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玖躬琉の部屋

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長い独り言や自身の経験を織り交ぜた随筆やエッセイらしきものもこちらで。
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記事一覧

至高の九宝菜

いまから30年くらい前の話です。 実家から交差点を一つまたがったところで、姉二人と叔母がエステサロンと美容院を共同経営をしていました。ともかく三人とも忙しく、食事も不規則なのを見かねた母が「近いんだから食べに来なさいよ。ついでだから」と、給仕を名乗り出て、時々姉たちが昼ごはんを食べに来ていました。 母はスナックを経営していて、昼夜逆転に近い生活をしていたのですが、みんなが食べにくる昼前には、重い身体を起こしてご飯の支度をします。改めてそのために用意された食材ではなくて、冷

匂い

突然なんですが、妙に匂うんですよ。 匂うって言ってもカップルで写真どーのこーのの「匂わせ」的なもんじゃなくてね。あ、聞いてないか。物理的にです。 くっさいんですよ!くっさいの!何とも言えないくささなんですわ。 気が付いたのがここ何ヶ月か前。フッとした拍子に「わっ!くさっ!」ってなる。後ろを振り返って確かめるんですけど、独り暮らしなんで当然誰もいない。「なんだよ…おい」と、ちょっと斜め上を観ながら、いかにも向上心溢れる出で立ちで、観たこともないのに鼻の穴に感覚を「全集中」

棺桶

「こんなことやった店で飲む酒、美味しいと思う?」 母は少し不機嫌な顔をしてテレビを見ていた。 画面には緊急事態宣言のテロップと、カウンターの端から端までびっしりと遮った透明のカーテン。パーテンションで区切られたカウンターがあって、ぶっきらぼうに店主が「従うしかない」とインタビュアーに答えていた。 私はスマートフォンでパーテンションとビニールカーテンの材料を物色しながら、「仕方ないでしょ。やっとかないと持続化給付金の申請もできないんだし」と答えた。 ☐ 私の母はスナック

居酒屋

人の歌を聞いて泣いたのは、幾何ぶりだろうか。 実家であるスナックでチーママをしている。創業50年を越えた。 なんのとりえもない小さな店だけどねと、ママは笑う。 元々この店は居酒屋だった。私がまだ幼い頃、夜に留守番がおらず、私一人を置いていけない時は一緒に店に行き、カウンターの隅っこで、店が終わるのを待っていた。眠くなれば、練炭が積まれた倉庫で毛布にくるまって眠りにつき、朝目覚めればいつの間にか家にいた。 倉庫を改装して作られた、間に合わせのような空間。一雨くれば簡単に雨

【ご参加ありがとうございました】#青春と人生の交差点vol.1「初めての○○」

先日、上記の表題を付けてnoteをあげたのですが、その時 言っちゃったよこれ・・・やるしかないじゃんね。 というわけで、個人企画を開催いたします。 とは言え、ハッシュタグが抽象的で「え?どういうことを書けば?」ってなりますよね。なので、 表題の「青春と人生の交差点」を大きなひとくくりとし、こちらでテーマを決め、皆さんに足を(手?筆か?)運んでいただこうと考えています。 スタンスとしては 「青春と人生の交差点」という名前のお店があって、そこに立ち寄った時に「そうい

青春と人生の交差点

運営サイトの業務をひと段落させ、台所で缶ビールの栓をプシュリと言わせた23時。 スーパーで仕入れたマグロの剥き身に、刻んだネギと醤油、マヨネーズを少々合わせたアテをこしらえていた時に浮かんだ事。 「青春が人生に変わるときって、いつなんだろう。」 ・・・ 青春 それは 君が見た光 僕がみた希望 ・・・ いやそれは「青雲」やから! 最近ちょっとアロマめいた感じになってるけども線香やからな! 自分おもろいなーっはは! ・・・ 怖いですね。本人は至って楽しいです

色恋し

嗚呼、色恋しや我が眼 桜も終わり、緑鮮やかになる五月。オオムラサキツツジと若葉のコントラストが恋しくなって、私はドアノブに手をかけた。私にとって、色を観ることはとても大切な行為で、それと関係ないことも「色」に変換してみてしまう。データベースを含めた数字、人格、感情、文章や脈絡もなぜか「色」として自分の中に取り込む性癖があるのだ。 ・・・なんてな。 性癖は見たままです。私は何でも「色」で見ます。特にここで語ることは避けますが。 毎年この時期はツツジを観るのが好きです。私は

