ジェンダーフェミニズム(ラディカルフェミニズム)


フェミニズムについては、もう大体30年くらい前に色々と読んでいた時期がありました。江原由美子氏の著作とか「家事労働に賃金を」とかです。結局その時に得た結論は「これは別に女性を特別視する必要はなく、一般的な人権や平等の概念で事足りるんじゃないだろうか」ということでした。


あれから幾星霜、当時とはフェミニズムという言葉の意味も変わってきたように思います。大雑把に3つに分けてみました。

  1. 男女に平等な権利を付与するように求める立場

  2. 女性という社会的役割は男性によって仕組まれた様々な抑圧の結果でありその排除なくして女性の自立はないとする立場

  3. 女性をか弱い存在とみなし女性を保護対象と見る男性の立場

歴史的な順番では3→1→2となります。3は中世からの騎士道の伝統を受け継いでいますが、30年前くらいでさえこの意味でフェミニズムという言葉を使う人は少数派でした。当時は圧倒的に1が多く、日本では2はとくに意識されていなかったように感じます。

今現在では1と3の意味でフェミニズムを使う人はいなくなった印象ですね。3は絶滅危惧種、1は逆に男女平等が社会の規範となったため、あえてこの意味でフェミニズムという必要性がなくなったのだと感じます。今フェミニストを自称している人は皆さん2の意味で使っているような気がします。(この認識もかなり古いということが別の本を読んで判りました。フェミニスト論的には、1は1stウェーブ、2はこの文ではジェンダーフェミニズムと表記していますが、一般には2ndウェーブまたはラディカルフェミニズムと分類されるようです。wikipediaによると現時点でフェミニズムは4thウェーブまであります。)

今回は2にあたるジェンダーフェミニズムについての本を読んでみました。

Christina Hoff Sommers: Who Stole Feminism? How Women Have Betrayed Women

古い本で1994年の発行です。著者は長年1の立場のフェミニストとして活躍されてきたようですが、2の意味のフェミニストが主流になっていく状況に危機感を覚え、その社会に対する危険性を訴えるみたいな本です。内容は、ジェンダーフェミニストの人たちが色々と調査、報告をしているが内容は誇張やこじつけが多く学問的な信頼性に欠ける、その誇張した報告を元に補助金を得ては講座やワークショップを開き、学生に思想を植え付ける一方で大学内の政治には熱心で学生たちを活動家として養成している、ジェンダーフェミニズムは学問の退行、社会の分断をもたらし危険だといった糾弾をしています。

ここではジェンダーフェミニズムというものがどういうものかについて本に書いてあることからまとめてみたいと思います。

まず、社会的役割としての性別(ジェンダー)において女性は男性によって抑圧されているという大前提があります。この抑圧機構は社会制度、慣習、言語、思考方法など様々なものに埋め込まれています。これらの装置によって、女性を人間ではなくモノや商品として扱うことに男性は慣れ、女性は成長していく過程でそれらに触れ、内在化していく中で男性に従属的な女性という役割を自ら規範化していくようになります(このへんにミシェル・フーコーの影響があると著者は言います)。ジェンダーフェミニズムはこれらの男性による女性支配の仕組みを暴き、改変し、社会をそのものを変革することで真に女性を解放していこうとする考え方です。

男性による女性支配の射程は長く、多岐に渡ります。言語においては様々な言葉、例えば「歴史」という単語は英語では history=his+story です。なぜ「歴史」が「彼の物語」であって、「人間の物語」ではないのか。また歴史上偉人と評価されている人物の大半が男性なのはなぜか。それは男性が歴史を私物化してきた証に他なりません。文学においても古典とされる作品の著者の大半は男性であり、恋愛小説の魅力的で強い男性に惹かれる女性像は女性の従属化に一役買っています。男性は理想的な体型というイメージを日常的的なコミュニケーションやメディアを通じて女性に植え付け、女性の身体をも支配しようとしています。さらに論理的な思考方法というのも男性的なのです。証拠を提示し論理を重ね、批判と反論によって互いの主張を戦わせる手法には支配と被支配の構造があります。「垂直思考」とジェンダーフェミニストが呼ぶ冷たい論理によって相手を屈服させようとする闘争は男性が女性を屈服させようとする構図そのままなのです。そのような方法ではなく、ただ共感を持って相手に寄り添い話を聞くという手法(水平思考)こそが真に目覚めた女性のとる方法です。

