農地の窒素循環と農法


窒素循環
図はwikipediaを改変(青線部他)
💭の数値は世界の農地全体の推定値、単位はTg
(Agriculture and the Nitrogen Cycleより抜粋)

窒素は生き物にとって最も重要な栄養素のうちの一つです。アミノ酸や核酸の構成要素の一つであり、作物の生産に欠かせません。

地球全体で言えば、窒素は全量の78%程度が不活性な窒素ガスの形で存在しており、これはこのままではほとんどの生物にとって利用できません。窒素ガスは窒素を固定する作用を持つ細菌や雷など自然の作用、肥料合成やエンジン内の燃焼など様々な形でアンモニアや酸化した窒素に変わり、生物に利用され、一部は再び細菌の作用により窒素ガスに戻っていきます。

農地では作物の収穫という形で窒素を持ち出すので、継続的に窒素を補充する必要があります。そこで、農地では窒素はどのように出入りしているのかを見ていきたいと思います。

図はwikipediaから拝借したものを私が改変しました。図中の吹き出し中の数字はAgriculture and the Nitrogen Cycleという本から抜粋した、世界の農地全体における推定値です。単位はTg(100万トン)です。推定値ですから大して当てにならない上に、個々の農地の環境や与える肥料の種類によって大きく変わりますので雰囲気程度に見てやって頂ければと思います。

循環ですのでどこから始めてもいいのですが、とりあえず有機物の形で窒素を投入するところから見ていきたいと思います。(図中①)

農地へ有機物の形で窒素源を供給します。これには人間が有機肥料や堆肥を施したり、作物の残渣や動物の糞や死骸、細かい所では空気中から降ってくる花粉なども含まれます。マメ科に寄生する根粒菌や土壌中にいる窒素固定細菌は大気中の窒素ガスをアンモニアに変えますが、そのアンモニアは即座にその細菌や寄生先の植物によって利用されるので有機物として農地へ供給されることになります。

有機物中の窒素は土壌生物(主に細菌や菌類)が分泌する消化酵素によって分解されます。細菌や菌類はその体外に酵素を分泌するので分解は生き物の体の外で行われます。様々な生成物を経て、土壌生物に吸収されなかった残りは最終的にアンモニウムまで分解されます。また、土壌生物の一部(センチュウやアメーバなど)は体内の窒素と炭素のバランスを取るためにアンモニウムを体外へ排出することがあります。アンモニウムも土壌生物によって一部利用されます。(図中②)

アンモニウム(NH4+)は正に帯電しているので、土壌有機物や泥の粒子によく吸着します。植物にとってはあまり吸収しやすいイオンではありません。ですが、硝化菌と呼ばれる細菌はアンモニウムを酸化することでエネルギーを得ており、この作用でアンモニウムは硝酸イオンまで酸化されます。(図中③)

この硝酸イオンまできてようやく植物が吸収しやすい形となります。植物が吸収した窒素は作物として農地から持ち去られるか、一部は根などの残渣として農地に残り循環を繰り返します。

ちなみに水田では水を張っているため酸素が土壌中に少ないのでアンモニウムは酸化されません。ですが、水稲はアンモニウムを吸収することに長けており、硝酸イオンよりアンモニウムを好みます。

化学肥料はアンモニウムや硝酸イオンなど無機物の形で農地へ窒素源を供給します。また、雨や灌漑水の中には空気中のアンモニアや硝酸が溶けて入り込んでいて、小なりとはいえ意外と無視できない量の窒素が供給されています。(図中④)

この空気中のアンモニアや窒素は雷の作用(割合としては非常に少なくて農地に供給される量の2%程度と推定されています)や工場や車の排煙、別の農地で蒸発したアンモニアなど様々な要因で生じています。非常に環境による差が大きいと言えます。

作物の収穫以外の農地からの窒素の持ち出しを見ていきましょう。

地表付近で生成したアンモニウムイオンはアンモニアとして揮発します。(図中⑤)

肥料を施す時に土に混ぜ込むことが推奨されています。地表付近で生じたアンモニウムはアンモニアとして大気中に逃げてしまうので、肥料を土中に漉き込むことは窒素の有効活用としては尤もなことです。ただし、土壌を擾乱するので土壌生物には良くありません。

細菌の中には酸素の代わりに硝酸イオンを酸化剤として用い呼吸を行う脱窒菌と呼ばれるものがいます。この作用で硝酸は還元され窒素ガスや亜酸化窒素など気体の形へ変化し空気中に放出されます。(図中⑥)

