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【〜戯れ交叉~orchidノ夜道2】

記憶が途切れたアナタが一歩戻りたいときは、こちらから。

【戯れ交叉~orchidノ夜道1~】

 当たり前のように並んで歩くのは、仕事では組んで動くことが多いから何とも思わないけれど、私服だと視線が落ちる自覚とか、そういうのは言わない考えない。

「山田さん覚えてますか?お巡りさんの」
「あー、落とし物届けたときに応対してくれたイタチャリの」
「その人の実家が焼鳥屋なんです」
「へえ……。ってお前そういう情報をどこで仕入れてくるんだよ」
「たまたま入ったら推し活の現場だったんです。……あ、そこの左にある赤い暖簾です」
「おおよっしゃ!さっきから炭火の良い匂いがすると思ってたんだよな!」

 日に焼けてあちこちくすんだ赤い暖簾に「山田定食」と白抜きされた小さな店との馴れ初めは、今夜は割愛して中に入る。
 青いペーズリー柄のバンダナを三角巾に結んだお婆さんが次々と焼き鳥をプラスチック容器に詰めては輪ゴムしてビニル袋に入れて、外で待つ客へカウンター越しに手渡しながら、新しい注文を紙に書いて隣で黙々と焼き続けるタオル鉢巻のお兄さんに伝える流れ作業は、そこらの機械よりずっと正確だと思う。

「あらやだ間違えちゃったタレ5本にしちゃった」

 たまにバグるけど。

「いらっしゃーい!ねえねえお二人さん皮食べない皮。タレだけど。間違えちゃったからあげる!」
「ええ!?いやいやおかあさん、頼もうと思っていたからそのまま払いますよ!」
「だめだめ!間違えちゃったんだから。ってあらぁーこんな煙いとこにそんな上等な服着てきちゃってー。ちゃっちゃと決めて食べちゃいな?臭くなるよ!」

 お婆さんの圧にあっさり負ける先輩を横目に、隅で申し訳程度に置かれている小さな丸テーブルとパイプ椅子に腰掛けると、安っぽい硬さが妙に落ち着く。

「ああやばいな。レモンサワー欲しくなる」
「飲めばいいじゃないですか。こっちで飲んだほうが安いし」
「でも時間がな」
「大丈夫ですって。結構緩いところですし、映画館みたいに遅れて入ったからどうのなんてないですよ」
「ま、お前も一杯引っ掛けてきてるしな」
「分かります?」
「ご機嫌だからな。おかあさん!烏龍茶とレモンサワーとさっきの皮とタンとセセリを2本ずつ塩で!」
「あ、モモタレ3本と焼きおにぎりも」

 あいよ!という通りの良い声が狭い店に響いた。
壁にもたれながら、角が剥がれかけたサワー類のポスターを眺める。

「さっき、ーー」
「ん?」

 ……やっぱりパーカーのフードが可愛らしかったという話題はやめておこう。あの店は通うと言えるほど通ってはいないけど、いつ行ってもどこかすこし訳アリの匂いがするから。
 
「――アトリエからヘルプの電話がずっと鳴ってたから、二杯目を飲みそこねてきたんです」
「門脇さんか?」
「いえ、ナオミさんから」
「あー……。オフだからかけないでくれって今朝言ったのにホント人の話聞かないタイプだな」
「まああの人はもともと自分のペースで仕事できないとキレ散らかすし」
「お疲れ様。ほら、烏龍茶、温かいので出してもらえたぞ」
「先輩もお疲れ様です。お互い、仕事用のはもう電源切りましょう」

 乾杯。

「……こんなかんじで大丈夫ですか?」
「ん?」
「……カタチ」

 一緒の住所。一緒の職場。一緒の出身。
 だから余計にカタチが分からない。昨日の寝際に口にしたことを、眼前はクソ真面目に受け止めて、本日いま現在ここ。

「お前と一緒に駅ビルを離れて歩いた先なんて場末のゲーセンくらいしか知らないからな。十分楽しんでる。……ん、美味いなこの皮」
「人を廃ゲーマーみたいに」
「事実だろ」
「事実です。……んー、おいし」

 一緒の住所。一緒の職場。一緒の趣味。
 だから何をどうがんばっても、いつもの会話をループしている感覚に陥る。別に何も不都合なんてないのに。
 
「この後の行き先のヒントは?」
「どうせしれっとマップ検索してるでしょう」
「した。でもゲーセンもなければブティックもない。だから楽しみだって言ったんだ」
「それならよかったです」
「それより焼きおにぎりって壁のメニューに貼ってあるか?」
「言うと作ってくれるんです」

