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わたしたちは留まることばをいくつ残せるだろうか

花粉症はからだの中の花粉タンクがキャパオーバーしたとき発症すると聞いてから、毎年チキンレースをしています、よっちーです。

わたしは昨年の4月〜半年間、宣伝会議さんのコピーライター基礎講座を受講していました。

広告業界の人間ではないわたしが何故コピーを学びたいと思ったのか、

それはあるときから感じていた

【人間らしさをスキルにしたい】

とゆう思いからです。

時代はAIやIOTの活用で自動化や効率化が進んでますね。

◾️経理・会計データ入力
◾️銀行窓口
◾️ホテル受付
◾️販売員
◾️電話オペレーター 

この辺りは10年後に90%以上の確率で
無くなる仕事と言われています。

人口が減っていく日本においてAIの台頭は必要不可欠な事に変わりないけど、

【AIに出来ることが増える時代は、人として出来ることが問われる時代】

だと捉えるようになったんです。

わたしの場合、その問いの答えはコレ↓

人にしか出来ない事=ことばの表現力

どんなにこの先、人間と同等の語彙力を駆使できるAIが生まれても、人間が発することばの重みには勝てない。

経験してきた人生や、感情の動き、他者を思う気持ちが入り混じってことばは生まれる。

「月が綺麗ですね」が愛の告白を伝えることばだなんて、AIに表現出来るだろうか。

そんな事を考えていたときに出会ったのが
コピーライター養成講座。

半年間の講義で毎回異なる講師が登壇してくれるので、考え方の合う合わないは勿論あるが

講師の皆さんが共通して言ってたのは**
**【広告は誰にも見られていない】

とゆう大前提の元に取り組んでいるとゆう事。

この前提があるからこそ、「だれかを振り向かせよう」と工夫を凝らしたことばが生み出されるのね、成る程。

人にしか出来ないからと言ってあぐらをかいて思考を止めたら、ことばは成長しないし、だれかを振り向かせることばは生み出せない。

振り向かせるで言うなら愛の告白だって同じ。出来る限り相手と結ばれたいし振り向かせたいとゆう思いで生み出したことばで伝える必要がある。

ありふれた「愛してます」よりも、
「月が綺麗ですね」のほうが少なくとも相手のアテンションを引けるのではないか。

夏目漱石先生のことばは秀逸すぎる
愛の告白コピーなんだと思った。

それでめでたく結ばれたとき
あの時の台詞、ぶっちゃけキザだなーって思ったけどさ、でもドキっとしたなぁ。
なんて言わせたらもう勝ちだ。
それは相手に留まることばを残せたことになる。

だれかを振り向かせたい
誰かの気持ちを動かしたい

広告コピーだって、愛の告白だって、
商談だって、日常生活のやりとりだって

この気持ちを忘れちゃいけない。
このためにどうするかとゆう思考を止めちゃいけない。

それが人にしか出来ない
ことば表現の原動力であり、
濁流のような情報社会のなかで、
留まることばを残すための鍵になるんだ。


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