土壌が風や水などによって浸食を受けると土壌有機物もその含有している窒素を共に農地から運び去られます。(図中⑦)

硝酸イオン(NO3-)は負に帯電しているので土壌に吸着せず、非常に溶脱しやすい(水によって運び去られやすい)イオンです。(図中⑧)

この図を元に少し考察してみたいと思います。

  • ガス害
    よく、未熟な堆肥を埋め込むとアンモニアが発生するという人がいますが、水分の多い地中ではアンモニアは水に溶け込んでアンモニウムイオンとなり、地表付近でなければアンモニアは蒸発しません。また、硝化菌はどこにでもいるので、発生したアンモニウムイオンは数時間で亜硝酸や硝酸に変わります。ただ、あまりにも多くの窒素源を供給したり、土壌消毒などを行って硝化菌の少ない環境を作るとアンモニアガスの発生は増えることになります。

  • 窒素飢餓
    土中の硝酸イオンは植物に吸収される以外にも土壌生物によっても利用されます。植物の根周辺の炭素と窒素の比(C/N比)が余りにも高いとそこに住む土壌生物の窒素要求量も高くなり、植物と硝酸イオンの奪い合いが生じます。植物が十分に窒素を吸収できなくなった状態がいわゆる窒素飢餓です。C/N比は大体25から20くらいが良いとされていますが、あくまで根近傍だけの話です。根に直接、高炭素資材が触れるようなら別ですが、問題になることは多くありません(微生物にとっては0.1mmも離れれば遥か彼方です)。

次に農法の話をします。

農地への肥料の供給の仕方によって慣行農法や、有機農法、自然農法と分けることがありますが、これは相対的なものです。慣行農法の中でも完全に化学肥料に頼ったように見える農法でも植物の根などの残渣を完全に取り除いたりしないので、幾らかは有機物の形によって窒素を供給しています。逆に化学肥料を使わない有機農法や自然農法も雨水や灌漑水により無機物の形で窒素は供給されています。

目に見える肥料だけを追うと化学肥料か有機肥料かという話になりがちですが、実際のところ、化学肥料は農地へ窒素源を供給している様々な経路のうちの一つに過ぎません。哲学としてならともかく、実質は化学肥料を使うか使わないかで何かが本質的に変わるようなものではありません。

また、有機物で窒素を供給しようが無機物で窒素を供給しようが植物が吸収するのはほとんどが硝酸イオンです(水稲を除く)。有機物が分解されて硝化菌の作用により生じた硝酸イオンだろうが化学肥料が溶けて生じた硝酸イオンだろうが同じものです。自然に出来た硝酸イオンと人工的に作られた硝酸イオンは違うと心温まることをおっしゃる方も中にはいるのですが、さすがに化学の大前提を覆すようなことを真顔で言われるとまともな話は出来ないと諦めるより他にありません。

無機の窒素は植物に吸収される他に土壌生物にも使われます。土壌生物はこの窒素を栄養として用います。生物が死んだりするとその死骸は土壌有機物として土中に蓄えられます。結局、無機の窒素もいくらかは土壌生物の役に立ち、土壌有機物を蓄えることに貢献しているわけです。

とはいえ、植物にも土壌生物にも吸収しきれなかった硝酸イオンは溶脱するだけなので、無機、有機に限らずあまり多量に施肥しても無駄になってしまいます。

土壌有機物が多く含まれ土壌生物のよく活動している農地は有機物の分解→アンモニウムイオン→硝酸イオン→土壌生物→土壌有機物のサイクルが活発で植物にとって必要な硝酸イオンが不断かつ十分に供給されている状態と言えます。

(土壌生物信者である私はこう述べたいわけですが、これについては怪しい所です。土壌生物の活動による分解や硝化によって生じたアンモニウムや硝酸イオンの量が植物の要求と正確にマッチしている保証はありません。)

時に自然農法の方で「肥料などやらんでも育つ」と豪語される方がいます。確かに目に見える形ではその方の農地に肥料は供給されてはいないのかも知れません。ですが、作物の残渣や雑草の刈敷は堆肥を施していることと変わりませんし、雨水や灌漑水にはその環境にもよりますが、無視できないほどの肥料分が含まれています。その方の農地は他所の農地から浸出したり蒸発した窒素分を有効利用して(または言葉は悪いですが、おこぼれで)作物が育っているのかも知れません。

農地への窒素の供給において、化学肥料を使うか使わないかは別に大した問題ではありません。植物を育てる上で大事なことは植物にとって必要な量の肥料分が必要なタイミングで供給されることなのです。化学肥料はそのための一助に過ぎません。

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