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【〜戯れ交叉~orchidノ夜道1】

戯れ交叉はハイドラさん作『Swinging Chandelier』シリーズに呼応した噺。
『Swinging Chandelier』の登場人物に関する背景や描写等は、全てハイドラさんから了承をいただいていることを宣言して―――さあ、開演。

まずはこちらから Swinging Chandelier-5:衛星

「ごちそうさまでした。……それじゃ、また」

 ラムコークの入った空のグラスを少し奥に押して、残した挨拶は、一応ふたり分。まあ、自己満足だけど。
 ドアベルの音を後ろに残して、顔に吹き付ける風はまだ冬には遠いけれどどこか冷たい。気のせいかな都会ほどそう思う。

「……パーカー、か」

 初対面が職場のスーツ姿だっただけに、曲線が増えたカジュアル姿は声音以上にものをよく語る、というのはカッコつけた心の独り言。襟をいじったときに見えた温度は……、やめよう。彼女はビジネスパートナーとして見たほうが今のところ平和だ。お互いに。
 何で、って。……勘。これでもよく当たるほう。スマホゲームのガチャで欲しいピックアップが来る来ないが大体当たる程度の。
 でも、ロジックだってついてまわる。例えば、そう。スマホ画面が黙って喧しい電話を告げたいまこの瞬間とか。

「……はい、どうしましたか。……うん、メディアはマニュアル通りに追い返してください。あと電話応対にミノちゃんは置いちゃだめですパニック起こすから。門脇に対応させてください」

 酒の一つも入れないとプライベートに割り込んでくる仕事をあしらえないし、あしらわないとついさっき会った人がオフィスで面倒と迷惑を被ること。
 頭の片隅にそう言い聞かせて、喧騒を縫う歩を速めた。わざと人通りの多く明るい道を選んで、下手くそなウォーキングのようにヒールを強く鳴らしながら。

「親父の心配より仕事の心配をしてください。朝霧さんの不在分は昨日送ったPDF通りに割り振って、とにかくあのクライアントが要求してきた型紙をさっさと作る。どれも別にそんな難しいオーダーじゃなかったでしょう。小劇団ひとつ面倒見ると思えばい……は?甘ったれないでください。下請けに飛び火しないように自分と大貫と神谷部長が何時間在宅ワークしてると思ってるんですか。こっちだって独自プロジェクトで動けないんです」

 二次元ネトゲワールドでコンマ秒を争う判断を重ねる訓練をしていると、三次元リアルワールドでも時々役に立つ。
 たとえば、こういう事態があったとする。
 自分が所属する『アトリエ』が、ある日突然、老舗大企業に見初められ、降ってきた大量の発注書に慌てて缶詰している最中に、『アトリエ』の長がしょーもなくクズな理由で正義執行役の公僕様の車に愛人共々乗り込んで以来不在。長の不在くらいならともかく、プライドの高い職人集団は醜聞の臭いにむらがる虫にえらく弱い属性で、通常業務のやりかたを丸ごと忘れて下請けも巻き込んで手伝わせようとする。下請けというワードの悪用例。
 要約すると、休暇だろうと一蓮托生なんだから子は親を助けに来いお前の居場所はそもそも『アトリエ』だと言ってきているのを、あしらっている。

「はい泣かないで優先順位を見ながら復唱。……うん。……うん。……はい。それでいいんです。いつもどおりこなしてください。……いえ、これくらいなら別に。でも人を待たせているんでもう切りますよ?」

 お疲れ様です、という定型句を言い終えてさっさと通話を切った頃には、雑居ビルのネオンでギラギラと輝く繁華街は終点を迎えていて、無機質で潔癖な二車線の国道が車のヘッドライトを一定速度で運んでいた。
 一本吸う暇、あるかな。
 ……なさそう。ほんとすごいですね。自分が何分遅れて待ち合わせ場所に来るか、まるで予知したかのようなタイミングで着くようにタクシーを拾ったとしか思えない。
 なんてね。単に「すまん15分遅れる」というメッセージをバーに入る前に見ただけ。事務連絡だけでトキメキ回路を発動させるスキルを、サンタクロースはとうとう実装してくれないまま大人になったなと思ったあたりで、待ち人を乗せたタクシーが到着―――――――

チクタク、チクタク
カチ、カチ、カチ―――ジジジッ

『棄テズ、分岐セズ、補完スル絡繰時計』


 お疲れ様です、という定型句を言い終えてさっさと通話を切った頃には、雑居ビルのネオンでギラギラと輝く繁華街は終点を迎えていて、無機質で潔癖な二車線の国道が車のヘッドライトを一定速度で運んでいた。
 一本吸う暇、あるかな。

●(寄り道する暇が)ある
■(寄り道する暇が)ない
▲作る

「初めて見た時、あのコンビニでね。こんな、完璧に綺麗な人いるのかって、思ったんです」
「御子柴さん、自分のどこがどんなふうに綺麗か、ちゃんとわかってる人だと思う。見せ方を知ってる」
「そういう美しさって、見ていて気持ちの良いものです」

ハイドラ様/Swinging Chandelier-5:衛星

 きっと、『最初』にそう言われていたら、自分の命運とか運命とか、そういうファンタジーなギミックは随分と違う方へ回っていたのかもしれない。
 心臓から耳朶へとゆるく這い上がる熱は、キスに少し似ている。

