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玖躬琉の部屋

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長い独り言や自身の経験を織り交ぜた随筆やエッセイらしきものもこちらで。
運営しているクリエイター

#スナック

棺桶

「こんなことやった店で飲む酒、美味しいと思う?」 母は少し不機嫌な顔をしてテレビを見ていた。 画面には緊急事態宣言のテロップと、カウンターの端から端までびっしりと遮った透明のカーテン。パーテンションで区切られたカウンターがあって、ぶっきらぼうに店主が「従うしかない」とインタビュアーに答えていた。 私はスマートフォンでパーテンションとビニールカーテンの材料を物色しながら、「仕方ないでしょ。やっとかないと持続化給付金の申請もできないんだし」と答えた。 ☐ 私の母はスナック

居酒屋

人の歌を聞いて泣いたのは、幾何ぶりだろうか。 実家であるスナックでチーママをしている。創業50年を越えた。 なんのとりえもない小さな店だけどねと、ママは笑う。 元々この店は居酒屋だった。私がまだ幼い頃、夜に留守番がおらず、私一人を置いていけない時は一緒に店に行き、カウンターの隅っこで、店が終わるのを待っていた。眠くなれば、練炭が積まれた倉庫で毛布にくるまって眠りにつき、朝目覚めればいつの間にか家にいた。 倉庫を改装して作られた、間に合わせのような空間。一雨くれば簡単に雨

青春と人生の交差点

運営サイトの業務をひと段落させ、台所で缶ビールの栓をプシュリと言わせた23時。 スーパーで仕入れたマグロの剥き身に、刻んだネギと醤油、マヨネーズを少々合わせたアテをこしらえていた時に浮かんだ事。 「青春が人生に変わるときって、いつなんだろう。」 ・・・ 青春 それは 君が見た光 僕がみた希望 ・・・ いやそれは「青雲」やから! 最近ちょっとアロマめいた感じになってるけども線香やからな! 自分おもろいなーっはは! ・・・ 怖いですね。本人は至って楽しいです

形見分け

「あ、これ良かったら持って帰って。」 昨年末、お店で母から手渡された紙袋。 「ん?何よ。」 そう言いながら中身を覗くと、色とりどりのスカートがまとめられていました。 「わあ!これ・・・一緒に仕立てに行ったやつ・・・。」 「あんたよく覚えてるわねえ。忘れてると思った。」 「いやいやあそこ、私ブラジャーでお世話になったとこだから。」 「あ!私が忘れてるわ。そんなこともあったねえ。」 私が小学校高学年の時、母は大家さんから老朽化で物件の取り壊しを告げられて、20年程続けていた居

どうぞこのまま

最近チーママ稼業も板についてきて、私を20年以上前にごひいきくださったお客様が、私が復帰したことを風の噂に聞きつけて、「生きてたの?ほんとにるみちゃん?(仮名)」「そうですよーご無沙汰しております」「おお、ババアになったけど相変わらず可愛いねー」「ババアだけ余計!」なんてやり取りから始まって、昔話に花が咲き、その頃流行っていた工藤静香や中森明菜、演歌やデュエットなんかを唄い、お互いが元気に再会できたのを喜ぶ時間を頂いています。 同じ数だけ三途の川を渡った方もいらっしゃる。私