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日記

会社から正式な退職を告げられたのが8月末だったが、今さらながら健康保険の手続きと、退職手続きに奔走している。
ここでは書かないが会社と退職金を巡り未だに揉めていたりで、離職票などの書類が遅れていたのもあった。

ハローワークの先輩でもある子供に手続きの流れを教わって、バスに揺られて向かう。

必要な書類を提出し、退職手当の受給資格について説明を受けた。

職員である青年はハキハキとまくし立てるように話す。

「会社では『自己都合』となっていますがあなたの場合は『やむを得ない理由』となります。したがって受給期間は…」
「あ、あの」
「何かご質問でも?」
「もう少しゆっくり話してくれませんか?大切なことなんで。」

追いつかない自分がいた。
というより、追いつく気がなかったのが正解かもしれない。
青年は私の様子を伺いながら、少しスピードを落として説明してくれた。

再就職先検索をするために必要な初期登録など、それぞれのブースを回る間に待ち時間があって、ぼんやりと風景を眺めていた。事務手続きはクラウドなりなんなりのせいか、昔と比べてかなりスピーディーに進んでいることを実感した。
昔、手痛い目にあったせいか、公的機関が嫌いで、出来る限り区役所や保険年金事務所などには近づかないように過ごしていたから、頭が「浦島太郎」になっていた。

1人分の間仕切りにびっしりと詰め込まれた失職者と、それに応対する職員が狭いブースでひしめき合っていた。

「最初からそう言ってくれれば俺だってこんなに困らないんだよ!!」

そのブースの一つから突然、推定50~60代の男性の怒号が響いたが、周辺は聞こえないふりをしている。担当の30代とおぼしき職員は、見えない鎖に繋がれたように、逃げたくても逃げられない状態で、半ば怯え気味に対応していた。そのせいなのか尚更早口になる。

先程の職員でも思ったのだが、なんでもスピード重視で、言葉でさえ「生き急ぐ」ような風潮は、いつからなんだろう。

私はなんとなく思い立って、ふらりとその人近くの待合ベンチへと座り直し、じっとその様子を凝視した。
怒りに我を忘れた人物の目線に自分が入るように、あからさまにだ。
しかしその人物は私の存在に気が付いた途端、職員への言及をやめてしまった。私は一言も口を聞かず、ただ凝視していただけなのだが。

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人間には喜怒哀楽がある。だからこそ生きている実感もあると思う。

私自身は一時期それが抜け落ちて、病となってしまうことも経験したが。

私が「生きづらい」という言葉を初めて聞いたのはこのnoteからだ。
「生きる」ということに、振り幅を持たせるような言葉をあまり知らなかったから。元々存在していたのか、新たに生まれた言葉なのか。

若ければ我を忘れることがあってもいい。
我を忘れるくらい何かに夢中になって、誰かと溺れるように恋をして、浴びるほど酒を飲んで迷惑をかけて、裏切り、裏切られて怒り狂って血反吐が出るほど泣いても、歳を取ってから「若気の至り」という都合のいい言葉で、笑い話にできる。

が、この歳になって「我を忘れる」と、あまりいい方向には進まないことを最近改めて思う。いい加減年を取った人間が特に「怒り」でこうなると惨めだ。

いろんな事情は誰にもある。でも出すべきはここじゃないよ。おじさん。

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ハローワークの手続きがおわり、そのまま健康保険証の切り替え手続きに保健所と区役所が隣接した建物へ移動したが、昼休みと重なって午後の部が始まるまで待ち時間が出来た。

私はコンビニで100円の玉子パンと缶コーヒーを買ったが、イートインだと消費税10%になるのを気にして近くの川沿いへ自転車を走らせた。

イヤホンを外し、パンをかじりながら空を見る。

「生きづらいねえ…。」
そう口に出して、缶コーヒーで冷えた指を温めながら、川の流れを見ていた。

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なぜか「つま先立ち」という言葉が頭をかすめていった。

時計で午後の部が始まった事を確認して、私は再び区役所へと向かった。

(日記-Fin-)

読んでいただきありがとうございました。これをご縁に、あなたのところへも逢いに行きたいです。導かれるように。