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受け入れる必要は必ずしもないと思う…

いろいろな方とお話をする中で、「今の自分を変えたい」「変化をおこしたい」という方にお会いする事が多い。
特にコーチング仲間の中でも、こうした向上心から他の人に相談してフィードバックをもらう事があるが、その時よく耳にする「そのフィードバックを受け取れない」「受け取らなければいけないのか?」という葛藤。

この話をする時に、いつもお伝えする事がある。
それが、『受け取る』と『受け入れる』の違いだ。

この2つの言葉を、混同しがちな方が多く見受けられるのだが、
こう聞いてこの二つの違い。お分かりいただけるだろうか?

受け取るとは?

私の中での「受け取る」とは、相手が出してくれたフィードバックを自分の掌に置かれたような感覚。
掌に置いて、じっくり観察する感覚。

・どうしてこれが置かれたのか?
・なぜその人はこれをチョイスしたのか?
・自分のどこからこのフィードバックが出てきたのか?

などなど。
じっくりじっくり観察する工程・時間だと思っている。

では、「受け入れる」は?

受け入れるは、受け取るの次の段階。
いろいろ観察してみて、「そうだな、言われて当然だよな。」「確かにそう思うとこの悩みも解決しそうだ。」となった時に初めて受け入れた事になると思う。

多くの人は
・人からそう見えているのであれば改善しなければ
・この人が言うのであれば変えなければいけないんだ
と、改善に動き出す。
しかし、これって「他人軸」でいる事に気付いてほしい。
自分自身が本当にそのような変化を求めているのか?という事を。

私も以前はこの考え方に苦しんだ1人だ。
上記に取り上げた事くらいならまだいいが、私の場合複数人に聞いて全てに置いてこれ(受け入れねば)をしていた為、複数人の意見に食い違いが発生した場合、どうしていいか分からずに呆然とする。
挙句に、そのフィードバックをくれた人に当たる。
『どうすればいいんだよ‼』
と…。

そう、ここにも上げた通り、複数人に聞くと幾通りからのフィードバックが届けられることがある。
だから選択肢は増える物の、余計に混乱する。

この時のフィードバックは、あくまでもその相談先の方のフィルタ―から見たものを届けられているので、複数人に相談すれば複数の回答が届くことは当たり前である。

その時に必要になるのが『受け止める』という事。
受け止め>観察して>取捨選択を行う。
・そんな見方もあるのか
・このフィードバックのこの部分は自分に必要そうだ
・どのフィードバックは違うんじゃないか
などと受け止める事が出来れば、じっくり吟味する事も可能になる。

全てを受け入れようとしてもがき苦しんでいる時。
それは必ずどこかで歪が発生する事になる。
・我慢
・指示待ち
・自分が無い

人から何かフィードバックをもらった時、自分の掌に置かれたそれをゆっくり観察してみる事で、この先のあなたの歩む先が変わってくるかもしれません。

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