食べること 生きること-「在宅医療の現場から」-
こんにちは、米子市の在宅クリニック「よだか診療所」の前角です。
突然ですが皆さんは、食べることは好きですか。
今日は何を食べましたか。誰と何処で、どんな風に食べましたか。
愉しかったですか。美味しかったですか。お腹はいっぱいになりましたか。
今回は在宅医療の現場から「食べれなくなる」ということの意味について考えてみます。
食べることは生きることの基本です。私たちは毎日何かを食べて、エネルギーを得て、活動しています。
食べることは複雑な行動で、目が覚めている状態で、空腹を感じることで、口腔や咽頭、食道、胃腸などの器官や臓器の機能が協調して行われます。
お腹が空く。目で見て、口に運び、咀嚼して飲み込む。胃腸に運び、消化する。
この営みが非常に大切です。
なぜ人は食べるのか、それは生きていくためには栄養を摂取する必要があるからです。
摂取した食品から取り出されたエネルギーが、筋肉や脂肪、活動するための動力に変換されていきます。
しかし、食べることができなくなってしまう人もいます。
どうしてそうなるのでしょうか。
さまざまな疾病を背景に人は食べられなくなります。それは時に老化現象の一つであり、あるいは認知症や神経難病、心疾患、肺疾患、がんの進行の影響を受けていたりします。
食欲が低下したり、咀嚼や嚥下が困難になったり、消化や吸収が悪くなったり、また、薬の副作用や痛みや吐き気などの症状も食べることに影響します。
食べることができなくなると、どんな問題が起こるでしょうか。
まず、栄養不足によって筋肉が失われ、運動能力が低下します。
さらに体力や免疫力が低下し、感染症や褥瘡などの合併症にかかりやすくなります。
次に、水分不足によって脱水症状が起こり、血圧や心拍数が変動したり、腎機能が低下したりして生命にかかわるリスクが増大します。
大事なことは、至極当たり前なことですが、
「口から食事が摂れない人が自然に回復する可能性は いかなる疾病においても難しい」
という現実と向き合うことです。
そこに、積極的に医療が介入する必要があるわけです。
「食べれていない人」を「どうしたのかな いつか治るだろう」と思いながら、そのままにしておいてはいけません。
では、食べることができなくなった人に対して、私たち医療者は何ができるでしょうか。
まずはその原因を見極めることです。口腔内の異常や咽頭機能の評価を行い、適切な口腔ケアや嚥下訓練を提供します。 また、眠気の原因になっている薬を調節し、吐き気止め、ミネラル製剤の投与も行います。点滴で水分補給を行いながら、飲み込みや食事量の改善を観察します。 便秘や胃もたれなどの消化器系の問題も解決するように努めます。
食べる、食べたくなる環境を整え、飲み込みや消化を妨げる因子を抽出し、咀嚼と嚥下が改善してこないか注意深く観察します。
しかし、これらの対策だけでは十分ではありません。
重要なことは、「これを飲めば食べられるようになる 生きて行けるようになる」という魔法の薬は、残念ながら存在しない、ということ。
その場合には、人工的な栄養投与を検討する必要があります。しかし、それもまた単純ではありません。
人工的な栄養投与には大きく分けて二つの方法があります。
一つは点滴による静脈栄養です。これは血管に針を刺して、栄養液を直接注入する方法です。
もう一つは胃瘻による経管栄養です。これは胃に穴を開けて、チューブを通して、流動食を注入する方法です。
どちらの方法もメリットとデメリットがあります。
静脈栄養はデバイスの追加や導入は医療機関で比較的簡単に行えますが、感染や血栓などの合併症のリスクが高く、長期的な使用には向きませんし、在宅に復帰した後には医療者による処置が必須であることから、介護サービスにおける外部施設の利用に制限がつくことなどが多く、社会的制約も多いです。
経管栄養は胃瘻に代表され、家庭での管理が可能で必ずしも都度の食事に医療者の介入を必要とせず、長期的な使用にも適していますが、デバイス造設時には手術や麻酔のリスクがあり、閉塞や脱落などのトラブルも起こりやすく、胃食道逆流から誤嚥性肺炎を併発しやすいなどのデメリットがあります。
いずれにしても強制的に栄養を体に取り込むため、調節を誤ると余剰な水分とカロリーから喀痰分泌が増え、頻回の気管吸引を必要としたり、肺炎や心不全を繰り返すこともあり、安楽な日常生活を脅かしてしまう可能性もあります。
人工的な栄養投与を行うかどうかは、患者本人や家族との話し合いによって決めるべきです。
その際には、以下の点を必ず説明する必要があります。
・人工栄養を行うことで経口摂取の機会が奪われてはならない。むしろ経口摂取、食べる楽しみを支援するために栄養を補充する機会を提供することが重要です。
・人工的な栄養投与は一度始めたら終わらないというわけではない。我々の食事量がかわっていくように、医学的状況に応じて減量したり中止したりすることもできる。その場合には適切な緩和ケアを提供する。
・人工的な栄養投与は患者本人の意思や価値観に基づいて決めること。医療者や家族の都合で強制したり、拒否したりせず、一緒になって何回も考えること。
・人工栄養に踏み切る際には、将来的な展望を必ず提示する。
このように食べられない人を前に取り組まないといけないことは様々であり、短い時間で決めることは難しく、長い道のりをかけて、前もって話し合っていくことが納得のいく決断につながります。
飲み込みが悪い人 食事の量が少ない人を見過ごしてはいけないのです。
食べる支援は一つ一つが細やかで手間がかかる一方で、その経験を通じて将来の見通しを持ち、選択肢を持てる人が社会に増えることは私たちが目指す活動のゴールの一つです。
私たちは食べることができなくなった人に対して、最善の医療を提供したいと考えています。そのためには、患者本人の意思や価値観を尊重し、 将来の展望や選択肢を共有し、共に決断することが必要です。
在宅医は患者さんの傍らで、つぶさに食事の状況を観察し、彼らの予後についてみなさんに分かりやすく説明し未来と治療を提示する役割を担っています。
食べることは生きることです。それをまず地域全体で理解し、共有しながら、食事ができない人々の生活の質を向上させ、彼らが自ら意思決定を行う能力を向上させるために引き続き活動して行きたいと思います。
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