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18きっぷ・東京旅行記②スマホは便利

前回の続き

名古屋を出た後は、豊橋、浜松、静岡、熱海で乗り換えた。たぶん。

たぶん、というのは、今、ネットの乗換案内を見て、おそらくこれに乗ったのだろうと確認し書いているからだ。

今回、これまでの18きっぷ旅と決定的に違ったのが、スマホだ。鉄道ファンだった高校生・大学生くらいまではJTBの大判時刻表を、その後もポケット時刻表か、あるいは大型時刻表の一部をコピーした「紙」を必ず持ってきたものだったが、スマホのために全く不要になった。スマホは、予定していなかった名古屋での「きしめん」途中下車後も、次に何に乗ってどこで乗り換えるべきか、すぐに教えてくれる。鉄道に関する知識がある程度あったからこそ、こういうアプリも簡単に使いこなせた、という面もゼロではないが、もし、何の予備知識が無かったとしても大きな問題はないだろう。なまじっか中途半端に古い知識をもっていると、却って邪魔になるくらいかもしれない。

時刻表にも、地図にも、宿探し予約ツールとしても使えるスマホ。カメラでもあるし、メモ帳でもあるし、目覚まし時計にもなるし、動画を見て暇つぶしをしたり、競輪の車券だって買えてしまう。それに…電話も掛けられる。なんという便利なものだろう。私の場合、スマホの導入はだいぶ遅くて、持ってまだ3年しか経っていないが、もう絶対に手放せないものになってしまった。なければないで何とかなる、ようではあり続けたいが、だいぶ無理になりつつある。そんな便利なスマホの最大の欠点は、言うまでもなく中毒性だ。この長い乗車時間に読んでおこうと本をニ三冊持っては来たが、ほとんど読めなかった。本当に久しぶりの旅行だったから車窓を眺めるのが楽しかったというのもあるが、さすがに何時間も乗れば飽きてくる。そんな、これまでなら本を読むタイミングで、ついスマホを見てしまうことになってしまった。前回書いたようなエピソードも、起こってすぐに「誰か」に伝えたくなってしまい、ツィッターに書きこんだ。そして反応をみたりしていると、あっという間に時間が過ぎた。

「ボク、今、18きっぷで東京に向かっているんです。ひとり旅なんです。」なんでそんなことを「誰か」に言いたくなってしまうのか。幼稚だ。90年代、ネット時代が始まった頃、若者論なんかで「つながっていたい症候群」とバカにする言説があった。「孤独に耐えられないなんてダメ」、自分も同調するようなことを言っていたような気がするし、旅などまさに孤独を楽しむためのものだと思っていたが、最近はどんどん「寂しさ」に弱くなってきている気がする。若い時は、普段から会う人間関係もそれなりにあったし、いわゆる友だちもそれなりにおり、実際には寂しくないからそんなことが言えただけなのかもしれない、と思ったりする。

なんてことを書いているといつまでも終らないから、先に。

18きっぷ、東京・大阪間の旅で、静岡県越えが最大の難所だというのは、誰もが知るところだ。東西に長く、しかも、関西・中京・首都圏のような快速電車が走っていないため、いつまでも抜け出せないような気がしてくる。また、長時間乗車にはつらいロングシートの電車しか走っていない区間も長い。ただ、最近のダイヤ改正で、静岡県区間にもクロスシートの車両が増えたらしく、私が行った時も、ロングシートはごく一部(浜松-静岡間か?)だけだったような気がする。ここでは、ちょっと席がなくて立つ時間もあったが、長く座り過ぎていると、立っていたい気持ちにもなって、それほど苦痛ではなかった。長いな、と思いながら乗ってはいたが、「長いよ」とかツィッターでつぶやいているうちに、静岡を抜け出せた。

途中雨が降っていて、あまり景色がよくなかった。富士山は見えなかった。その前の、車窓スポット、浜名湖は普通に見えた。昭和なリゾートホテルが見え、ちょっと泊まってみたいような気がした。たぶん、一生泊ることはない気がするが。あと、電車内で猫をキャリーバッグで運んでいる人がいて、バッグの窓から三毛猫が見えてかわいかった、という出来事があったくらい。昔、飼っていた、同居人の猫とすごく似ていた。「にゃー」と鳴くのを、宥めていた飼い主さんが、様子を見ていた私に「すみません」とおっしゃったので「いえいえ、かわいいですね」と応答したりした。飼ってた猫に似ている、というどうでもいい話も。他に、もう一人おじさんが、猫なで声ならぬ「猫見る顔」でうれしそうに様子を見ていた。猫好きなのだろう。