「大貫先輩が、」

 誤魔化すため、でもあった。ラムコークが口の中でまだ暴れるところにメンソールの匂いをぶちこんで間を繋いだ。それしか咄嗟に浮かばなかった。ペルノの黄色って可愛いんじゃなくてヤバイ色で好きですとか口走ると絶対よろしくない。色々と。
 それに、社交辞令でもないのに共通の知人という存在を口にするのが、ひょっとしなくても人生で初めてな気がした。その共通というものが、よりにもよって。

 ――ああ、よかった。医務室に引きこもってて。
 ――ああ、よかった。あの頃に出会ってなくて。
 ――ああ、よかった。キャンパスで出会わないギリの年の差で。

 会計を済ませて迷わずドアのほうへ向かうその後ろ姿は、歩き姿は、鮮やかだった。言い忘れたことは、まあいいか。このテのことを忘れるのはもう育ちの悪さのせいにしよう。――と、タバコについた青い唇が言っている。

「マ、リ……と」 

 仕事用のスマホを取り出して、連絡帳画面に情報を入力する。名前の読み仮名。

「…………――――」

 連絡帳に並ぶずらりと並ぶ名前一覧を、下から上へ緩くスクロールする。ハイネックの襟を持ち上げる仕草を、なぞるように。
 隠さないほうが綺麗な場合もあるんですよ。――なんて、ペルノの香りに引きずられるようなことは言わない。

「ごちそうさまでした。……それじゃ、また」

 ラムコークの入った空のグラスを少し奥に押して、残した挨拶は、一応ふたり分。まあ、自己満足だけど。

 さて、愛人の娘をモデルに引き抜いてベッドに繋いだクソ親父の罪状を週刊誌を使った陰謀だと喚きながら布と向き合う可哀想な仕事仲間を電話であしらって、ようやくプライベート。ようやくフリーダム。

「……どうしたもんかな、この状況」

 ピアニッシモをもう一本取り出して、コンビニとカラオケの間で足を止める。不動産屋のチラシが剥がれかかった電柱にもたれて、少し深く吸い込んだ。
 まだ、脳を麻痺させる刺激が足りない。今回の罪状はいつもと様子が違う。唐突に現れた大きすぎるクライアントと手際の良すぎる逮捕劇には必ず裏がある。だからいつものように札束で解決して復活とかいうクソ仕様ループは今度こそ終わると見越せばむしろ安全。過剰にビジネスパートナーを隔離するような態度はかえってリスキーに……――というゲーミング思考を、アドレナリンを渇望する声を、散らしたい。
 
 真夏もハイネックを着て医務室の布団に潜りこんでいた御子柴悠の鏡姿を、散らしたい。

 そうしないと、パーカー、じゃ、フードを紐を掴まれたら――――

「危ない、ですよ」

チクタク、チクタク
カチ、カチ、カチ―――ジジジッ

『棄テズ、分岐セズ、補完スル絡繰時計』

 ありたけの刺激物と、排気口から躍り出てくる生ぬるい風のコンボは、誰からも切り離されたような気持ち悪い解放感に化ける。歩き煙草も、さりげなく指から解いて落とすポイ捨ても、気をつけて踏んだから許して交番ポスター。いまちょっと急いでいる。急がないと散らした落とし物が戻ってくるから。
 頭の片隅にそう言い聞かせて、喧騒を縫う歩を速めた。わざと人通りの多く明るい道を選んで、下手くそなウォーキングのようにヒールを強く鳴らしながら。
 歩いていれば当然のように雑居ビルのネオンでギラギラと輝く繁華街は終点を迎えていて、無機質で潔癖な二車線の国道が車のヘッドライトを一定速度で運んでいた。
 無機質へ向けて深く息を吐ききったときが、待ち合わせ時間からジャスト15分遅れ。顔に吹き付ける風はまだ冬には遠いけれど、どこか冷たい。気のせいかな都会ほどそう思う。――やっとそう思えた。
 一度見た気がするナンバーのタクシーが、目の前で停まったからかもしれない。

「すまん!」
「いいですって。お疲れ様です。時間は余裕ですから、ここから歩いちゃいましょう」
「ん?近くまで乗って行くんじゃなかったのか?」
「気が変わりました。焼き鳥食べたいんです」

 息を吐ききった後に、ゆっくり息継ぎできる声を聞いたからかもしれない。

「お、おう……。じゃあ運転手さん、すみませんここでお願いします」
「領収証」
「分かってる」

 もともと緩い服装規定で休日出勤しかも内務なんてジーンズにシャツでいいのに、この人ときたらしっかりスーツ。グレーを選んだだけでもカジュアルなほう。
 ……でも、モスグリーンのチェックの襟シャツも、オレンジのスカーフも、シトラスじゃなくてバニラが香るコロンも、「切り替え上手」をアピールできていますよ。後輩は満足です。

「どうした?そんなニヤけて」
「ニヤけてませんよ。寝癖直ってないなぁって」
「まじか!?」
「冗談ですよ。さ、行きましょう」

 似合ってますよ。後輩に言われるまでもないことだから、言わない。今日はなんだか「言わない」が多いな。まあいつものことだけど。
 一度だけ、来た道を振り返った。アンティーク時計の秒針のような音と、すれ違った気がしたから。

これが白紙の値札。いつでも、もちろん0円でも構わないわ。ワタシの紡ぎに触れたあなたの価値観を知ることができたら、それで満足よ。大切なのは、戯れを愉しむこと。もしいただいたら、紡ぐ為の電気代と紙代と……そうね、珈琲代かしら。