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至高の九宝菜

いまから30年くらい前の話です。

実家から交差点を一つまたがったところで、姉二人と叔母がエステサロンと美容院を共同経営をしていました。ともかく三人とも忙しく、食事も不規則なのを見かねた母が「近いんだから食べに来なさいよ。ついでだから」と、給仕を名乗り出て、時々姉たちが昼ごはんを食べに来ていました。

母はスナックを経営していて、昼夜逆転に近い生活をしていたのですが、みんなが食べにくる昼前には、重い身体を起こしてご飯の支度をします。改めてそのために用意された食材ではなくて、冷蔵庫の中をのぞき、余りをかき集めたものや、前日の晩御飯を使って作る、「残飯整理」メニュー。

姉たちは、お客が途切れた隙間の時間を狙って、サロンにありがちな薄いピンクの制服に黒のカーディガンをまとい、交差点を渡りやってきます。鍵もかかっていない玄関にサンダルを無造作に脱ぎ棄てながら、居間にあがりこんで早々「はーもうだめだぁ」なんて言いながら、食卓の前にペタリと座り込んでいました。

母が作るご飯を待ちながら、テレビから流れるワイドショーを見て「こういう芸能人カップルはすぐ離婚するのよねえ」と無責任なことを言い、テーブルの上にあるきゅうりの浅漬けをつまんでいると、「あんたたちに何が分かるのよ!」と母は笑いながら、台所を歩き回り支度をしていました。ゲラゲラ笑うピンクな姉たちと、給仕を名乗り出た母。週末ともなると当時思春期で超めんどくさいやつだった私もそこに加わるんですけど、その頃の食べていた昼ご飯が、今でもたまに恋しくなります。

母が作る料理の中で一番好きなのが八宝菜。白菜、豚バラ肉、ニンジン、しいたけ、ピーマンにイカがどっさりと入っていて、厳密に言えば六宝菜です。特に「あん」は絶品で、即席のレトルト調味料を使わずに作る、胡椒がよく効いた「あん」は、食べ終わってから皿を抱えて飲み干したくなるくらい美味しかった。夕食にこの六宝菜が出る日は、「次の日これを使ったご飯を作る」のと同義で、母は明日を見越し、あんを多めに作り、ご飯もいつもより余分に炊いて備えるのが常でした。私はこの六宝菜を使ったご飯が何より好きだったんです。

母は中華鍋にのこした六宝菜の残りに火を入れます。とろみのついた「あん」が温められて、鍋の端からぱちぱちと音を立て、細かな泡が出始めたら、炊飯器から、残りご飯を取り出し、全て中華鍋にほおり込みます。おたまでこねくり回された「あん」と野菜は、少し焦げた匂いをさせながらご飯にねっとりと絡んでいって、ある程度ご飯と混ざってきたところで、冷蔵庫から大きなタッパーに入った自家製のキムチを取り出し、キムチと漬汁を少々、溶き卵を更にぶち込みます。おたまを押し付けながら、卵が少々噛み応えがあるくらいの硬さにまで炒めて、仕上げにごま油をひとたらしして出来上がり。

昨日食べた六宝菜はここで「キムチ」「卵」「ご飯」が加わり、「九宝菜」になるんですけど、野菜は散々炒められて原型をとどめていないし、たまにしいたけとか食べ尽くされているから、八・五宝菜くらいかもしれない。もはや菜ではなく「飯」ですしね、見た目も決して良くない。残り物のおかずと冷やご飯で作る、残飯整理代表みたいなご飯。

でもね、これが震えが来るほど美味しかったんです。

野菜からでる旨味と、キムチの独特な風味を含んだ湯気がたちこめる台所。そこから流れてくる匂いが食欲を煽って、お腹がぎゅうっと締め付けられる。大きな中華鍋に出来上がったそのご飯を、母は取っ手を掴みながら「はああい出来たよー!」と声を張り上げ、台所から中華鍋ごと運んで、ドカッと食卓へ。

その中華鍋には人数分のスプーンが刺さっていて、みんな待ってましたとばかり中華鍋に刺さったスプーン引き抜き、モリモリと平らげていく。しかも取り皿は洗い物を増やすから要らないといって、中華鍋から直接食べていくんです。「こんな姿お客様にはみせらんないよね」と笑いながらがっつく姉たちと共に、負けじと私もスプーンを持って、その九宝菜に食らいついていました。

ちょうどそのころ、私は学校やバイト先の人間関係に悩んでいたり、色々な葛藤があって、そのご飯を目一杯口に入れてモグモグしながら、その時の不安をぼろっと話すと、姉たちにとってはいわゆる「通ってきた道」なもんですから「そーんなのさー、事故みたいなもんでしょ!」なんて一蹴されて、あっという間に流されてしまう。口の中が美味しさで満たされるのと、姉たちのカラッとした励ましで、悩んでいたのがどうでもよくなっていく。そんな姉たちの言葉や強さが、その時の私に力をくれました。

中華鍋はあっという間に空になってお腹を満たし、一息ついたところで、「さあ、もういっちょやってくるか!」と気合いを入れて、姉たちはお店に、私は部屋や学校に戻っていくんです。

元気が出ない日は、このご飯が無性に食べたくなって作るんですけど、同じ味は出ません。当時と心もようが変わっているのと、みんなでガヤガヤしながら食べたというシチュエーションが、あのメニューにもう一味、何かを加えていたのかもしれませんが、未だに私にとってのパワーフードです。

あとは何より、母の味に勝るものなし。

さあ、わたしももういっちょ頑張ろう。

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(至高の九宝菜-Fin-)

読んでいただきありがとうございました。これをご縁に、あなたのところへも逢いに行きたいです。導かれるように。