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蜘蛛の糸 読書感想文

 ヴイアライヴのレトラが芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を読んで読書感想文を書くとのことで、私も挑戦してみました。
 あまり肩肘張らず、サクッと書いていきます。

 ちなみにこちらがその時の配信⬇


 世界(神、そして人)は無情であるということと、同時に優しさ(救い)があるということ。この作品から感じ取れるものをざっくりと抽出するとそんな感じ。これより、もう少し深堀りしてみる。

 この物語に登場するカンダタという男は“人殺し”や“放火”によって地獄に落とされたが、お釈迦様は“蜘蛛を殺さずに助けてやった”というただひとつの善行のために、救済のチャンスを与えた。これは気まぐれではなく、カンダタという罪人にも命を尊ぶ真心があると知ってのことだと思われる。

 罪状の“人殺し”や“放火”について、何か得も知れない理由があってのことで、情状酌量の余地があるとお釈迦様が汲み取ったのだろうと。そう解釈した。時代背景は不明だが、少なくとも司法などにより安全が担保された時代ではないだろう。村々を好き勝手荒らしている賊の寝床に火をつけた可能性だってある。その辺の事情に関しては一切描写されていないが、カンダタの「命を無闇にとると言うことは、いくらなんでも可哀そうだ」という妙に説明臭い台詞が引っかかる。
 また、神(お釈迦様)は人の心を推し測ることはできないが、善い行いはしっかりと見ているということが書かれているように思えた。

 しかし、残念なことにこのカンダタという男は、自分の命欲しさに他人を切り捨て、自分だけ助かろうとした。人の心を汲み取るならば、再び地獄の底という痛みと苦痛の世界に戻ることにカンダタは焦りを感じたのかもしれない。人間の心の弱さを窺い知ることのできないお釈迦様は、やはり男に浅ましさを感じて糸を切ってしまった。

 人と神のすれ違いコメディだなと思いました。
 そして、この神(お釈迦様)は同時に、救済を差し伸べる側の人間のメタファーであるとも見て取れる。誰であろうと人の心は正確に測ることはできない。この世の無情も情けも、人と人とのすれ違いによって如何様にも形を変える。
 ブラックジョークというか、英文科出身の芥川龍之介の趣向が出ているような気がします。

 児童小説向けということで生真面目にまとめると、この物語から得られた教訓は『善い行いをすれば誰かが見てくれている』ということと、『それがその身に返ってくるかどうかは他人の気まぐれである』ということ、『人の心の弱さは誰にも救うことができない(本人次第)』ということでしょうか。

 最後の皮肉の効いたオチといい、短い文章でここまで読ませられるのはさすが世界的名著だなと思わせられました。

 おわり💁‍♂️

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