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自責か他責かで問題は解決できないとゆうこと

よっちーです。
あと2週間で3月が終わりますね。
時の流れが早い…
4月から新入社員が入り初めて後輩指導をするなんて方も多いのではないでしょうか。

後輩の教育は自分自身の成長のチャンス。
しかし、トラブルもつきものです。

「一人で進めてたときはこんな問題起きなかったのに…!」なんて出来事に見舞われたとき、あなたの苛立ちの矛先はどこに向きますか?

今回は【自責か他責か】
とゆう考え方についてを見直す回。

よくあるビジネス書では
「他責思考の人は問題の解決方が見出せないので成長出来ない」「自責思考の人は自分に問題があると背負い込んで鬱になりやすいから他責も取り入れてバランスをとると良い」
なんて言われていますが、

そもそも「あなたは自責か他責か?」とゆう議論で根本的解決ができる問題はあるのでしょうか?

【自責・他責】には
【責める】とゆう漢字が使われています。
これが誤解を招く元。

ストレートな解釈をすると
・自分を責める考え方
・他者を責める考え方

ですが、
仕事においては以下の解釈が
【自責・他責】の捉え方だと考えます。

【自責】とは:
事象に対して自分の行動を振り返ることで改善できる点がなかったのかを考え直すとゆう意味で使う言葉。

【他責】とは:
事象に対して他者や外部の環境がどうあるべきだったのかを想像するとゆう意味で使う言葉。

この解釈をブレンドして見えてくるものが
【根本的な解決】です。

なにか問題が生じたとき、
改善を図るために振り返りが必要な事柄は
多角的に存在します。

・自分自身の行動
・自分自身の思考
・他者の行動
・他者の思考
・周辺環境
・タイミング

ひとつの問題には大抵いくつもの要因があり、どれか1つの要因を改善したところで根本的な解決にはならない。

そこを大前提にして考えてみれば、
考え方が自責か他責かと言っている時点で、根本的な解決へたどり着ける可能性は極めて低くなってしまいます。

あえて言うなら、解決への正攻法は【多角的に責めること】

様々な角度から、こうしたほうが良かったのではないか?と前向きに「責めて」みる。

だから後輩と一緒に取り組んで発生した問題への向き合い方は、後輩への指導と自己改善が必ずセットになる。さらには周辺環境の改良なんかも視野に入ってくるのかもしれない。

冒頭の質問
苛立ちの矛先がどこか一点に向かってしまうのは筋違いとゆうことになりますね。

自責・他責どちらの考え方が良いか悪いかは問題解決とは無関係。一方だけで物事を考えても解決は見えてこない。

後輩指導は自分指導でもある。
そうなると要領の良すぎる奴よりちょっと手がかかる奴のほうが自分のためになるのかも。

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