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自分の心や魂を言葉でスケッチする、その先の可能性

書くって、みなさんどうしてるんでしょうか。

わたしには、ふと無性に自分の内面に浮かんでくる何かをアウトプットをしたくなるときがあり、そういったときの書くことというのは、ほとんどアドリブに近い状態で言葉が紡がれていくかんじであり、心にぼんやりと浮かんでいる風景をスケッチしている感覚に近い。

こういったときの文章は直前までどんな言葉が浮かんでくるかわからない状態で、すごく自然。だから、あとで言葉尻が気になって微調整するにも、考えてしまうことで本来のものとかけ離れてしまったりして、結局直さなかったり、反対にその微調整によってスケッチの描写がわたしの内側とより近くなるなら、採用したりする。

本当にやりたいことをプレゼンするときの企画書なんかも、この感覚だから、大袈裟かもしれないけど、心の声、もっというと魂の声を、自分以外の人にもわかる形にしている感覚なのかもしれない。

ときどき、この魂の声をだれかと共有したくなって、すごい長いメッセージを送ってしまうこともある。その内容は様々だけども、そういう共有できる相手がいるって、幸せだなと思う。


そしてふと思った。いつからだろう、心や魂のスケッチをするようになったのは。

デザイン会社の企画部で働いていたときに、いちから文章の書き方を教えてくれた方がいて、その方のおかげで人目についても大丈夫な文章が書けるようになった。

印刷物やウェブサイトの文章をくりかえし書くことで、なんとなくその媒体のテイストや雰囲気を感じて書くようになり、言葉も出来るだけ対象の商品やサービス、それを求める人の感覚に近いものをチョイスしていくようになったかもしれない。

そういうことを続けていたら、結婚式のツールや自宅のコンセプト作成など、自分と向き合うのと同時に文章を書く機会がいくつかあり、文章や言葉で内面をスケッチする感覚がどんどん芽生えていった。それはまだ自分でも認識していない自分の心の声をすくいあげていくような行為で、おそらく本来の自分にコミットしていく営みでもあった。

この延長線上で、最近は、空に浮かんでいる雲がなにを伝えているかをイメージするということをやっている。以前チャネリング体験をしたときに、その先生からいただいたメールの中に、優子さんはチャネリング体質だと思う、ということが書かれていて、ちょっとびっくりしたけど、もし自分がなにかの対象にコミットして、そこから受けるぼんやりしたイメージを言葉にすることが得意なのであれば、伸ばしてみようと思った。

そしてそれは結構楽しい。とくにここ何年か共感能力や環境に影響を受けやすいことで体調を崩しやすかったりして大変なこともあるけれど、もしその力を使って何かとチャンネルを合わせることができるなら、自分の世界がもっと広がっていくのかもしれないなと思っている。

今回も思いがけずこんな文章が出てきて、自分ですごくびっくりしています。


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