温暖化懐疑論者の現在


温暖化論者のシュミレーションに対するイメージ
懐疑派のシュミレーションに対するイメージ

「地球温暖化を緩和、防止するために二酸化炭素の排出を削減することが必要である」
この言葉はまるで自明であるかのように喧伝されていますが、「地球温暖化」から「二酸化炭素の削減が必要である」とするには実に長い論理を必要とします。

  1. 地球が温暖化している

  2. 温暖化の主要因は大気中の二酸化炭素濃度増加である

  3. 二酸化炭素濃度増加の原因は人類の排出量の増加が主要因である

  4. 地球の温暖化は利点と欠点を比べて欠点の方が大きいので温暖化は防止すべきである

  5. 二酸化炭素の排出量削減は利点と欠点を比べて利点の方が大きいので排出量は削減すべきである

  6. 二酸化炭素排出量の削減は現実的に可能である

従って、二酸化炭素排出量の削減を行うべきである。

これは証明問題です。一か所でも論理が成り立たなければ最後の結論にたどり着けません。温暖化懐疑論者(sceptic)はこの長い論理のどこかに綻びはないかと疑ってかかる人たちです(否定論者 denierは罵倒語)。温暖化論者からは1~3くらいだけを否定しているとされ、そこだけに論点を絞って論破されたことになってしまうのですが、藁人形論法だと思います。

私はずっと懐疑論者で色々と関連する本を読んできましたが、最近は懐疑論も停滞しているように思えます。出てくる本も以前の内容の焼き直しが多い。語ることは語り尽くされ、新たに付け加えられることがなくなってしまったようです。

勿論これは全ての疑念が晴れたということではありません。提出された疑問の多くは答えられることなく宙をさまよったまま、新しいデータの蓄積を待っています。

そうこうする間に世論も次第に変わってきました。

二酸化炭素排出削減の現実的な可能性について、安価で安定したエネルギーなしには人間生活は非常に大きな制約を受けることが改めて意識されるようになりました。一方、かつては夢のエネルギーとして喧伝された再生可能エネルギー、特に太陽光がその輝きを失っています。得られるエネルギーが結局はお天気任せで電力グリッドを不安定化させ、自然災害に弱く、設置区域の地盤の脆弱化を招き災害の被害を増大させることもあります。出力は徐々に下がり、耐用年数を超えたり破損したパネルの廃棄は面倒で下手に処理すると重金属による土壌汚染を引き起こします。

得られるエネルギーが不安定であることについては十分な容量の畜電池を用意すれば事足りる話ではありますが、これにも大きなコストが掛かります。

この状況に際して二酸化炭素排出削減論者もまた、思考停止に陥っている気がします。現実的な代替案を用意することが出来ず、再生可能エネルギーがバラ色の未来だったころの主張をそのまま繰り返しています。

もう一度、温暖化が二酸化炭素の削減に行きつく論理を懐疑派の立場から見直してみます。

  1. 地球が温暖化している
    地球の平均気温を求めることはかなりの難点を含みます。観測点のばらつきやヒートアイランド現象、観測手法の変化の補正などです。数年前まではここを論点とする人もいましたが、近年は減ってきて温暖化自体は認める流れです。

  2. 温暖化の主要因は大気中の二酸化炭素濃度増加である
    二酸化炭素は温室効果ガスです。懐疑派もそれは認めますが、他に太陽活動の変化だとか地球の自転軸の変化だとか様々な理由を持ち出します。ただ、太陽活動の変化は観測結果がありますし、自転軸の変化も気温の変化に対する時間スケールが違い過ぎるように思えます。二酸化炭素以外の要因の説得力では懐疑派が劣勢な感じがします。
    二酸化炭素の影響に関して、二酸化炭素の濃度が二倍になった時期待される温度上昇幅を気候感度といいます。この推定値をAR5でIPCCは1.5~4.5℃と推定しています。これは二酸化炭素濃度が純粋に2倍になっただけでなくそれによって引き起こされた他の要因も含んだ数値です。純粋に二酸化炭素の濃度が2倍になり、他の要因が何も変わらなければ気候感度はもっと低く0.7℃くらいなので懐疑派はこの値を使っていた時期もありましたが、今はIPCCの流儀に合わせて、それでもせめてもの抵抗としてIPCCの推定値の下限に近い1.7℃くらいと見積もっています。他の温室効果ガスには水蒸気やメタンなどがあります。量や効果に関しては水蒸気の寄与が一番高いはずですが、人間に制御できるものでもなく、また氷や水に状態を変えるので非常に扱いづらい。気温上昇に関する水蒸気の寄与も懐疑派はわずかに負、つまり気温が上がれば水蒸気は温度を下げる方向に寄与すると見ていますし、二酸化炭素排出削減論者はわずかに正だとしています。
    いずれにせよ、二酸化炭素が気温に与える影響は温暖化論者ほど高くはないにしても懐疑派も認めざるを得ません。

