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「ハッピィ・バースデイ」第8話(全10話)

 夜の二時。私はカバンを持って、簡単にメイクを直し、聡志にもらった白いジャケットを羽織った。コンビニでいい。何か買って食べないと。
 今日は星も月も出ていない。何だがじっとしていられない。私は駅へ続く冬の寒い夜道を早足で歩く。胸の中のもやもやが暴れ始め、気持ち悪くなる。大声を出して、走り出したくなる。やけになって、かかとを踏みながら履いているスニーカーが邪魔をして、思ったように身動きが取れず、さらに自分が嫌になる。もやもやは今日までの自分だ。考えないようにしていた出来事が、ここぞとばかりに必死で私と視線を合わそうとしている。つんと感じる鼻の奥にぐっと力を入れて、私は前を向き、一人で歩いた。
 コンビニ近くの小さな公園。ベンチに腰掛け、コンビニで買ったホットコーヒーを飲みながら、チョコレートのケーキをほお張る。ジャケットにこぼれたケーキのスポンジを払い、袖をつかんで腕の部分を伸ばしてみる。やっぱり一回り長い。ため息をつく。
「いっつも、惜しいんだよね……」
 そういえばこの公園、聡志とコンビニ帰りに寄ったことがある……。冷たい風が、生温かい思い出を運んできた。
「違うよ! これからのことを考えなきゃ!」
 勢いよく、私はベンチから立ち上がる。コンビニ帰りにこんな公園に寄るから聡志とのことを思い出すんだ。早く立ち去ろう。帰って、今日はもう暖かくして寝るんだ。そして明日は誰か他の元カレに連絡してみようかな。
 急いで歩くが、目を上げるとこの商店街で見るもの全てが、聡志と関係があることに気づく。このカフェはモーニングセットが美味しいからと紹介した。ゆで卵がその日はなぜかぱさぱさで、笑って水を飲んでいた。クリーニング屋には入っていないけど、前に繋いでいる犬の名前を当てあった。答えは未だにわからないけど、それで良かった。クリーニング屋の前で立ち止まり、ガラスの扉に映っている私を見る。白いジャケット。聡志から一年前の今日、誕生日のプレゼントにもらったものだ。
 私はMサイズの白いジャケットをもらった。でも私はSサイズなので、少し大きかった。聡志は初め、申し訳なさそうな顔をしていた。私は何とか気にしなくても良いように、鏡の前で、嬉しいような悲しいような顔をしながら、似合う角度を探していると、急に聡志が笑い出し、
「入学式前の中学一年生みたいだね」
 と、言った。私がふてくされた顔になると、聡志はいよいよ開き直り、
「来年は夏美さんも大きくなって、着られるようになるから。大丈夫」
 と、真顔で答えた。何が大丈夫なのか全くわからなかったが、私はいつの間にか笑っていた。そうなんだ。聡志といたら、私はいつの間にか笑うことができたんだ。
 再び、私は歩き始める。この思い出が持つ甘さと切なさは、きっと二度と手に入らなくなるような気がする。そしてそれは、聡志の仮面をかぶり、後悔の扉をノックし始めた。ノックの音の代わりに、質問が飛んでくる。一問一答。Q&Aが始まった。
Q1、何で別れたの? 
A1、結婚してもうまくいかないし……
Q2、じゃあ、何で一緒にいるの?
A2、そりゃあ、気が合うから?
Q3、ふーん
A3、……。

 涙が出そうになる。ぐっとこらえていると、我慢した涙は冷たい雨になり、私の頬に降り注いだ。雪が混じってそうな冷たい雨。降るなんて思っていなかったから、傘なんか持ってきてないし。寒さがどんどん増していく。ジャケットを頭に被る。勢いを増す雨は、大きな音を立てて地面に降り注ぐ。遠くで空が光り、しばらくしてから雷の音が鳴る。雪に変わるまでに帰らないと。早足で歩く。
 え? スニーカーが滑り、私は水溜りに尻餅をついた。跳ねた泥がジャケットにつく。上からは大粒の雨が私を包む。目を横に移すとスマホがバックから出て、水溜りに落ちている。あわてて拾い、画面を見てみると、何も映っていない。私の指が濡れているからかも知れない。パニックになり、かじかんだ指を服で温めながら何度も電源を付け直すが、いくらボタンを押してもつかない。
「ちょっと待ってよ、何それ……最低。今日私、誕生日なんですけど……」
黒い画面のスマホに向かって、つぶやく。私は一人で、転んで。聡志は二人で、笑って。何で聡志は私と一緒じゃないの?

第9話

#創作大賞2023  

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