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玖躬琉の部屋

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長い独り言や自身の経験を織り交ぜた随筆やエッセイらしきものもこちらで。
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#人生

階段

「最後の親孝行だと思って着なさい!」 成人式の1ヶ月前、式に参加するつもりもなかった私は、着物姿を撮影しようと持ちかけた母に「めんどくさい」と断りを入れた時に言われたこと。 一週間ほど揉めて、最終的には「最後の親孝行」の言葉に負け、用意された振袖に袖を通した。写真撮影の前日はバイト先でもある実家のスナックで常連さんと夜を明かし、二日酔いのまま姉が経営している美容院で着付けをして、最高にむくんだ顔にメイクを施し、写真館に向かった。 今もその写真はA4の立派な冊子で残って

水路(1)

「ねえ、理迦(りか)と蒼(そう)ってさあ、自分が覚えてる一番小さい頃の記憶って何歳?」 私は夫の四十九日を済ませたお寺の帰り道、2人の子供に尋ねた。 「うーん保育園の年少さんくらいかなあ」 「赤ちゃんの時にアレルギーと喘息が酷くて、お父さんがいた同じ大学病院通ったの覚えてないの?」 「全然覚えてないー。」 「『とびひ』になってお尻にも水ぶくれが出来ちゃって、触ると潰れちゃうから抱っこも出来ないし、ずうっと歩いて。5分かからないとこが1時間かかってねえ」 「そうなの

水路(2)

赤いベルベットのソファーに案内され、差し出された人工的な緑色のメロンソーダの液体が、炭酸水と混ざり切らず、グラスの中でぐにゃりと波打っていた。 「あ、ちょっと待ってね」 おじさんは冷凍庫からバニラアイスを取り出して、そのメロンソーダに乗せてくれた。 「炭酸を飲むと骨が溶けるから小さい子は飲んじゃダメ」と母からきつく言われていた。 しかし 遊び疲れて喉が渇いていたのと、その宝石のように輝くエメラルドグリーンに見とれ、母の訓戒を忘れストローから口に含む。 甘かった。けど、

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人生の選択(2)

■私:中学3年8月 当時中学の担任だったN先生に呼ばれ、私は職員室に行った。 「あのね、あなたに合いそうな学校があるから見て欲しくて」 N先生は英語が担当で、偶然にも昔、私の2番目の姉の担任でもあった。 差し出されたパンフレットは、名古屋にある商業高校だった。 偏差値はそれほど高くないが、今年から「情報処理学科」が新設される共学校で、英語にも力を入れている。なにより魅力だったのが「うちの中学から一人もその学校に進学していない」ということだった。 「工業だと電気科や機械

空っぽの部屋で

2月18日に立ち上げたnote「淀ちゃん新聞」 急ですがLINE@にお引っ越しとなりました。 まずはアザラシと握手して友達になろう!!(ちょっとよく分からない) 結果を出して、皆様に勝ち馬を届けたいと思います!! あとは 改めまして、note「淀ちゃん新聞」は、たくさんの方にご活用いただけていたようで安心しました。ありがとうございます。新聞目的でフォロー頂いた方には申し訳なく。宜しければLINE@でポチっと♡よろしくお願いいたします。 まずは ■お引っ越しを決めた理