IQが低い生徒に対して予備校ができること

 久しぶりの記事になりました。私の執筆意欲は,その時に抱えている不満や疑問の多寡に左右されるようで,俄には腑に落ちないような事象に遭遇すると記事を書きながら整理しようと思うようです。(半年以上放置されていたということは,それだけなんの不満もない,順風満帆かつ退屈な仕事生活を送っていたということです…)

 私教育業界に身を置いて10年以上経ってくると,見える景色も変わってくるものです。塾講師としてアルバイトをしていた学生時代は,自分の大学の過去問もろくに解けない(そして同時に私よく受かったな…とビビる)ような状況だったので,「平方完成できないです〜」とか「化学式覚えられないんです〜」みたいな生徒がいても,じゃあ類題を持ってきて練習させてあげようとか,小テストのプリントを作ってあげて毎回の授業で確認しようとか,諸々の作業になんの違和感もなく取り組んでいました。むしろ当時はそれが仕事の核心部分で,大学受験指導なんて全体の10%くらいしかやっていなかった気がします。生徒の定期テストのために,定期テスト対策の予想問題を作ってあげて,喜ばれると私も嬉しい,みたいな頭の悪いことをしていました。(無論,中小規模の学習塾であれば生徒の満足度を上げることが最優先なので,今も昔もそういう取り組みは大いにあって然るべきものだと思っています。それ自体は否定しません。私は好きではないだけ…)

教えても教えても,ずっとできない子がいることに気付く

 しかし,経験を積んでくると,段々と解ける問題が増えてきて,それに応じて大学受験指導に特化した仕事をするようになってきました。見える景色が変わるというのはまさにそういうことで,こうなってくると平方完成ができないとか化学式が覚えられないとかいうのはただの言い訳にしか聞こえなくなってくるのです。「いやいや,本気でできるようになりたいと思って取り組んでいれば,自力でできるでしょ。むしろなんでわざわざそのくらいのことで小テストやんなきゃいけないのよ?」と思ってしまうのです。富士山に4回登頂した経験がある人が「いやいや,ゆっくりでもいいから一歩ずつ足を前に出せば登頂できるっしょ。あんなに整備された登山道なんだし。むしろあの程度でなぜ酸素吸入するワケ?」という感覚と似ています。(誰がそんなこと言うかって?それは…私です)

 もちろん,教えられる前から独学でできるようになれとか言っているわけではありません。あくまで,学校で教わっていたり,まさに前の週に授業で扱ったばかりだったり,1ヶ月前の確認テストで出たばかりだったり…そういう複数のチャンスに恵まれている状況なのに,相変わらずできないという状況が信じられないのです。そして彼らは,単純にサボっているだけの生徒もいるし,甘えているだけの生徒もいます。親に高い金を払ってもらっているのにサボる神経がシンプルにわからないのですが,まあそういう金持ちもいるんだろうな,金ばかり持ってるとむしろ学ぶ楽しさも知らずに人生歩まされるなんてかわいそうだな〜と思いながら,ギリギリ納得できます。

 ただ,中には本気で頑張っているのに,どう足掻いてもできるようにならない生徒がいます。「平方完成ができない→じゃあ類題を解いてみよう→解けるようになった→翌週テストで係数が分数になっていただけでわからないとか間違えてしまう」みたいな生徒がいるのです。あるいは,設問の文章がちょっと長かったり,置かれた状況が例題とちょっと変わっていると,すぐ解けないと言い出す生徒もいます。中3生とか高1生とかではなく,高3や浪人生で,です。話を聞く限り,サボっている様子もないし,きわめて真面目に取り組んでいる(ノートも欠かさず取っている)のに,なぜかできない。

 予備校で仕事を始めた頃は,ただただ問題をわかりやすく解説することに終始していたし,誰がどのくらい成長したかを把握する余裕がなかったので見えていませんでしたが,慣れてくるにつれて「どういうプロセスで“できる”ように導くか」を意識するようになり,次第に上記のような“真面目にやってるけどできない”生徒が可視化されるようになってきたわけです。(加えて,2年前からスタートした大学入学共通テストの存在も,それを可視化するのに十分な情報を与えてくれました。本題から逸れるのでここで掘り下げることは控えておきます…)

 なぜできないのか。できるようにするには,どう指導すればいいのか。一時期はかなり真剣に悩んだし,そういう生徒ができるようにならないのは指導者である自分の責任だ,と考えることもありました(そしてそういう子に限って,親は「国公立大学じゃないと進学させられない」とか言っている傾向があってなおストレス要因…)。でも,その後,一つの視座を得ました。

結局,IQの問題では?