  3. 二酸化炭素濃度増加の原因は人類の排出量の増加が主要因である
    二酸化炭素の循環も生物や海洋、火山活動など様々な要因を含み、正確な推定はやっかいではあります。ですがこれも近年は懐疑派の論点には含まれなくなってきました。
    ここまでの論点では懐疑派が明らかに劣勢に思えます。

  4. 地球の温暖化は利点と欠点を比べて欠点の方が大きいので温暖化は防止すべきである
    ここはかなり前から二酸化炭素排出削減論者が主張を変えてきている部分です。単純に暖かくなるなら人類にとってそんなに悪い話ではありません。暑くて死ぬより寒さで死ぬ人の方が遥かに多いのですから。人類発祥の地はアフリカです。暑さに対応する能力はあります。植物も基本的には暖かい方が良く育ちますし、暖かくなって水蒸気が多くなると降水量も多くなるのでより良いです。
    グリーンランドの氷は溶けて海面が上昇するかも知れませんが、ロシアやカナダの寒くて人が住めない地域が利用可能になるかも知れません。
    そこで、シミュレーションの結果、温暖化すると気候が極端に変動しやすくなるとしました。こうすると暑くても寒くても大雨が降っても日照りが続いても全部温暖化のせいになります。
    実際に台風や旱魃が増えているかという点に関してはIPCCのデータを分析したUnsettledという本(著者はオバマ政権の科学アドバイザーを務めたなど、科学者として結構な大物です)では有意に増えているようには見えないという結果を出しましたが、研究者には無視される結末になりました。
    二酸化炭素排出削減論者はしきりにシミュレーションを持ち出しますが、懐疑派としてはこの論点は観察データの蓄積不足として引き分けに持ち込みたいところです。
    二酸化炭素排出削減論者は温暖化すると動植物が急激な温度上昇に耐えられず絶滅すると脅してくることもあります。具体的にサンゴ礁、ホッキョクグマと温暖化によって絶滅が危惧されるとされてきましたが、現実にはちっとも絶滅する気配もないので、最近では具体的な対象を挙げるのは止めて、多くの種の大量絶滅の危険性があると雑に述べることも多くなってきました。

  5. 二酸化炭素の排出量削減は利点と欠点を比べて利点の方が大きいので排出量は削減すべきである
    この辺りから懐疑派が息を吹き返します。
    そしてこの論点は自然科学の領域ではありません。
    二酸化炭素排出量削減の主な利点はシミュレーションによって予想された温暖化による災害(台風や大雨、旱魃等の増加や海面上昇など)の防止です。反対側の天秤に乗せられているのは主に化石燃料の使用制限です。温暖化は観測事実ですが、温暖化による災害増加はまだ予想に留まっていることも重要です。
    エネルギーなくして人間はほぼ何も出来ません。化石燃料はエネルギー源として極めて優秀です。化石燃料による安価で安定したエネルギーは産業革命以来、人間活動のほぼ全ての領域を支えてきました。
    二酸化炭素排出削減論者は二酸化炭素排出量を削減しないと自然災害が増えると脅かします。しかし、自然災害は温暖化に関係するものばかりではありません。地震や火山の噴火もあります。災害でなくとも人は病気に罹ったり事故を起こします。食料を作ったり運んだりもしなければなりません。そのために必要なエネルギーを化石燃料による安価で安定したエネルギーから転換するには莫大なコストを要します。転換できなければ、人間活動自体に制限を掛け、全ての困難に対処する力を削減する他はありません。
    この、シミュレーションによって予測されただけの自然災害の増加によるコストと、人間活動全ての領域に影響を及ぼすエネルギーの転換コストの比較はまったくもって自然科学の領域ではなく、経済や政治の領域の問題です。
    1900年以来地表付近の温度は約1.2℃上がったようです。この間、自然災害が増えたかどうかははっきりしません。しかし化石燃料による安価で安定したエネルギーのおかげで全体として、より安全で快適な生活を人類が送れるようになったことは間違いありません。エネルギーさえあれば人類は大抵の困難に対処できるのです。自然災害が予想できるなら、建築物の強靭化や治水などのインフラに資本を投入するほうがエネルギーの転換コストよりはるかに安いかも知れません。そしてそれはシミュレーションが間違っていて温暖化による自然災害が来なかったとしても有益です。
    個人のレベルでいえば、二酸化炭素排出を削減するために電気代や燃料費が常軌を逸して高騰するくらいなら初めからエネルギーの転換など止め、そのお金でクーラーや暖房を買った方がましということです。温暖化しようがしまいがそもそも夏は暑くて冬は寒いものなのですから。
    また、二酸化炭素排出削減論者は特に発展途上国の人は資本の蓄積に欠けているので自然災害に弱く、100年後に予想される自然災害の予防の為に化石燃料の使用を削減することは倫理的に正しいと述べます。ただ、途上国の人が今日を生き、明日の生活を改善するために化石燃料による安価で安定したエネルギーを切実に必要としていることには関心がないようです。
    さらに二酸化炭素には施肥効果(別稿)があります。大気中の二酸化炭素は食料の増産には直接的に効果を及ぼし食料価格の安定に貢献します。食費が生活費に占める割合(ジニ係数)の高い貧困層には特に有利に働きます。これも二酸化炭素排出削減論者にはあまり扱われない論点です。