熱海まで到達したら、もう東京に来た感。反対ルートの時は、米原がそれにあたるか。コロナ前、伊豆修善寺にある競輪選手養成所のフィールドワークに行った時のことを思い出したり。あの時は、新幹線奮発したのだったか。ぷらっとこだま使った。本を出して、これを持って、競輪についていろいろ取材を続けようと、何となく意欲が高まっていたのだけど、コロナでそういうことがしづらくなって、しぼんでしまった。コロナがなくても、同じだったかもしれないが。

東京在住の旧友Kくんからメシ奢るよ、と連絡が来る。予定がどうなるか分かっていなかったから、事前に連絡はしていなかったが、ツィッターでつぶやいているのを見て、連絡をくれたのだ。ありがたし。熱海から東京行きの快速の中で、宿の場所を詳しく調べたり(agodaで予約して場所についてはアバウトにしか確認していなかった)待ち合わせ場所の連絡をしたりしていると東京。前回来たのは2018年の春だから、4年半ぶりだった。でもあまり感慨はない。東京は不思議なところで、定期的に来たくて仕方がなくなるのだけど、来たら、すぐに帰りたくなったりもする。着いた瞬間、何となくの寂しさを感じる。

待ち合わせ場所は新宿になった。スマホの乗換案内では、品川で降りて山手線も、東京まで行って中央特快も同じくらいだった。せっかくだから東京駅まで行った。熱海発の快速、最後の方、少し遅れが出た。乗換案内の指示より一本次の電車になり、新宿到着が少し遅れてしまった。向こうも遅れるという返答だったので、気にせずにのんびり待ち合わせ場所のアルタ前に向かう。雨が降っていた。大学受験も大学院受験でも失敗し、東京の大学に行けなかった。経済的に行かなくて正解だった気もするが、東京に来ると、いまだにその失敗を思い浮かべる。そして、あり得たかもしれない東京生活時代が頭をよぎる。東京の寂しさの原因は、何のことはない、そういう蹉跌の記憶だ。(蹉跌の使い方、合ってるかしら?)

幸運に「東京暮らし」を獲得した友だちと合流。子育て中で飲む機会が減ったなんて話を聞きながら、新宿三丁目の方に。自分よりまともな経済状況の彼には、ここ10年くらいはずっと奢られっぱなしだ。若い時は、ある方が出せばいいんだ、そのうち自分も「ある時」が来るだろうから、そこで返せばいいや、と思えたから気にならなかったが、もう一生「ある時」はこないと分かってからは、奢られるのがやはり辛くなってきてもいる。だから全体に人との付き合いは激減している。今回は、事前に「できるだけ安いとこにしてくれ」とお願いしていた。久しぶりの東京の夜の街の様子を眺めながら「別にあてはないけど」という彼について行く。お盆のど真ん中だからか、コロナのためか分からないが、自分のイメージする新宿よりは人が少なかったような気はする。末広亭なんかがある近くの創作中華みたいなところに入った。高級店ではないが、自分の金では絶対に来ないな、と思いながら飲んで食べる。自分の金では、チェーン店しか入らないのだから、それ以外ならどこも同じだ。友だちも、普通に飲み食いしている他の客たちも、自分とは経済レベルの全然違う生活をしているんだな、となりの人なんか若そうに見えるのにな、まぁ、これが普通か、それにしても自分は、なんでこんなことになってしまったのだろう、というマイナス思考にどんどん入っていくから、脳内の何かのスイッチを、三つくらいオフにする。飲みだしたら遠慮なく結構飲み、旧交を温める。彼とは3年に二回くらいはあっているから、旧交ってほどでもないか。彼が大阪に来た時に飲むことの方が多いから、あ、ここは新宿なんやな、10時間近くかけて今自分はここにいるんやな、ホンマなんかな、なんてことを思いながら。

11時くらいに、ごちそうさまでした、いつも悪いね、と解散。スマホの地図を見て、新大久保の一泊3000円弱の安宿に向かう。18きっぷがまだ有効だから、一駅JRに乗ってもよかったが、そんなに距離はなさそうだから歩くことにした。酔っぱらっていて、何となく久しぶりの東京をひとりでぼんやり歩きたい気もした。
(つづく)

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