 そう,(語弊を恐れずいえば)彼らはもしかすると,ただ単にIQが低いから,類題から規則性とか法則性を見出して真似して解く,みたいな作業ができないし,それを他の既存知識や技能と結びつけて考え,応用するみたいなプロセスも踏めないのかもしれないのです。もちろん,それ以外の要因もいくらでもあると思われるし,実際にIQを測ったわけではないのであくまで推測です。ただ,一つの要因として,大いに関係のある話だと思うのです。

 そして,そうだとすると,私たち予備校講師にできることは限られてくるわけです。とりわけ理系科目を教える予備校講師においては,諸々の事象の因果関係を定量的に検討・考察する術を生徒に教え,それをできるようにさせるのが仕事なのですが,上述の彼らにはそれらを十分なレベルまで導いてあげられない(ことが多い)のです。したがって,彼らに対して我々ができることとすれば,暗記ゲーに落とし込むことでしょうか。「最大・最小と言われたらとりあえず微分だよ」とか,「無機化学の反応は全て語呂で覚えよう」とか。本質からかけ離れてしまうけれども,仕方のないことのような気がしてきます。

低IQ(?)の生徒が欲するのは“即効性のあるもの”

 そのようにして授業を受けた彼らは,本質がわかっていないのにもかかわらず,テストで点数だけは取れるようになってくるので,勉強ができるようになってきた気になります。そして同時に,そうやって点数を取らせてくれる講師の話ばかり聞き,そうでなくて本質を解説する(一見すると遠回りに見える)講師の話は聞かなくなってくるのです。そう,オペラント条件付けのようですが,生徒は即効性のあるものを欲するようになります。

 そしてその結果,ますます生徒のIQは下がっていく。効率を求めるあまり思考が短絡化し,思考のアウトソーシングが進み,「これってどうやって解けばいいんですか?」みたいな典型的バカ受験生の発言が見られるようになってしまう。講師としても頼られることは嬉しいことだし,究極的にいえば依存されることで講習受講率も上がって収入アップにつながるのですが,それが教育としてあるべき姿かというと,誰もがNOというでしょう。

 もちろん,勉強ができるようになるには,まず講師がお膳立てをして問題を解かせ,「わかる」「できる」という感覚を持ってもらい(場合によっては自己肯定感を高めて),自分で考えて解こうとする意欲を引き出す必要があるでしょう。自転車に乗れるようになるためには,まず補助輪を用いて自分で漕いで前にすすむ感覚を身に付けさせてから,補助輪を外すプロセスが主流(?)なのと同様です。補助輪の提供そのものが悪ではないことは,いうまでもありません。

 ただ,予備校や塾の,いわゆる“ミラクルわかりやすい”講師とか,“ウルトラ面倒見がいい”講師たちは,その補助輪を高性能ver.にしていっぱい与えているだけで,実はいつまで経っても補助輪を外す未来が示されない場合があります。ローカルルールばかり教えて,「こうすれば解ける!」などとオリジナルな解法(補助輪)を提供している講師は,「なぜその解法がいいのか?」「どう考えたらそのように解こうと思えた(思える)のか?」,そのあたりの再現性を全く考慮していないので,入試本番で高性能な補助輪が使える場面が訪れたとしても,それを適用できずに終了してしまうケースが多々見られるのです。実際,そういう生徒は教わった解法に満足して,それがいつどのように活用できるのかについて考えていないことが多く,単元ごとの小テストだと点数が取れるクセに模試や実力テストだと驚くほど点数が取れないのです。

IQが低い生徒に対してできることとは…

 結局,IQが低い(と思われる)生徒は,自ら思考することが得意でないので,中長期的にみて自らの力を伸ばしてくれる環境よりも,短期的にみて効率良く高得点を取らせてくれる環境に身を置きたがる傾向があることが,これまでの議論から明らかになりました。でもそうすると,結果的に成績が上がらなかったり,入試で合格できなかったことを問題のせいにしたり講師のせいにしたりといった,本意ではない結末につながることが多いのです。

 予備校の存在意義,ないしは授業の目的が,“生徒の志望大学に合格させること”であるならば,そういう状況も打ち破って,本当に生徒のためになる授業ないしは環境を提供しなければならないと思うのですが,極論をいえば予備校の授業は客商売であって,人気の有無が最重要事項になってしまうので,なかなか難しいわけです。

 生徒とともに一年を過ごしてみて,直前期に振り返ると「果たして私はこの子に何を与えられたのだろうか…」と悲しくなってしまう場面を経験するようになりました。数年前までは,人気を最優先に考えて仕事をしていたので,そんな振り返りなど存在しませんでしたが,余裕が出てきたゆえに,今後は時に「わかりやすい授業とはどういうことか」「効率のいい学習とは何を意味するか」についても,ちゃんと交通整理をして,しっかり自分の受験勉強を長い目で向き合っていけるような生徒を育てられるようにしていきたいなあ,と思う次第です。久しぶりのひとりごと,お付き合いいただきありがとうございました。

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