 そう。今日は、自分でもドン引きするくらい、計画的に行先を決めて実行してみたかった。いつもの気ままよりも腕時計を気にする回数が少し増えて、いつもより相手の旋毛から爪先まで観察するのが面白くなってくる。

 そんな「非合理」を。ほんの少しの息苦しさを。
 求めたのはたぶん、あの夏祭が終わってからだ。
   
 安全すぎる空っぽのメールボックス。フォローバックするクリエーターが増えて心に健全すぎるタイムライン。
 そう。いつのまにか、スマホがただの電話機能付きゲーム機になり始めている。現に今も、合流してからはプライベート用のスマホはバッグの中でスリープしたまま。

「焼き鳥ってなーんでこんなに胃もたれしないんだろうな。帰りにテイクアウト……はさすがに閉まってるよな?」
「そうですね。だからこういうときでもないと中々寄れないんです。余分な油は今のうちに遠ざけておいたほうが後々の人生楽だそうですよ」
「そういうこと考えながら食べるから消化不良するんだぞ。よし、ごちそうさま!」
「ごちそうさまでした」

 お気に召して後輩は何よりです。まあ、味の好みなんてほぼ知り尽くしているから失敗しないのは分かっているけど。
 炭と油の匂いをふんわり巻き付けて出た外は、炭火が近かった分少し寒い。日が暮れると1時間刻みで気温が少しずつ下がっていく季節だというのもあるけれど。

「ストール持ってきてるか?」
「ん。置いてきました。向こうに着いたらどうせ少し暑いですし」
「そういうところから喉痛めるんだ。ほら、とりあえずこれ首に巻いてろ」

 手渡されたオレンジ色のスカーフ。拒否権はなさそうだから大人しく首に緩く巻く。……あ、今日はマイルドセブンの気分なんですね。焼き鳥の好みよりずっとよく分かる。

「……隆幸」
「ん?」
「呼んだだけです。行きましょう、こっちをずっと一本道です」

 頭の上にハテナマークを浮かべられる前にさっさと歩き始めた。ネオンから外れたらあっという間にただの住宅街。少し暗く見えるのは、まだLEDに置き換わっていない古い街灯のせい。
 これくらいのほうが安心する。明るすぎると目眩がする。だから、今日連れて行くところも、明るいところではない。ヒールを鳴らす必要もない。

「悠。ここ、って……」
「心配いりませんよ。バカが来て近隣に迷惑かけないように貼ってあるだけです」

 $$MEMBERS ONLY$$

 住宅街の曲がり角に建つそこ。ガラス窓から伺える中の様子は分かるようで分からない。眩しい灯りが遠くに見えて、人影もある。窓辺で飲んでいるおじさんの横顔は楽しそうに笑っている。ちょっと隠れ家的なレストランと思いたくても換気口から漂う匂いはほとんどない。
 見た目よりだいぶ重い木造扉は今夜もほんのり煙草とワインコルクの匂い。開けると、きっと初見さんはびっくりする。
 出迎えるのは、ちょうど仕上げの一音を唸らせたエレキギターとドラムの爆音だから。

「こんばんは。お二人ですね。チケットはお持ちですか?」
「はい。SORAHAはまだですよね?」
「次の出番となっております」

 人の顔と足元はしっかり分かるのに、空間全体が薄暗く感じる照明。明るく照らされているのは楕円形のカウンターバーとその向こう側にある舞台だけ。
 入口で支払う入場料はキャッシュオンリー。入口だけが礼儀正しく真っ白なワイシャツと黒のスラックスで残りはスタッフも客も自由気まま。壁に貼られた属性色々のステッカーも、その上に書かれたサインも、客が見つめる先も陽気なランダム。

「洋楽クラブか。外からだと全然分からなかった」
「ね、いいでしょう。ストリートで弾いてた子に声をかけたら教えてくれたんです」
「いつ」
「卒論と先輩ロスとクソ親父のコンボで人生詰んでた頃」
「お……おう……。知らなかった」

 ヤバいところに連れてこられたって今一瞬思ったでしょう。後輩はよく見ていますよ。
 カウンターバーで本日2杯目となるラムコークと、ミックスナッツと、20分かからないと出てこないチーズピザを頼んで、文字通りの顔色伺い。
 カクテルの好みは知らない。固有名詞がついている洋酒を飲んでいるところ、あまり見たことがないから。

