10. 日本社会の問題『石橋を叩いて渡る哲学』

 不安が蔓延る日本

 「自信がない人」にも関わる話ですが、日本社会全体に言えることとして、不安を抱く人が多い、自信がない人が多いということがあります。私はその要因として、石橋を叩いて渡る哲学の幸せの定義にも登場した、自由の条件である、尊厳が大きく関わっていると考えています。背理法ではありますが、不安を感じさせない、自信に溢れている人達を想像してください。どの方も確固たる尊厳を持っているように感じます。尊厳というのは、自尊心・自己価値のことです。石橋を叩いて渡る哲学において尊厳は、自分のルールや取扱説明書のような哲学を持っているか、信頼できる人間関係を構築することによって獲得されるものとしました。先ほど想像した自信に溢れている人の人間関係はわかりませんが、その人の発言を聞いているとその人に哲学があるのを感じます。

 尊厳がないと、周りの目を気にして行動するようになります。当然そのような状態は自由とは言えません。ゆえに、「自由ではない=幸せではない=不安を感じる」ということです。人は不安な状態では基本的に高いパフォーマンスを発揮できません。不安を解消するための行動しかできないからです。また、この問題は「知識体系の収集」でも述べた動機とも関係します。その影響は個々人だけでなく社会にも及びます。この尊厳がないという問題は、時代に合わせた社会を作る動きさえも妨害してしまいます。したがって、この尊厳の問題は社会問題と言えます。詳しく説明します。まず、尊厳がない人はそれを埋め合わせる「一時的な何か」を求めます。例えば、それは幸せの定義でも登場した一時的なものです。個人だけのことを考えれば、運良くそれを長い間持ち続けることができればそれで良いでしょう。しかし、持ち続けるという状態は変化に弱くもあります。例えば、仕事に打ち込むことで「一時的な何か」を労働から補填している人について考えてみます。将来、労働の構造で述べたようなベーシックインカムの導入の議論になった場合、私はベーシックインカムと同時に、雇用規制の緩和も導入されると予想しています。しかし、「一時的な何か」を労働から補填している人が日本に多ければ多いほど、雇用規制の緩和の引き金となるベーシックインカムの導入に反対することになります。このようにして、日本を起死回生に導くはずの制度改革ができなくなるのではないかという考えです。また、上記のような将来における社会制度の改革を阻害する問題だけでなく、日常的に発生している社会問題として、SNSなどにおけるインターネット上での炎上があります。

 炎上はなぜ起こるのか

 SNSによる炎上について本能という視点から2つの仮説を立ててみます。

 不安に関して捉えやすくするために、ストレスに関する心理学や心身健康科学の知識体系を紹介します。
心理学者ラザルスの認知行動理論によると、ストレス反応は、
・出来事の個人的な認識である一次評価と二次評価
・ストレスコーピング(ストレス対処行動)のあり方
による影響が大きいとされています。一次評価は、ストレッサーにさらされたときそれがどのくらい自分に害をもたらすか脅威となるかを評価することです。また、この時、不安や怒りなどのネガティブな情動が喚起されます。二次評価は、ストレッサーに対し、ストレスを軽減する方向でコントロールできるか否かの対処可能性を評価することです。そしてこれらの評価と同時に、ストレッサーを解決するためにあるいは心理的な不快感を減らすためにストレスコーピングを行います。

 ストレスコーピングはポジティブなストレスコーピングとネガティブなストレスコーピングがあります。心身健康科学の文献からポジティブなストレスコーピングを紹介します。
ストレスコーピングの種類は、
 問題焦点型コーピング:直面している問題に対して、自分の努力あるいは周囲の強力を得て解決したり、対策を立てるような対処行動。
 情動焦点型コーピング:取り返しがつかない場合や人を亡くした場合など、解決や対応の方法がなくどうにもならない場合の感情発散型の対処行動や感情抑圧型の対処行動。
 認知的再評価型コーピング:直面している困難な問題に対して、見方の発想を変えて、良い方向に考える、あるいは距離を置くなど認知の仕方を再検討して新しい適応の方法を探すような対処行動。
 社会的支援思索型コーピング:上司や同僚、家族、友人などに相談したりアドバイスを求めたりする対処行動。
 気晴らし型コーピング:運動、趣味、レジャー、カラオケ、温泉浴など、いわゆるストレス解消法と呼ばれる対処行動。
などがあります。実践的なお悩み解決法で紹介したなぜなぜ分析をするという選択肢は問題焦点型コーピングに該当する手法で、他人に頼るという選択肢は社会的支援思索型コーピングや情動焦点型コーピングに該当します。また、石橋を叩いて渡る哲学の世界の定義を根拠とする解決方法は認知的再評価型コーピングに該当します。石橋を叩いて渡る哲学は認知的再評価型コーピングに該当するものの、石橋を叩いて渡る哲学における尊厳の獲得と人間関係の構築の関係では、哲学による尊厳の獲得が人間関係の構築に繋がりやすくなるという認識です。したがって、認知的再評価型コーピングだけではなく、社会的支援思索型コーピングや情動焦点型コーピングにも間接的に繋がると考えています。

