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【orchidノ子守唄】

「……出ないか」

 ツナガリマセンデシタと暗に告げるスマホ画面にぽつりと零れた言葉は、安堵か嘆息か。いずれにせよ肩越しにかかる声はいわゆる苦笑いという音を孕んでいる。笑いに味覚なんてあるのか分からないけど。

「夕飯終わった後の団欒はそっとしておくもんだぞ。主婦も忙しいんだ」
「ハラスメント研修か何かで覚えたんですか」
「お前が夜更かし主婦をログオフさせるときの常套句だろ」

 スマホを握る手に、一回りとまではいかない大きな手がかぶさって、ゆっくり押し下げられた。そういえばかれこれ2時間くらいパソコンとスマホしか見ていなかったのか、と、後ろで控え目な音量で流れるテレビ番組に思う。ただいま、三次元リアルワールド。どの時間帯でも雛壇トーク番組しかやってないから、全然実感ないけど。

「……すみません」
「いいんだよ。空瓶のベクトルが逸れた先は俺も心配だったしな」
「何で知ってるんですか」
「木崎と若林は仲が良いだろ。……枝は色々ってやつだ」
「ああ、うん、察しました。お疲れ様です」
「一番分かりやすいのは久しぶりに見たお前の火付けアカウントの稼働だからな?まったく、今夜はスマホ没収だ」
「……別にずっと放火してたわけじゃないんですけど」
「木崎のときにも言ったろ。人は必ず見ている。見なくて良い人は自然と見ていない。その積み重ねで動くべき人は必ず動く。大丈夫だ」
「……………」

 川の向こうのじいちゃんばあちゃん。最近の上司って部下のSNSアカウントもさりげなく情報もってないといけないそうです。部下が辞めた後もずるずると人伝に嫌でも耳に入るそうです。孫は絶対昇進したくないからしませんと今年も誓います。まる。

「というわけで、報われないネット労働を労う曲かけてやるよ」
「ビールがいいです」
「曲かけるっつってんだろ」

 川の向こうのじいちゃんばあちゃん。最近の上司って同居する部下に枕を投げつけて子守唄をかけないと眠れないそうです。この面倒見の良さが社内評価と業績に結び付いているとかいう嘘が会社で出回っています。孫は絶対昇進したくn以下略。
 ――分かってる。無駄な労力だし、暇つぶしだし、暇な行為だ。
 その暇な行為に走らせる感情の名前とベクトルをうっすらと自覚しているから、余計にビールで流し込みたくなる。そしてそれは明日の休日を便器とベッドで過ごす予兆だから、今日はもうスマホを見るのをやめておこう。この形相からして返してもらえないだろうし。
 頭の中だけ言葉戦争して疲れた頭には、甘いお菓子よりも目の前の真新しい布団のほうがずっと魅力的に感じる。たぶん……―――たぶん、食べていた。無意識に。今更ゴミ箱を確認しにいくのは面倒くさいからそういうことにした。

「……守りたいわけじゃないんです」
「ん」
「……正義面したいわけでもないんです」
「ん」
「……思い出したくないだけなんです」
「そうだな」

 とん、とん。
 秒針と同じくらいのテンポで背を柔く叩かれる間に、オートで零れ出る言葉は、薬が持ち込んでくる眠気と真新しい掛け布団のせいにしよう。夏に羽毛布団って絶対暑いと思ったけど、軽くてずっと適温で湿気も籠らなくてすぐに眠くなるなんて、知らなかったんだ。
 とん、とん。

「あの子は、たぶん覚えてないだけなんです」
「ん」
「……だから、守ったふりして遠ざけたいだけなんです」
「それはちょっと違うと思う」

 とん、とん。
 とん、……とん。

「御子柴。痛みを分類して選ぶ権利は誰にでもある」
「……そういうの、素面のときに言ってくれませんか」
「いつも言ってる」

 とん……、とん……、…………とん。

「……明日、カラオケ行きたいです。これ歌いたい」
「おう。じゃ、もう目ぇ瞑れ」
「それ推しキャラの台詞だから嫌です」
「いいから寝ろ」

 とん……、とん……、…………とん。…………と、ん。
 

 たぶん、君は覚えていないんだ。
 たぶん、君は知らないんだ。
 たぶん、君に届いていないんだ。
 記憶の中の僕からしか、きっともう届かないところにいる。

「……起きてるときに泣けるといいな」
 
 大学の医務室で聞いたときと似た声が、夢の中で聞こえて、
 当時の精神安定剤だった曲が、夢の中で遠ざかっていく。
 たぶん、君もこうやって居場所が変わるうちにワスレたんだと思う。

「大丈夫だ。もう大丈夫だ。……ほら、あったかいだろ」

 ……いい、か。自分もきっと同じくらい忘れている。
 人間、全部抱えていくことを本気で選べるほど上手くできてないんだ。
 だから、布団プラスアルファのナニカがちょっと暑苦しく思った後は、
 夢の締めくくりにきっとこう思っている。
 
 明日は、カラオケの後にどこへ行こう。
 ああ、デパコス欲しいな。広報誌の衣装に合わせたものじゃなくて、
 自分で選んだ色。来週は夏祭だから、浴衣の青紫に合う、鮮やかな……。






「よし、寝たな。……おやすみ、悠」

これが白紙の値札。いつでも、もちろん0円でも構わないわ。ワタシの紡ぎに触れたあなたの価値観を知ることができたら、それで満足よ。大切なのは、戯れを愉しむこと。もしいただいたら、紡ぐ為の電気代と紙代と……そうね、珈琲代かしら。