「お、さすが色々ある。お兄さん、ウォッカで得意なのは?」
「とりまベイブリーズっすね」
「じゃあそれで」
「うぃーっす。ミコっちー。カレシ?とうとうカレシ解禁ホリデー?」
「……。今日はボックス席のほうにいきます」
「照れ隠しウェーイ!後で1杯サービスするから聞かせてよ。ほらシッシッ、SORAHAはプロ控えてんだから前で見てやってちょ」
「良い酒が飲めそうなところじゃないか、って……おーい」

 顔色伺いの結果。ムカつくくらい場に溶け込んで笑い始めているから、少しでも緊張した自分が馬鹿でした。まる。

「ほら拗ねるな。あそこの席とかちょうど良さそうだ」
「拗ねてません。あんまり緊張されても逆に困りますし」

 ちょっと低い階段を4段下りて、たまたま空いていた席はベストスポット。ステージもよく見えて、スピーカーと照明からから程よく離れて寛げるソファ席。
 昔、ろくに聞かないまま寝落ちたのに、閉店まで毛布をかけてバラードを歌ってくれていたのが今日のお目当てと話したあたりで、観客席の照明がまた一段と暗くなった。
 自然と言葉が途切れて、4人も立てば埋まる小さなステージに全部吸い込まれて訪れる静寂は、少し浮遊感があって、嫌いじゃない。登壇というほど仰々しい舞台でもなく、リラックスした足取りで楽器を引っ提げて袖の階段を上がってくる演者の笑顔に自然と送られる拍手も、クラシックホールのようなお行儀の良いものではない。

「Heyみんな!楽しんでる?飲んでる?SORAHAもさっきちょっと飲んだからコード間違えたらごめんねー!アハッ、Jokeだけど。早く飲みたいから早く始めるねー」

 開演も、手を振って水の入ったペットボトルをマイクスタンドの足元に置いてスタートする、緩いところ。
 だからか、酒があまり早く回らない。ロックバンドが多い日だと客の層も変わって頭が痛くなるけれど、今日はジャズやブルースが多い日。近くにいる客も、自分たちが浮いて見えるくらい年上ばかりだ。

「……あ。この曲お前カラオケで一回だけ歌ったやつだ」
「歌詞ぜんぶ英語で舌がギブアップしたやつです。……よく覚えてますね」
「お前が唯一下手だった曲だからな」
「シャンソンは難しいんです」

 笑うな、と、テーブルの下で軽く爪先をお見舞いするくらいの談笑も見咎められないくらいの、緩い舞台。

「良い歌だな」
「でしょう?」
「あれくらいの年の人が歌うと染みるものがある」
「じゃあ十年後にリベンジします」
「十年じゃ足りないだろ」

 一言二言で会話が途切れても居心地が変わらない、緩い空間。遠くに行った恋人の後ろ姿を想う歌が埋めてくれている間に、なんとなく肩に寄りかかって、なんとなく頬を指で軽く撫でられて、そのままラムコークのグラスを傾ける。
 考え過ぎたカタチとか、自由になったメールボックスとか、三次元リアルワールドの面倒くささから遠ざかって、力が抜けていく。

「ねぇねぇ。これはみんな知ってるというか、すっごく有名な曲だから、みんなで歌わない?知らなくてもいいよ歌おうよ。clapだけでもいいし、みんなでひとつになって、悲しいこともつらいことも、歌に込めて今日元気になって帰ろうよ」

 力が抜けても心配されない時間を、デートと呼んでいいのなら、それでいいかもしれないと思った。
 ほら、「これほんとにサビに乗っかっていいんだよな?」って目配せしてくる顔は、アルコール補正を抜いても無邪気に笑ってるから。
 いつも後ろとか周りを気遣ってばかりの先輩が、場の空気に流されてステージに釘付けになりながら手拍子と輪唱を楽しむ姿を横目に眺められて、後輩もとい僕は満足ですよ。
 ……なんて、ね。世界に愛される歌とちょっと強めのラムコークでちょっとバフがかかっただけ。

 ♬Oh Happy Days! Oh Happy Days!♬

 平和というものに、不慣れな自分を少しだけ苦笑した。


これが白紙の値札。いつでも、もちろん0円でも構わないわ。ワタシの紡ぎに触れたあなたの価値観を知ることができたら、それで満足よ。大切なのは、戯れを愉しむこと。もしいただいたら、紡ぐ為の電気代と紙代と……そうね、珈琲代かしら。