末っ子根性と姉御肌

私は三人姉妹の末っ子で、姉二人とは一回りほど離れている。父親が違う「種違い」だ。母は夜の商売で、昼間は寝ていて夜はいない。ギャンブラーの父は夜家を空けることがおおく、姉たちは私にとって、半分親のような存在だった。食事の世話や、病気がちだった私の看病。友達と遊びに行くときでさえ、私を連れて行ってくれた。私はそんな姉たちに甘え、わがまま放題に育った。 ただ、近づききれない、「血」がそうさせているであろう薄膜のようなものは、子供ながら肌で感じていた。 姉二人は2歳違いで、ちょっ

大器晩成の終点は

一体いつなのでしょうか。教えておじいさん。アルムのもみの木は見たことがありません。 何故そんなことを言い出したかというと、遅ればせながら「あなたの不思議体験」なんて見つけて、つい手を滑らせてしまいました。 そう。手です。ご覧いただけますか。まずは左手。 元は左利きです。幼少の頃、矯正を受け筆記用具含めてほぼ右利き用ですが、スポーツ競技で使う道具はすべて左利き用です。両利きとも言われます。得したことといえばサラリーマン時代、普段右手で仕事をしているのに、飲み会の後で誘われた

ささやかな抵抗

失業保険の手続きに、ハローワークへ向かう。 在宅でもいくつか仕事をしているが、余力のある生活費を稼ぐだけの対価はまだない。サラリーマン時代、毎月天引きされていた6桁の税金が、今の私を生かしている。 入り口で、手にしたアルコールを丁寧に擦り付けながら進もうとした時、人の行列がそれを阻んだ。 思わず立ち止まったまま並んでいると、後ろにいた女性から「もっと詰めてください」と迫られた。私が知る限り、約2メートルは距離を置くのがスタンダードなのだが、通用しないことを悟った。私はマス

歌うたい

今日の出番は3番目。 2番目に出ていたあの子。可愛いな。綺麗な髪色にツインテール。赤いルージュに白のニーハイと厚底サンダル。ギターの装飾がライトに照らされてキラキラしてた。 お揃いのグッズをもったファンからの声援に囲まれて楽しそうだった。事前に用意されていたアンコールにも掛け声がかかり、演奏時間が5分延びた。 「ごめん。少し巻き気味でおねがいね。」ライブハウスのマスターが申し訳なさそうに耳打ちする声に私は小さく「はい」と答えた。 私の出番に切り替わるBGMと共に、その熱は一

頑張れ、シャープさん

昨日、この記事を目にした瞬間、涙が溢れて止まらなくなりました。 理由は、自身が工場勤務だったことで、量産が始まるまでの道筋を自身の経験と重ねてしまったからです。 感情に任せて衝動的にツイートしてしまいました。 ■□ 2年前までの約20年間、自動車部品工場で働いていました。 以前のnoteにも書きましたが、自身が工場で働いていた時、新規部品の立ち上げから、量産までのプロジェクトリーダーを任されたことがあります。 その部品は、不具合を起こすと人命にかかわる危険がある「重要

厄月に想う

3月。 自身にとっての「厄月」です。逢魔が時はなぜか3月。体を壊し、心を壊し、大切な人との別れもこの時期が多いのです。溢れる感情が文字の洪水になって、頭の中で流れ出ていることに気づき、その一端を拾い集めて厄を払うようにここへ言葉を並べ「書いて生きたい」と思い始めたのも昨年の今頃でした。 PCのモニターや携帯という小さな四角形の中に眼球と心を寄せながら、様々な言葉や作者に出会い、別れながらこの「note」に言葉を書くようになって1年が過ぎます。 ここに寄せられた作品や縁が

読み手になれるきっかけを私にください

私がフォローさせて頂いているnoterさん達の急上昇ワード… 「読み手が足らない」 在宅でサイト更新などの日常業務を終えて、自身の投稿は頻繁ではないものの、携帯なりPCなりから皆様のnoteを拝読(拝聴)している私。自称noteの住人です。Twitterではサイトの広報役をしていますが、見ている時間は圧倒的にnoteの方が長いです。 フォローしてなくとも、スキだ思うものは素直にスキを押します。 フォローしていても、タイミングを逃してしまっている時もあります。時間が限られ