オノマトペ

擬音まつりはおわりにしよう

よっちーです。週末はキャンプへ行ってリフレッシュしてました。

自分が感じた悩みって、聞いてみると意外と多くの人が経験している悩みだったりするんですよね。そのひとつがこちら↓

20代の後半にさしかかったころから
ある悩みが生まれました。

「伝えたいことが上手く言葉に出来ない。」

小田和正さんの歌みたいに愛についての複雑な感情を「言葉にできない」のなら情緒があるんだろうけど、
日常生活の伝えたいことが言葉に出来ないとなると、ただ単に情けない。

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この悩みを抱く人に多いのは、話すこと自体は好きだということ。
私も幼い頃から人と関わることは好きなんです。基本的なコミュニケーションで悩んだことはなかった。でも26歳を過ぎた頃からだったかな、コミュニケーションというよりも自分の表現スキルに疑問を感じはじめました。

伝えたい内容が無いとゆう事ではないんですよね。言葉として外に出す際のベストな表現が見つからないだけ。その結果、開催されるのは擬音まつり(笑)

※ここで言う擬音まつりはオノマトペの技法ではなく、表現力の不足から出る擬音を意味します。

クリエイティブ職の方は経験豊富だと思いますが、ディレクション時に擬音で指示してくるクライアントいますよね。

「なんかもうちょっとタイトルまわりパッとさせたいなぁ…」

もう…「パッと」ってなに!!怒

これすごく困るんですよね、抽象的の極み。でもクライアント担当者がなにも考えてないというわけではないんだろうなぁ、表現が見つからないときの擬音は便利だよなぁ…困らせられながらもつい納得してしまう自分がいたりして。

でも同じような人に共感しているだけでは成長できない。

人のふり見て我がふり直せ。

私はこの擬音まつりの原因を

【アウトプット不足】と呼んでいます。


**知識や経験のインプットが増えれば増えるほど、アウトプットの重要性はどんどん高くなってくる。 **


考えを伝えたり得た情報の発信をしたり、自分の解釈を表現すること。

会話も文章もアートも音楽もぜんぶひっくるめて

これらは全て自分のアウトプット活動です。

自分の考えを上手く言葉にできない人たちは、このアウトプットを怠ることが原因のひとつなんですよね。


若い頃のコミュニティは往々にして似た環境下で育った者同士で形成されているから、そこまでアウトプット活動の有無が影響してくることはない。
でも成長と共に出会いの幅が広がり知識や経験が増えていくと、自然と伝えたいことが複雑になっていく。そこにアウトプットで培われた力の有無が大きく関わってくるんです。

アウトプットで培われるスキルの一つとして「受け取る相手を想うこと」があります。

アウトプットするとゆうことは、それを受け取る(受け取ってほしい)相手がいます。受け取り手に的確な理解を与えたいときに、どんな表現がベストなのかを考えて表現方法を模索することは自分の考えを言語化するうえでも欠かせない上、普段から実践している人とそうでない人とは表現力に天と地程の差が生まれます。

このようなアウトプットの重要性を考えることなく、ポテンシャルのコミュニケーション力だけを盲信して突き進んできた(これた)人は、ある歳を境にして自分の伝える力に疑問を抱くようになるのでしょう。

疑問を抱いたら、改善のスタートです。今の時代は個人が自由に発信できるツールは腐る程ある。noteだってそのひとつだしTwitterだって構わない、文章だけじゃなくてTikTokなどの動画表現だってできる。

**アウトプットの訓練は誰にでもできる、いわば自重トレーニングみたいなもの。自分の身体は自分を裏切らない。 **

筋トレを続ける人が必ずと言って良いほど言う「自分の身体は裏切らないから、良くも悪くもすべて反映される。」というキラーワードがあるように、アウトプットの訓練もあなたの身体はあなたを裏切らない。良くも悪くもすべて反映してくれる。

擬音もオノマトペとして表現の武器の一つにすれば効果的なんです。適したところで使えていないのが問題なだけ。伝えたい相手や内容によって使いたい表現を操れたほうが自分自身が豊かになる。

梅田さんの著書の表紙コピーは自分への戒めメッセージ。

「言葉にできない」ことは、「考えていない」のと同じである。

梅田さん著書

ちゃんと考えてるよ! だから言葉で伝えられるように、

色々なアウトプットの訓練に挑んでいこう。


読んだ本はこちら↓
「言葉にできる」は武器になる。
著:梅田悟司さん

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