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「ハッピィ・バースデイ」第1話(全10話)

あらすじ
 塾講師の主人公・夏美は別れたはずの彼氏といつまでも一緒にいる。頭で考えることは得意でも、めんどくさいことは苦手。寂しさは感じない生活をしているはずなのに、一人になることが無性に怖い。そんな女性が、30歳の誕生日を前に一人になったとき、今まで考えてこなかったことが一気に押し寄せてきた。「私は一体、どうしたいの?」。
 思い通りにならない出来事だらけになった29歳最後の日と、30歳の誕生日。「私は一体、どうなるの?」。

 
 朝。下りのホームは、人が少なくて気楽だ。向かいホームに立っている人たちは、そこにいるだけで不機嫌な顔になっているのに、こっちは平和ボケ。どっちのホームにもスマホ持ったり、新聞読んだり、一点凝視といろんな人がいるけれど、のんびりムードはこっちがリード。都心に向かう人たちは戦ってるんだろうな。そして、そのために今、戦場の策を練る時間。電車の中で押しつぶされているときだって、心頭冷却の時間。火もまた涼し、と感じるために。あっちの人たちの方が、正解なんだろな。ま、私はいいんだ、別に。平和ボケで。
 ホームの壁にもたれて、ぼんやりと電車を眺めた。ふと気になり、カバンを前にして茶色のプリーツスカートを隠す。青く澄んだ空を見ながら、カバンで隠してスカートの線を触る。縦ではなく、横につけられた線を。
あーあ、何でこんなの履いてるんだろ。聡志ってば、何でこんな畳み方してくれたのよ。せっかく、服も下着も置いてあるから大丈夫と思って泊まりに行ったのに。タンスの引出しの一つに、私のもの全部詰めてしまってるんだもんなあ。服もスカートも靴下も下着も。たいして残っていないと言えども、女性のものはもっと大事に扱って欲しい。そういう気持ちのわかんない人だよね。このスカートの線を見せたときだって、ドライヤー当てて自分の髪を立たせながら、笑って、
「夏美さん、ごめん!」
だけだもんね。せめてドライヤー消してよ。結局、早起きして一度アパートに戻って、着替えてからの出勤になっちゃったじゃない。
聡志は私の元カレだ。二年ほど付き合って、お互いのアパートを行ったり来たりしていた。だけど、別れた。理由は、結婚できないと感じたから。だけど、週に何回かは今までのように、お泊まりしている。理由は、わからない。深く考えないようにしている。
 それにしても腹が立つのが、明日のことを何も触れなかったこと。明日で私は三十歳になる。私の誕生日のこと覚えているはずなのに、祝う気も何もないんでしょう。まあ、別にいいけどね。やっぱり別れて正解だよ。あんなスカートの畳み方も、謝り方も私の誕生日もわかんないような人とは、将来が見えないからね。今ぐらいの関係が楽でいいわ。一緒にお酒飲んで、適当に愉しむ関係がさ。どうせ腐れ縁。新しいパートナーまでの繋ぎですよ。
 実は私、谷村夏美には、今まで絶えず彼氏がいた。よくよく考えてみると、中学2年生から「空き室無し」だった。しかも私から告白をしたことがない。自分で言うのも何だが、とにかくモテたのだ。初めて付き合った彼氏は、よく喋る野球部のピッチャーだった。でも、会話にストライクがなく、フォアボールで別れた。初めてカラダを許したのは、高校1年生のとき。「遊びに行こう」が口癖の大学生に、遊ばれた。私は自分史を振り返るとき、彼氏を思い出してから出来事を思い出す。
「2015年は何があった?」
「ユウくんの2年目の頃だから、新しい部屋に引っ越した」
なんて具合にね。
 ただ、誰かと付き合うたびに、友人は減っていった。性格悪い、とか、中身がないくせに、とか散々陰口叩かれた気がする。でも、これでも努力はした。学生の頃、部活動は、汗をかいてスタイルをキープするためにバスケットを続けていたし、似合う髪形を研究するために雑誌や美容室に一年間で費やしたお金は、中古の車を一台買えるほど。そして毎晩、眠る前にはこっそりと、神様に「幸せな家庭を築けますように」ってお祈りしてるからね。そのためには素敵な彼氏でしょ? 次が見つかるまでは、適当に過ごすんだ。
私はカバンの中から、さっきコンビニで買った温かいお茶を出し、一口飲んだ。上りのホームでは、飲みすぎの電車が、吐く場所を探すような速度で到着する。何人か降りたと思ったら、それ以上の人たちが乗ってくる。向かい酒。ここで吐かれちゃ困ると、駅員もじわじわと進みながら押していく。ドアにもたれている人たちも苦しそう。スカートの横線を指でなぞりながら、私は彼らを眺める。みんなそれぞれ、大変だ。お酒も、仕事も、電車も、適量で適当が一番いい。



第2話  

#創作大賞2023 #恋愛小説部門


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