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「ハッピィ・バースデイ」第9話(全10話)

 夜中の三時。アパートに着いた。シャワーを浴び、スウェット姿に戻る。ジャケットはとりあえずハンガーにかけて、明日クリーニングに出そう。タオルで髪を拭きながら、ドライヤーでバッグの中身を乾かしていく。手帳もずぶ濡れになっている。仕事もプライベートも一冊にまとめた手帳。丁寧に一枚ずつはがしていく。今までのにじんだ記録と、これからのぼんやりとした予定を見つめる。
 スマホを手に取る。画面は黒いまま。水に濡れたのが原因だろう。私は、たぶん今までの人生で一番大きなため息をついた。
「なんて誕生日なんだろう……」
 今日はまれに見るひどい一日だ。スマホを床に置き、ベッドに倒れこんだ後、布団の中に頭までもぐり、冷えた体を温めた。自分の息と布団の温かさだけが救いだ。

 部屋の明かりを消して、目をつぶっていると、ぼーっと聡志のことが思い出される。
 寂しくなり、目を開けてベッドの脇の時計を見る。三時半を過ぎている。
今誰と一緒にいるんだろ。何で? ついこの前まで私のこと好きって言ってたのに。
 あれ? 布団から顔を出し、天井を見つめる。……聡志は私と結婚したかったのかな。一度もそんな話になっていないけど。ちょっと待って。私が結婚の話をしたら聡志はどうしていたんだろ。でも聡志も結婚のことは何も言わなかったからね。あれ? もしかして、私が避けていたから、あえて聡志は言わなかったのかな……。つまり、私は振ったの? 振られたの? もう一度、布団をかぶり、ベッドの上を壁の方まで転がった。
 私は固く目をつぶった。ほら、こういう感情だよ。めんどくさい。こんな気持ちになりたくなかったから、適当で良かったんだよ。でも結局なっているじゃない、こんな気持ちに。何ていうのかな。独占欲? 自尊心? 快楽主義? 嫉妬? うぬぼれ?
 はいはい。分かっています。好きなんですよ。くせも人柄も、全て含めて。聡志の事が好きなんですよ。だから困ったときには一緒にいたくなるんですよ。でも、もう遅いな。
 誰にも相手にされなかった一日が終わる。私このままどうなっていくんだろ。お腹が痛くなってきたので、手のひらでさすり続ける。死んだおばあちゃんの教えを思い出す。女の子はお腹を冷やしちゃダメ。いつも一緒に寝て、お腹をさすってくれた。温かかった。やっぱり、家族っていいな。私はこれから先、誰かと一緒に暮らす事はないんだろうか。子どもとかリアルに考えた事もなかったけど。……かわいいだとうな。
 頭が冴えてきて、眠れない。いつの間にか、雨の音は止んでいた。雪、降っているのかな。天気のことでも考えないと、避けてきた事ばかり考えてしまう。
 どうしたらいいかなんて、分かってるんだけどね。きっと、分かってたんだけどね。

 布団から顔を出し、壁にかけてあるどろどろの白いジャケットを眺め、それからスマホを見る。スマホ、乾いたら治ってないかな。ベッドから転がり、床に置いてあるスマホに手を伸ばす。一応、ボタンを押してみる。暗い部屋に少しの変化が。……ん?……あれ?今ちょっと、明るくなった?
あわててベットから飛び起き、画面を覗き込んだ。メールが届いている。二十件。不在着信、八件。全部、聡志から。布団を握る。初めのメールは一時五十分。
「うち今、親来てるから。ごめん。そうそう、誕生日おめでとう! ホントは誰よりも早く十二時ちょうどに言うつもりでした(笑)」
 ふーん。(笑)って何よ。……お母さんだったんだ。布団を握る手の力が抜ける。そう言えば、電話の後ろから聞こえてくる笑い方が、若くなかったというか下品だったというか……。なんてね。とにかく、こっちは今まで笑えなかったよ。
「……あはは!」
 はさみを持って笑っている待ち受け画面の聡志を見て、私は力が抜けていく。いつの間にか最初は小さくもれた息が、大きな笑い声へと変わっていく。返信は起きてからにしよう。起こしたら悪いから。待ち受けの時間は四時を回っていた。

今日で私は三十歳になった。


第10話


#創作大賞2023 #恋愛小説部門

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