ったことはないけど。長くこんな心の状況と共に暮らしてきたので特に違和感もないし、誰かの迷惑にもならないので別にほったらかしにしている。生まれつき歯が少ないのとあまり変わらない。
だけど他人と深く関わるようになった時だけはこの心の状態がかなりの足枷になる。だって生きなくてはいけなくなるからだ。自分の選択肢が塞がれてしまう。死ねる自由を、誰かを突き放せる自由を失ってしまうと突然に操縦は不可能になる。
でもきっとこれはいいことだ。そうやって苦しみながら踠きながら自分1人の人生を脱して、自分の命に責任を背負っていけばいい。人間の業を死ぬほどに、人生単位で命をかけてみたっていいのではないか。これがきっと生きるということだ。
どうやら運良く生きてしまった。だから今日も試されていく、人間味に。