  6. 二酸化炭素排出量の削減は現実的に可能である
    ここは論じるというより夢と妄想が語られる場と化している気がします。2050年までにカーボンニュートラルを達成するために、二酸化炭素排出削減論者の、ブラック企業も真っ青な精神主義、リスクや副次的効果を無視した穴だらけの数値目標やノルマが語られる場です。
    懐疑派は皮肉を言いこそすれ、あまり真面目に取り合っている様子はないように思えます。そのうちに現実が多くを語ってくれるでしょう。

現在、二酸化炭素排出削減論者と懐疑派は反発しあっています。主流派である二酸化炭素排出削減論者は懐疑派に反科学のレッテルを張り、懐疑派は批判精神こそが科学の本質なのに二酸化炭素排出削減論者は聞く耳を持ってくれないと嘆きながら温暖化論理のあら捜しに余念がありません。

二酸化炭素排出削減論者も二酸化炭素排出削減の理由づけの為に役立ちそうならどんなものでも飛びつきます。下はClimate Change: A Very Short Introductionという本に載っていたグラフです。キャプションには穀物の生産高の推移とあります。記憶にあるグラフと違うのでよくよく見ると縦軸が生育期間の変化とあります。暖かくなっているなら作物の生育期間も短くなるでしょう。何か不都合があるでしょうか。この本は権威あるオックスフォード大学出版局から出ています。著者は地球科学の専門家のようですが、党派性があまりに強いと簡単なミスを犯します。

27. Changes in cereal grain yields between 1980 and 2020.
Maize:トウモロコシ, Soybean: 大豆, Winter Wheat:冬小麦,
Rice:米, Spring Wheat:春小麦

(実際には穀物の単位面積当たりの収量は伸び続けています。)

単位面積当たりの穀物生産量
(世界の地域別)

この本は他にも温暖化で野外作業での熱中症の危険が増すから農作業が可能な時間が減り、収穫量が減ると真面目に述べています。著者は現在でも40℃を超える環境下で働く工場労働者が多数いて、その人たちの為にファン付きウェアが販売されているのを知らないようです。創意工夫で克服できることは数多い。著者をワークマンにでも連れて行ってやりたいと痛切に感じます。最貧国の農民はファン付きウェアなんて買えないという指摘には、それを可能にするのが安価で安定したエネルギーによる経済成長だと返したいと思います。

最貧国の一つにマラウィという国があります。私はこの国のカハンガという名で流通していたコーヒーが大好きだったのですが、コーヒー豆を輸送するにも燃料が必要なのです。

2050年までのカーボンニュートラルと途上国の経済成長のどちらが可能性が高く、また望ましいかという話でもあります。

正直、この本は懐疑派からすると突っ込みどころ満載で、オックスフォード大学出版局の見識も怪しくなるほどの代物なのですが、アマゾンのレビューは4.3とそれなりに高いのです。主な読者が二酸化炭素排出削減論者だからでしょう。

