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バイトしてる生徒と予備校講師の間に滲み出るキャバみ(ホストみ)がつらい

 どうもこんにちは,今日もひとりごとです。

 大学入試の本格スタートとなる大学入学共通テストまで残り3週間を切り,冬期講習も佳境です。受験直前の生徒たちの冬の過ごし方はさまざまで,「もう秋までに学習内容は完璧になってるからあとは過去問・類題演習だけ,先生には答案添削とか質問対応だけしてほしい」という生徒もいれば,「まだ基礎問題で苦手箇所があるので集中特訓したい」と授業をとりまくる生徒もいます。当然ですが,前者のような生徒は計画的に学習ができており,いつまでに何をやって自分がどのレベルに達していればいいのかを客観的に理解しているので,入試で良い結果を残してくることが多いです。反面,後者のような生徒は(一体これまでに何をやっていたのか疑問に思うのはさておき)目標達成までのプロセスがわかっていない自分で分析できていないことが多く,結果もあまり出てきません。

時間割を見るとわかる,その生徒の“ヤバさ”

 そういうわけで,生徒それぞれの冬期講習の時間割をチラッと見ると,その生徒の“ヤバさ”が透けて見えてきます。この時期になって時間割が真っ黒(授業で埋まりまくっている),後者のような“ヤバい”生徒には,それとなく優先順位とかタイムリミットの話をします。私も本来は効率化とか選択と集中とかいう概念は好きではなく,「やりたいことやったらええやん,それに従っていったら芋づる式に学べて結果オーライやで」と言いたい気持ちで溢れかえっているのですが,それは一般的な予備校の目指す大学合格へのルートではないし,そもそもそれが素でできていたら予備校なんて頼らずに公教育一本で行けるでしょう。私はもどかしさを感じながら「キミはこれまで数学IIIをほとんどやってこなかったのに,1ヶ月や2ヶ月でできるようになると思う?それにかける時間をIAIIBに集中すれば,受験できる大学は限られるけどキミにとってより良い結果が出せるはずだよ?」みたいなことを話したりします。
効率化とか選択と集中という概念が好きじゃない件は過去記事)

 そう,ヤバい生徒は自分のできること(あるいは自分が一定の時間をかければできるようになること)がわかっていないのです。負け慣れやE判定慣れとも関連しますが,わからない・できない状況に慣れすぎてしまい,わかっている・できる(→うれしい)状況を深く体験していないが故に,「〇〇予備校の授業を受ければ大学に受かる」という錯覚をそのままに冬まできてしまっているようなのです。授業を受けて,何をどのくらい勉強すればどのくらいの結果が返ってくるのかががわかっていないから,成績が上がらないし,成績が上がらないから実力テスト低得点で基礎レベル授業の追加受講を大量に(機械的に)お薦めされてしまうし,それを受けても(自らの勉強スタイルだと伸びるはずがないのに)とりあえずお布施の如く授業料を納入して受講してしまう…。(そういう生徒は冗談抜きで将来詐欺に引っかからないだろうか…と,私は余計な心配をしてしまいます)

 もちろん,この時期に基礎レベルの授業を大量に受講するような生徒がみんなヤバいと言っているわけではありません。勉強のバックグラウンドがそれぞれに違い,得意・不得意もそれぞれに違うので,「夏わからなかったことを今一度冬に振り返ってみたらちゃんとわかるようになって入試に向けて飛躍的に伸びた!」みたいなよくある冬期講習の売り文句を地でいく生徒も往々にして存在するので,必要なものは先入観にとらわれず使った方がいいです。

ある生徒の時間割を見て…驚愕

 そう,人には人の受験があるのです(cf. 人には人の乳酸菌)。コロナ禍の休校期間とかぶってちょっとした基礎が抜けていて,故に有機化学全体が暗記ゲーで苦手になってしまったという生徒は,やはり予備校の授業のさらに一歩手前のつまずいているところからそれを解消してあげればスルスルと結果が出てくるし,それをやるのに遅すぎることはありません。冬だろうと,基礎を再確認したらいいのです。だから人の受講内容に文句をつけることはできないし,私も含め諸先輩方は個人のサクセスストーリーを押し付けるべきではありません。しかも現に,予備校講師としては,夏だろうと冬だろうと授業をたくさん受講してくれる生徒(あるいはその家庭)によって支えられているわけで,構造的には彼らに足を向けて寝ることはできないわけです。“お布施”をありがたく頂戴して,ただ任された仕事をこなすばかりです。

 …という前提があるのは重々承知のうえで,先日ある生徒の時間割を見て驚愕してしまいました。冬期講習の時間割の空白スペース(複数箇所)に鉛筆書きで「バイト」と書いてあったのです。

「え,キミ,バイトしてたの…?」

心の声が漏れてなかったか心配です。

予備校生バイトすべきか問題

 予備校生がバイトすべきか問題は,かねてから議論されてきました。もちろん,バイトによって得られる金銭的メリットは,親の賛同(出資)を得られずとも受験を可能にしてくれるでしょうし,少量ならば気分転換の効用もあるでしょうから,一概に否定されるものではありません。実際,浪人時代(あるいは仮面浪人時代)に鬼のようにバイトをして難関大学に入って今があるという有名人も少なくありません。