ジェンダーフェミニストはこれらの仕組みに気付き目覚めた女性です。他の多くの女性はまだその支配の構造に気付いておらず、ジェンダーフェミニズムによって迷妄を払われるのを待っている状態なのです。

私の感想として、この理解からジェンダーフェミニストたちの現実での行動やその影響を推論していきたいと思います。

ジェンダーフェミニストは性的なもの、特に性の商品化に特に敏感です。これはこの分野が特に女性の商品化という概念を世の人たちに植え付けているとジェンダーフェミニストが見るからです。概念が強化されること自体が問題なので2次元だろうと3次元だろうと関係ありません。また、規制によって不利益を被る女性がいることも気にしません。性の商品化の規制を強化しようとするジェンダーフェミニストに対し「『全女性の為に』と言いながら規制強化によって不利益を被る女性がいることは問題ないのか」とアンチフェミの人が当て擦りを言う時がありますが、性の商品化分野で働いている人は基本的には本人が望んでもいないのに周囲の状況に強要されている被害者として想定されています。その境遇から解放されることは本人にとっても幸せな筈なのです。望んで働いている人はジェンダーフェミニズム的には存在しないか、女性でありながらも男性による支配機構に貢献している裏切り者という扱いです。従って先の当て擦りは効果を発揮しません。ジェンダーフェミニストにとっての全女性とは覚者であるフェミニストとその教えによって目覚めさせられるべき潜在的フェミニストである女性だけが真の女性たちなのであって既にこの(男性優位)社会でうまくやっている人たちは含まないのです。

ジェンダーフェミニストは見かけの数にこだわります。ジェンダーギャップ指数で日本の順位が低いことや女性議員の数が少ないことはその事実自体が日本が男性優位社会であるという印象を与え女性を委縮させるので変えるべきなのです。選挙の過程が公平なものであるかどうかは問題ではありません。結果がそれを受け止める人々の意識を通して女性の解放を妨げるということが問題なのです。

ジェンダーフェミニストは性犯罪に関する冤罪に騙されやすくなります。これは証拠や論理を男性的なものとして排除し、被害を受けたと訴える女性にあらかじめ共感をもって接しようとする態度に起因しています。

自然科学や工学、統計など数字や論理が物をいう分野はジェンダーフェミニストの苦手とする分野です。冷たい論理に馴染めないこともありますし、数字よりも感情が優先されてしまい先入観に捕らわれることが多い上に目的のために数字を誇張することもためらいません。女性解放のための熱い思いのなせる業でもあります。勿論、ジェンダーフェミニストによれば自然科学や工学の分野で女性の活躍が目覚ましくないのは女性をこの分野で活躍させまいとする男性の刷り込みによるものであり、また学会などにはびこる偏見や見えない差別が女性の足を引っ張っていることによります。そもそも自然科学や工学がその論理や方法論において男性的な構造を持っていることもよろしくありません。逆にジェンダーフェミニストに向いているのは弁護士や社会活動家、被害者に真摯に寄り添おうとする姿勢が奏功します。

ジェンダーフェミニストに対して声の大きい少数という表現がされることがありますが、これはその通りだと思います。声の大きさという点では、社会に内包された男性支配の構図を暴き、改変を迫ることこそがジェンダーフェミニズムの本質なので原理的にはありとあらゆることにクレームをつけることが出来ますし、その改変を直接的な暴力といった男性的な手法を除くあらゆる手段で達成しようとします。ジェンダーフェミニズムが単なる主義主張ではなく女性解放運動である以上、黙っていることは害悪を放置し不正に加担することに他なりません。他者から「もう少し言葉に気を付けたら」とか「お願いだから黙ってて」と言われることは女性を圧迫し無力化し従属的な立場におこうとする直接的な決して許すことの出来ない行為であるとしてジェンダーフェミニストの逆鱗に触れます。