懐疑派だって負けてはいません。ヨーロッパの電気代が上がり、カリフォルニアで停電し、どこかの電気自動車が爆発する度に、それ見たことかと歓声を上げます。

一見、異常な状況にも見えますが、お互いに話の通じないこうした状況は科学史において珍しくありません。16世紀、天動説と地動説の置かれた状況も似たようなものでした。

当時、別に天動説が観察結果の説明するための理論として致命的な欠点を持っていたわけではありません。惑星、特に火星の運動に特別の配慮が必要だっただけで天動説で星々の運動はほぼ説明できてはいました。当時の水準でお互いに科学的ではあり得たわけです。何より違っていて、乗り越えることが難しかったのは宇宙における地球の位置付けでした。地球が宇宙の中心であるのか、それとも他の惑星と同じ太陽の周りをまわる一天体に過ぎないのかという問題です。神が人類を世界の中心に置いたのか、それとも人類は神が作った世界の周辺に生きているに過ぎないのかという違いです。同じ星を見ていても、世界観がまるで違う。世界が相手の思っているようなものである筈がないので互いに相手を理解することを拒否しました。

二酸化炭素排出削減論者は人間を、好き勝手に活動させると地球の自然環境に害悪を及ぼす生き物であり、何らかの手段で押さえつけることが必要だと考えています。人類の独善性、自然からの収奪を象徴するのが化石燃料です。これを人類から奪うことは人類を大人しくさせるために必須です。ですから、二酸化炭素排出削減論者は化石燃料に対する規制を不可欠とします。地球温暖化が遥かに小さいコストで実現できるかもしれない手段(上空に化学物質を撒いて太陽光の反射率を上げる、海洋に化合物を散布して海洋生物による二酸化炭素吸収率を上げるなど)には冷淡です。地球温暖化問題によって、個人の財産権と経済活動の自由を基礎に置く資本主義の限界は明らかになったと高らかに宣言し、国際社会とやらによる新しい統制を模索します。

逆に懐疑派は、人間は自由さえあればどこからかエネルギーを掘り出し、時に多くの間違いをしでかしたとしても大抵の困難は創意工夫で乗り越えられると信じています。これまでも、これからも。

この人間に対する考え方の違いはとても大きい。

科学史によればこのようなパラダイムの相違は時間が解決してきました。党派性に凝り固まり、今更立場を変えられない古い世代が消え去り、新しい世代が新しいデータを柔軟な姿勢で考えなおす時にパラダイムの転換が起こります。

地球温暖化問題の行く末がどのようになるかは判りません。二酸化炭素排出削減論者のいうように、人類による二酸化炭素排出のせいで自然災害が手に負えないほど増加するのか、それとも人類が排出削減を見事に成功させて温暖化とそれによる自然災害を防止するのか。懐疑派が言うように、温暖化しても自然災害の増加など起こらないのか、または増加したとしても人間が見事に適応し被害を押さえ続けて見せるのか。

温暖化論者の試算では温暖化による被害は22世紀にははっきりとすることになっているようです。流石にそこまで生き続けることは難しいでしょうが、おぼろげな答えなら数十年経てば見えてくるかも知れません。。

私の世代はソビエトの崩壊という形で共産主義という巨大な社会実験の答えを見ることが出来ました。地球温暖化問題はそれに優るとも劣らない巨大な社会実験です。私はその答えを知りたいと思いますし、そのためには長生きしなければいけません。もしかしたら間に合わないかも知れませんが、普段から健康に気を付けて一日でも長く生きてこの問題の行き先を見たいと思うのです。

参考文献(懐疑派側)

  • Alan Moran: Climate Change: The Facts 2014

  • Jennifer Marohasy: Climate Change: The Facts 2017

  • Susan J Crockford: The Polar Bear Catastrophe that Never Happened

  • Alex Epstein: The Moral Case for Fossil Fuels

  • Alex Epstein: Fossil Future

  • S. Fred Singer: Hot Talk, Cold Science

  • Steven E. Koonin: Unsettled

  • NIPCC: Why Scientists Disagree About Global Warming

  • NIPCC: Climate Change Reconsidered II Biological Impacts

(二酸化炭素排出削減論者側)

Mark Maslin: Climate Change: A Very Short Introduction

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