 ただ,そういう目に飛び込んできやすいサクセスストーリーは,そういう結果を残してきた有名人のものであることを忘れてはいけません。シンプルにめちゃめちゃ要領がよくて,勉強に限らず短時間で物事をこなせるとか,そういう能力があって初めて,成せる業だと思われます。また,単純に時代が違うというのも重要なポイントでしょう。20年前であれば,大学受験は浪人してこそ一人前というような価値観が存在していたのも事実です。それは私教育サービスが現在ほど充実しておらず,現在のように望めば誰でもわかりやすい授業映像を視聴でき,わかりやすい参考書にアクセスできる環境でなかったために,「1年浪人してYゼミ通う」みたいなことに(現役生で地元で受験勉強をしただけでは得られない)大きなメリットが見出されていたのでしょう。

 でも今は違います。意志があれば,月数千円で受験勉強の良質なリソースが手に入る。そういったリソースに対する得手不得手はあるでしょうが,いずれにせよとりあえず浪人することで得られるメリットは相対的に僅少になってしまったのです。言い換えれば,前述のように“バイトをしながら浪人して大学合格”するような連中は,(映像授業等を活用しながら)ハナから現役合格するような時代になってしまったのです。(ごく一部の,高校時代はゴンゴンにサボり倒していて卒業後に心入れ替える系の若者を除いて…)

 そう,現代においては,大抵の人にとってバイトと受験勉強の両立は困難です。現役生であっても浪人生であっても,月数千円で使える映像授業がこれだけ普及した昨今,その映像ではなかなか成績が上がらんようなわざわざ予備校に通う必要のある生徒が予備校に在籍しているわけで,そのような生徒が要領よくバイトと勉強を両立できるはずがないと思うのです。

(↓下記リンクから,予備校生バイトすべきか問題に対する視座を得ました)

バイトしたお金で…何を得ているのだろうか?

 先述と似た話になりますが,バイトするような生徒に限って,バイトしていない生徒と同じ授業料を払っても同じ成果を得られないケースが多くあります。無論,“授業を受ければ成績が上がる”というのは幻想で,その効用を最大化するために予習・復習を行うわけですが,それがバイトの時間に取られて十分にできないから,というのが要因の一つでしょう。もとより,予習の質が低かったり,予習の目的は何か,予習で何したら良いのかがわかっていなかったりすれば,そもそも時間をかけても十分な効果が得られないので,バイトしても状況が変わらず,いつまで経っても自分の置かれた状況(バイトしても大丈夫〜♪という認識)がヤバいことに気づかないのかもしれません。

 そういう状況で,予備校に来て,受けたい授業を受けて,質問とか相談をして,帰っていく。まだ高校生の就労レベルあるいは賃金水準ですから,自らの3〜5時間分の時給をつぎ込んで1時間の教育サービスを受ける。あくまでその場で満足して帰っていくだけで,当該生徒の勉強スタイルだとそれが成績向上につながっているのか疑問を呈さざるを得ない。結局のところ,若くて安い労働力がバイト先企業に吸い取られ授業料も予備校の運営会社に吸い取られるだけ…という構造。

これって,キャバクラとかホストクラブの構造では?

 そう,大学合格が目的の教育業はずが,いつの間にか顧客の満足が第一の接客業になってしまいました。もちろん,顧客の満足は重視されるべきですが,目的が大学合格である以上,それだけではいけません。でも,生徒の勉強スタイル,ないしはバイトと両立する姿勢が変わらない以上は,講師としてもこれ以上何もできないわけです。ましてや,対価を頂戴してサービスを提供しているわけですから…。

 受験が近づくにつれ,現実逃避に走りがちな生徒たちも増え,とりあえず相談する(でも自分の学習量が伴っていない)みたいな生徒が増えてきます。私も「つらい勉強を乗り越えてこそ大学受験だ」みたいな前近代的スポ根クソマインドを押し付ける気はさらさらないので,そういう生徒には「大変だよね〜」「仕方ないよね〜」と同調から入ってしまうこともしばしばです。それは馴れ合いたいわけではなく,そもそも勉強がつらいんだったら大学で学ぶ素質がないわけで,事前にそれがわかってよかったね〜くらいの精神で対応しています。予備校で各教科のプロが,それぞれに最大限分かりやすく噛み砕いて,興味を持たせるような仕掛けをしながら,ゴールから逆算的に組み立てて指導してくれているわけですから,それでも勉強がつらいというのであれば,大学なんて地獄です。

 でも,それが生徒のバックグラウンド次第で,単なる優しさに思われてしまうことがあります。そうすると,もはやここはキャバクラであり,ホストクラブになってしまうのです。バイトをしてまで予備校に通いながら,結局得たものはなんだったんだろうか?私はあなたを接待しているつもりはないんだけど,あなたの姿勢次第ではそうなってしまう。でもお金をもらって指導している以上,そこから先には踏み込めない。そういう生徒の存在も,私の生活を金銭的に支えてくれているから,無碍にはできない。若い時期の貴重な時間と親の貴重な財産を少しずつ食い潰しながら,まあでも彼らが幸せならそれで良いのかもしれないな…

 そんな“キャバクラ通い”,“ホストクラブ通い”の若者を目の当たりにしながら,私はこの子に何ができるのだろうか?と自問自答しながら,日々の仕事をしています。今日もまとまらぬ,ひとりごとでした。

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