少数という点ではジェンダーフェミニストは社会の多数派には成り得ません。あまり大っぴらに語られることはありませんが、ジェンダーフェミニズムは婚姻に否定的です。ごく初期のフェミニストであるボーヴォワールは「結婚という選択肢があれば多くの女性はそれを選ぶだろう。従って結婚という選択肢は与えられるべきではない」と述べました。卓越したジェンダーフェミニストなら、男性パートナーの一挙手一投足、発せられる言葉の全てに男性が女性を従属させようとする意図を読み取るでしょう。こんな状態では共同生活そのものが不可能ですし、さらに性交渉こそは男性が女性を屈服させようとする行為そのものです。ジェンダーフェミニストが社会の多数派になった時点でその社会は次世代を生み出すことが困難になり衰退へ向かいます。

ただ、ジェンダーフェミニズムは社会に有害だから根絶すべきと述べたいわけではありません。話はそれますが、他にも多数派になれば有害だが少数派に留まる限りは役に立つ思想というのはあります。例えばストイシズムは個人の幸福を重視し、欲望からの脱却を通じて心の平穏を目指します。世界はあらかじめ決定されており、じたばたしても始まらないのです。禁欲から諦観に至り幸福を得る。こんな思想が多数派になれば経済は回らないし子供も生まれないしで大変なことになります。中国の寝そべり族のように多数になれば大きな社会問題ですが、ごく少数でいる間は精々が近所の人から変わり者扱いされて静かに死んでいくだけです。それでも世の中に生きにくさを感じている人には静かな諦めとささやかな慰めをもたらします。もちろん思想を世に広めようとする熱情からは程遠く、そんな面倒なことをするくらいなら公園でひなたぼっこでもして四季の移ろいでも感じていたほうがましです。

ジェンダーフェミニズムでは怒りが大きなテーマです。女性を屈服させようとする社会、しかもそれを隠れて陰湿に女性に刷り込み操作しようとする社会への怒りが改革への原動力となります。ストア派の観点からすると怒ってばっかりでちっとも幸せそうには見えないのですが、自分の生きにくさを外に向け生きる力に変えることにはなります。また、すくなくともジェンダーフェミニストでいる間は仲間から共感を持って真摯に話を聞いてもらうことが出来ます(そのかわり意見を違えると男性優位社会を補強する裏切り者扱いですが)。「被害者であることに気付くこと」がジェンダーフェミニストとしての目覚めなので、補償を受けるべき社会的弱者という立場と気付けたことに対する自尊心や優越感という一見矛盾する二つの心理的優位性を得ることが出来ます。この優越感は一般女性に対しても発揮されます。男性支配下の社会における女性像しか知らない一般女性は、支配下から解放された本当の女性がどのようなものか知り得ません。従って、女性について語ってもそれは的外れです。ジェンダーフェミニストだけが本来の女性のあるべき姿について語る資格を持つのです。

ジェンダーフェミニストはクレームを付け、支配の構造を変えようとすることが本筋なので、様々なところでトラブルになります。ではそのトラブルに巻き込まれたらどうすればよいのでしょうか。一般に用いられる、立場を明らかにして証拠を提示しつつ論理によって相手を説得するという手法はジェンダーフェミニストには通用しません。それは垂直思考であり、それこそが相手を屈服させようとする意志の表れでありジェンダーフェミニストが嫌悪し打破しなければならないものだからです。許されるのは水平思考、相手の感情に配慮し共感を持って話を聞くことですが、これは結局は話を聞いている側が無限の譲歩を強いられるだけなので紛争解決の場面では役に立ちません。つまりジェンダーフェミニストに対しては有効な紛争解決手段はないので、当事者同士での解決は不可能ということになります。トラブルに巻き込まれたら当事者間に話を限定せず、出来るだけオープンにして世間に対して自らの立場を訴えるということが必要ではないかと思います。

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