湧き上がる労働意欲
目の前の事柄から逃げ出したいと、労働意欲に脳が逃げ走っている。
私は今月にTOEICの受検を控えているが、全くと言ってよいほどに勉強をしていないし、これから行うつもりもない。所属する会社からの受検要請だが、受検費は個人負担なので文句は言わせない。
そしてやり場のない感情はなぜか労働意欲へ変換され、私はアルバイトを始めた。おまけに単発バイトを探している。
お金の余裕は心の余裕である。
社会人五年目にしてようやく始めた積立貯金は、目標額には届きそうではあるが明らかにローペースである。20代前半で貯金100万円を達成した方法!とポップな字体で記載されたインスタグラムの投稿などは、わたしを貯金へとせっつく。大概は収入が大きかったり、食費に何らかの補助があったり、はたまた投稿内容自体が嘘八百で、インプレッションによる収益を見越しているのだろうが。
現実から逃げたいから働く。
高校を卒業し、18歳から働き始めて片手で数えられないほどの勤続年数にもなって手取りが20万円もない現実から。
あまりにも高い家賃を払うことができず、一人暮らしを始めて1年で格安物件へ引っ越した現実から。
勤続年数に対し、20万円しか貯金ができていない現実から。
TOEICさえも補助金を出してくれない会社という現実から。
それでもまだ、この会社で働きたいという現実から。
貯金がありゃいいってもんでもないけど、ないよりはマシ。
再三書き込むが、お金の余裕は心の余裕である。多少懐に猶予があったほうがゆったりした気持ちで人生に対峙できるものだ。
切り詰めた生活も若いうちは人生経験と楽しめるかもしれないが、年齢を重ねていくにつれて「ギリギリで生きていたいから」なんてKAT-TUNみたいなことは言っていられなくなる。であれば、もう私は清貧生活から懐ゆっくり貯金生活にシフトチェンジをする頃合いである。
人生は選択の連続であり、己の選択に正誤をつけるのは自分以外の何物でもない。給料日前の心もとない残金と対峙した経験は貴重であるが、今後の人生までもそんな切り詰め方はしたくないものである。
本日も労働を行う。