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どうぞこのまま

最近チーママ稼業も板についてきて、私を20年以上前にごひいきくださったお客様が、私が復帰したことを風の噂に聞きつけて、「生きてたの?ほんとにるみちゃん?(仮名)」「そうですよーご無沙汰しております」「おお、ババアになったけど相変わらず可愛いねー」「ババアだけ余計!」なんてやり取りから始まって、昔話に花が咲き、その頃流行っていた工藤静香や中森明菜、演歌やデュエットなんかを唄い、お互いが元気に再会できたのを喜ぶ時間を頂いています。

同じ数だけ三途の川を渡った方もいらっしゃる。私が10代後半の頃に40から50代のお客様ですから、そんなこともあります。それでもそんな風に思い出してくれる友や人がいることが今のご時世、幸せな事だったりしますよね。
私が生まれる前、生きるために居酒屋から始まったうちの店も、55年。私の父もこの店の常連からの出会いでした。

ママは80歳で現役。脊椎管狭窄症、白内障、初期でしたが悪性リンパ腫を手術で乗り越え、杖もつかず、椅子に座らずカウンターの中に立ち続けてます。生きた化石です。

「店を棺桶にする」なんて冗談も平気で出るようなお店です。

新参者には入りづらい、田舎のスナックですが、ビジネスホテルが近くに出来たおかげで、遠方からの出張の方が偶然にもふらりと寄ってくださって、ママとの会話を気に入って出張の度に「お母さんただいまー」なんて来てくださる40代の方もいたりと。不思議なお店です。

小さな頃は病気がちだったせいなのか、母を繋ぎとめておきたかったのか、夜になると私が発熱して泣いているのに、「お店を開けなければ」と姉に私を預け家を出ていく。それを恨むこともありました。
「飲み屋の娘」「酔っ払いの落とした金で育てられてる」なんて、友達の親に噂されるのを肌で感じていた頃もありました。「女が夜の商売に出る=何かしらの事情がある」なんて偏見は、今以上に厳しいものだったんです。
家が貧乏で学校にも通えず、特に資格や手に職を持つこともなかった母が、元夫が蒸発して突然小さな子供を抱えたまま取り残され、それでも私達を生かすために始めた居酒屋。その頃の母にはそれしか考えられなかった。

そんなこともあってか、娘3人には「必ず国家資格を取りなさい」と、学校へ通わせてくれました。現実3人とも看護師、美容師、情報処理技術者の資格を持ちます。

ママが50代の頃、入院しなければいけないほどの辛い更年期障害で店が開けられなくなった時、「待っている人がいる」「雇ってる子達が食べられなくなる」と懇願されて娘三人が輪番制でママになって、3年ほど店を切り盛りしていたこともありました。その頃はシングルマザーの女の子を2人雇っていたから、その子達が死活問題になることを心配していたんですよね。その後その2人は各々が店を持ってママになって、今でも遊びに来てくれます。

「あと何年も出来ないし、もったいないから、終活」なんて言って、壊れた電化製品を買い替えようとしない母に、私は増税前に電子レンジとIHコンロを買いました(笑)

そういってしぶといんだからさ。これから寒くなって熱燗の一つも飲みたくなる人もいるでしょうに…

今は金、土の2日間お店に出てますが、このまま無職なら出勤も増えるかな…

お客様に今度唄ってほしいとリクエストされた丸山圭子の「どうぞこのまま」を聴きながらこれを書いています。

どうぞ、このまま。どうぞ、元気で。

(どうぞこのまま-Fin-)



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