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「ハッピィ・バースデイ」第10話(全10話)

「ピンポーン」
 寝ぼけた頭に、玄関のチャイムが響く。勧誘かな?無視しとこ。
「夏美さん!」
 ん? 聞き覚えのある声が……。え? 聡志? 時計を見ると、朝七時。私はあわててドアを開ける。普段見たことのない焦った顔の聡志が立っていたので、最初、誰だかわからなかった。
「どうしたの?」
「夏美さんこそ、どうしたの?……電話つながらないから、心配したじゃん!」
「あ、……ごめん」
「普通さ、着信とか気づいたら、連絡するでしょ?」
 何だか聡志の視線が、いつもより鋭い。よく見ると、目も疲れている。もしかしたら聡志も私と連絡が取れなくって、余計な事を考えて昨日の夜を過ごしたんだろうか。昨日の事を説明しようかな。でも何て言えばいいんだろ。返事に困っていると、
「誰かいるの?」
 と聡志が言った。少し部屋の奥を覗いている。
「いないよ。いるわけないじゃん」
「あ、ジャケット……」
 聡志が奥にかけてある、どろどろになった白いジャケットを見つけた。
「あれ、着たの?」
「……聡志にもジャケットにも、いろいろご迷惑をおかけしました」
 頭を下げる私に、聡志の目が柔らかくなった。全てを許してくれるいつもの優しい聡志の目。私は玄関の壁にもたれた。やっぱりこれからも、この人と一緒にいたい。
「あのさ」
 私が言うと、何、という表情で聡志が私を見る。三十代はめんどくさいことから逃げないようにしてみようかな。スウェットを指でいじりながら、ふと思ったことを口にする。
「お母さん、来てるの?」
「そう。大学の同窓会だって。何か盛り上がったみたいでさ、電車なくなったんだって。まだ寝てるわ」
「だったらさ……紹介してよ!」
「え?……いいけど、今日は夏美さんの……」
「二人に祝って欲しいな。そしたらきっと、二倍に嬉しくなると思うんだ。私」
 聡志は最初、意味がわからないというような表情で、口を開けて私を見ていたが、急に何か思いついた顔になって、こう言った。
「……チラシ寿司」
「え?」
「チラシ寿司上手いんだよ、うちの親。これ、意外とワインと合うんだよ!」
 興奮しながら説明する聡志がよりいっそうかわいく、いとおしく思えた。
「ホントかなあ……」
「ホントだって! あ、今日の夜、親と一緒に持ってこようか?」
 私は聡志との関係を、もっとはっきりと約束されたものにしたい。もう離れるのは、めんどくさい。私は聡志が好きだから。ゆっくりと息を吸い、息を吐く。
「何て言うの?」
「え?何を?」
「私のこと、お母さんに」
「ああ……えっと、友達、でいい?」
 目の奥を覗き込むように聡志が言う。彼の考えていることが、わかる気がした。
「ふうん。彼女じゃなくて?」
「……彼女でいいの?」
「彼女がいいの」
「……でもさ、彼女なんて言って紹介したら、結婚相手の紹介っぽくならない?」
 聡志が強ばった笑顔と、ちょっと大きめの声になった。私も聡志の緊張が移った。
「大丈夫よ。ちゃんとあいさつできるから……」
 それだけ伝えると、聡志は今朝の空のように明るい笑顔になり、ごめんね、朝早く。時間、また連絡するわと言い残し、アパートの階段を駆け下りて仕事へいった。聡志の後姿を見送りながら、わかった。そっか。なるほどね。私と聡志は、似てるんだ。

 三十歳の朝。雨上がりの空。何か縁起がいい。部屋に戻り、窓を開けて澄んだ冷たい空気をいっぱい入れる。さてと、とつぶやき、ベットに座ってスマホに文字をうつ。
「プレゼントは指輪がいいな。サイズ間違えないように!」
 あ、そうだ。(笑)もつけておこう。深呼吸して周りを見る。見たことがあるいつもと同じ風景。変わらない生活。さて、今から変わりますよ。少し大人になります。準備はいいですか?……では、送信!

ハッピー・バースデイ・トウ・ミー!  

#創作大賞2023  

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