 また、心理学、特に精神分析学の知識体系からネガティブなコーピングの例を1つあげると、「置き換え」という防衛機制に該当する行動があります。防衛機制における「置き換え」とは対処できない感情や欲求を別の対象に向けること。いわゆる八つ当たりです。

 これらの知識体系からわかることは、人はストレスにさらされたときに何らかの行動を取ることでストレスを解消しようするということです。この知識体系を前提として炎上の原因を考察していきます。

 不安を取り除くため?

 人間は生存本能として社会的欲求を持っており、その欲求は人を、集団から追い出されないように行動させる機能を持ちます。その観点から、炎上に参加することの利点を考えてみます。また、ここでの炎上とは、大勢の人間または大勢に見えるような数多くの投稿が少数の人間を叩くことを前提として定義します。集団同士の意見の対立は炎上という概念にはここでは含みません。炎上に参加することによって得られるものの一つとして炎上の参加者という集団の一部となれるというメリットがあります。集団に同調することで一時的に構成された集団に属するという解釈です。集団に同調するためには集団の意見を汲み取る必要があります。したがって、社会問題や仕組みの問題のように意見が割れるような複雑な問題は炎上しにくく、個人が起こしてしまったミスのようなわかりやすい問題が炎上しがちです。この利点によって、集団に属することで社会的欲求不足から沸き起こる不安が取り除かれる。または、自分よりも先に集団から追い出される者を認識することで安心する。という効果を得られるという仮説です。

 自分が置かれている状況を肯定するため?

 ここでは、社会的欲求と防衛機制について考えます。人は日々、様々なストレスにさらされています。ストレスにさらされた場合、人は社会的欲求と防衛規制という機能の順位付けを行い、どちらか一方を優先するのだと思います。社会的欲求を優先した場合は、協調性が高く、置かれている状況を受容します。一方で、防衛機制を優先した場合は、協調性が低く、置かれている状況を回避するまたは対処すると言えます。ここで、対処や回避によってストレスから逃れられた後者ではなく社会的欲求を優先した前者について深堀りします。前者についてはさらに、ストレスの軽減またはストレスの転嫁のどちらかを選択することになります。軽減では、ストレスを感じる現象に対してポジティブなストレスコーピングによってストレスを軽減することとします。防衛機制の「合理化」もこれに該当します。一方で転嫁では、防衛機制における「置き換え」を行います。これは、どの集団でも日常的に起こっていることだと思います。したがって、炎上はこの「置き換え」によって発生しているのではないかという仮説となります。ストレスを発散するために炎上に参加するという仕組みです。実際に、誹謗中傷で訴えられた人が「ストレス発散のためだった」という言い訳をするのはよく見られるのではないのでしょうか。これらの2つの仮説によって、自分や集団を正当化することによって、普段自分が所属している会社などの集団のための苦行を正当化する。または、日常のストレスを発散する。という効果が得られるといった理屈です。

 以上の2つの仮説の結論として私の意見を述べます。私は炎上に参加することを肯定しません。かといって、炎上に参加した者が悪の根源であり原因だとは思っていません。しかしながら、「行為」は悪です。理由があったとしても他人を傷つける行為はしてはいけません。するべきでもありません。これについては誰しもが持つべき見解であると思います。そして、ほとんどの人はこの考えを持っているとも思います。しかしながら、実際にこの現象を防ごうとすると炎上に参加した者を罰するだけでは不十分であると思います。その解決策として私は、尊厳の獲得、哲学の獲得が鍵となるのではないかと考えているのです。

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